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ソルティ・ドッグ

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塩日記2020
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#散文

ここではないどこかなんてない

ひどく落ち込み、一通り怒り尽くしたら、私を閉ざしてしまう。人が当たり前に営んでいる生活全てがどうでもいい気がしてしまう。投げやりなのではないと思う、ただ本当に「どうでもいい」と瞼を落とす。死ぬかわりに私は眠る。果てしなく混沌と眠る。ただ眠る。眠っていればたぶん朝は来る。否が応でも。否が応でも朝は来る。 noteの下書きが187もあって私の言葉の多くはこうして枯れてゆくんだなと思った。思ったことや感じたことをおまえは素直に書きすぎだと時折苦言を呈されるけれど、誰も私の言葉がど

例えここが地獄だとしても

本記事内では、cakes「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」に触れています。noteで公開するか迷いました。炎上した当該コラム、及びその後の複数の謝罪文を何度読み返しても、note株式会社あるいは関係者にジェンダーバイアスがあるのは間違いなく、そのような方たちの目に私の文章が触れたために「やはり女は感情論でしか語らない」と(意識的であれ無意識的であれ)思われるのは大変不本意であるため、先に書いておきます。 感情の発露にはおおよそ全てに理由があり、より深い内的動機があってそ

水槽の中で熱帯魚は共食いする

12連勤明け、美容室へ行ったら側頭部に小さな禿げができていた。マジか。ウケる、いやウケない、働きすぎだろ、全然面白くないが笑ってしまった。私はこうして自分の身に降りかかった小さな不幸を、瞬間的に笑い話にして逃避する癖をやめたらいいと思う。自己憐憫に対する自罰感情、自罰感情に対する赦免欲求を、小さな水槽の中で泳がせて眺めている。 10年以上切ってくれている担当さんが発見したときは感情の水面を撫ぜられただけだったのに、インスタのストーリーにあげたものを見て話し掛けてきた同僚には

あなたへの手紙

秘密の話をします。他のだれにも内緒です。わたしは、神様になりたかったのです。あなたが苦しいときにそばにいてあげられる、そんな神様になりたかった。 ですがもちろん無理な話なので、わたしはあなたのためにドレスを縫っているのだと思います。 まだわたしがずっとずっと新人の、もっと言えば見習いの、ハンカチの刺繍だけをさせてもらっていたときから、わたしがつくるものに目を輝かせてくださったあなたを、わたしは生涯、けっして忘れはしないでしょう。あなたはわたしの刺繍を、とりわけ花の図案を、

あなたが「いる」ならそれだけで

眠れねえ!という深夜テンションで書いただけの「まちがいさがし」がおそろしいほどページビューを稼いだり(当社比)、去年投稿したときにはほとんど反応のなかった記事がある日突然に読まれ出したり、マジでどうしたと思いながらダッシュボードを眺めている。それならこの流れのまま、ハニーレモンソーダの記事がもっと読まれたらいいのにな。単行本がよく売れているようで、2020年10月号のりぼんにはついに三浦界くんが主役の番外編が登場したから「もっと売れろ」と思っている。番外編、私の三浦界くんへの

敗北していることはわかっている

人間、キレると何するかわからんなあ、と思う。先週の火曜日、内なる線が断たれる音がして、1人で架電100本ノックした。1人で8時間電話をかけ続ける。ブラック企業の営業職でもやっていけちゃうな、私。 タイムリミットの決まっている仕事をしているとき、目の前の作業を片づけている自分と次の作業を考えている自分、周りの業務状況を観察している自分、指示や依頼を検討する自分が常にいる。脳内のスケジュールは分刻みで更新されていく。マルチタスクのほうが圧倒的に業務が捗る。自分で言うのもなんだが

さようなら、夏

朝、noteにログインしたら「noteを始めて2周年記念」というポップアップが出た。日付は8月31日。わかりやすい、夏の終わり。 noteの初投稿は、2年前の「8月31日の夜に」だったのだとおぼろげに思い出した。下書きの奥底に埋めてしまった最初の記事は、8月31日の夜だけがつらいわけじゃない、この日が過ぎたらどうせ忘れるんだろ、見えているのに見ないことにするんだろ、そうして、勝手にきれいに悲しみを均したつもりになって、また来年の8月31日の夜だけ同情するんだろ、ふざけんな、

あなたの音楽と詞が縺れるように

相変わらず、ヨルシカのアルバムの封は切っていない。ツイッターで「包ん読」がトレンドになっていて、それな、と思っている。 新しい曲をいっぺんに聴く、聴くというか解釈するというか飲み込むというか、が得意ではないので、米津玄師のアルバムの構成もすでに分解してしまった。カムパネルラ、優しい人、ひまわりだけが、iPodの選抜プレイリストに突っ込まれている。私の選抜プレイリストは常時11曲までと決まっていて、通勤時間にだいたい一周するように調整してある。TEENAGE RIOTはシング

たゆたえども沈まず

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が切れる。  - 宇佐見りん「推し、燃ゆ」(文藝2020秋) 春から、負けず嫌いと責任感と、少しの憐憫で息をしていた。折れると思う瞬間は何度もあって、7月下旬からは「もうむり、できない」をひとりで繰り返した。世間が夏季休暇に入る

逝く夏

「もうできない」と思っている。もうできない、これ以上仕事を抱えられない、まわすだけの知力も体力も経験も私にはない、大学を卒業してからずっと非正規だったからほとんどこの能力は叩き上げなのである、自力でどうにかしてきた、でも、がむしゃらに頑張ったところでここでは雇用形態が変わることもなければ給与も上がらないしボーナスもないし夏季休暇ですら正規雇用同様には扱われない、まるで雑巾だ、私は雑巾、使い古されてくたばったら新しいものが用意される、それだけの存在。わかっているから「もうできな

小説を書くのはだいたい狂うってこと

人が楽しそうに物語を書いているから、つい、私も楽しく書ける気がしたんだよね。笑ってしまうくらい楽しく書けないんだけど。 どうしたって、悲しみだけが募る。片方だけで産まれた、不完全な心臓を罅割る。あの日あなたがほほ笑んでくれた未来が潰えてゆく音がするだけ。泣くのを堪えて、不格好にわらって、言葉が縺れながら踊る、画面を睨めつける。なあ、こんな感情は、King Gnuの「The hole」なんか聴いているからじゃないの。僕が傷口になるよってなんだよ。愛を守らなくちゃ。やめてくれ。

不自由で、わかりにくい

私にはやはり、これまでの個人サイトやブログと同様に、noteをやめたいなと思う日がある。「削除」のボタン一つで、私という存在が世界から消えてしまえばいいのに。消えてしまえればきっといいのに。そう思いながら文字を打つ。縋るみたいに。叫ぶみたいに。言葉を刻んで、自分を切り刻んで、頼むよ、もっと心が痛いままでいさせてほしい。すり減って使い物にならなくなるまで私の感性に鑢を掛けて、真っ二つに容易く折れるまで私の悲鳴を鋭くして。そうしていつか辞めたいよ。世界から消えたい。 小説を書く