あなたの音楽と詞が縺れるように
相変わらず、ヨルシカのアルバムの封は切っていない。ツイッターで「包ん読」がトレンドになっていて、それな、と思っている。
新しい曲をいっぺんに聴く、聴くというか解釈するというか飲み込むというか、が得意ではないので、米津玄師のアルバムの構成もすでに分解してしまった。カムパネルラ、優しい人、ひまわりだけが、iPodの選抜プレイリストに突っ込まれている。私の選抜プレイリストは常時11曲までと決まっていて、通勤時間にだいたい一周するように調整してある。TEENAGE RIOTはシングルのときから選抜入りしているので、アルバムから引き抜いたのではない。
「STRAY SHEEP」で選抜に生き残りそうなのはひまわりだなあ、と思う。騒乱的なメロディに歌詞が散弾銃のように閃く、ひまわりが孕んだ、強烈な憧憬と劣等感がひどく耳につくからだ。などと独りごちていたら、ひまわりは4月に亡くなったwowakaへの追悼曲、という解釈に遭遇してしまって、なるほどなあと腹落ちした。なるほど。大衆的なポップ・ミュージックになっている米津のアルバムの中で、この曲だけやけに往年のボカロじみているのはそのためか。私の感覚的に、なんとなく、なんとなくめちゃくちゃなんだよなこの曲。知らんけど。ただ、憧れと妬みと追いつけないもどかしさが、急くように息をしている、そう思う。
米津玄師がこぼすこういう素直さが、私は、羨ましくもあり妬ましくもある。率直に嫉妬を吐くのが苦手なせいだ。そうして、ピースサイン、LOSER、TEENAGE RIOT、ひまわり、と選抜プレイリストに残ってゆくのだ。私がどこかに忘れてきた自らへの素直さを、衒いもなく詞にしているこの人を、私は身の裡に飲み込んでゆく。詞を食べていたら私もこうなれないだろうか。近ごろはそればかり考える。彼の音楽は、詞は、私にとってどこか餌じみている。
「小説を読んでいると感性で生きている印象なのに、実際に会うと理屈で現実と折り合いをつけようとする人だから、大変そうだなあと思う」
かつて、静かに揺れる路面バスの中でそんなことを言われた。冬が終わるころの晴れ間、一年でもっとも清らかで新しい空気の満ちる季節だった。その感性の強さで事務的な仕事で生きていくのはやっぱり難しいこともあるよね、と続いたような気がするけど、定かではない。「私、まあ、作品によるんですけど、絵が動いて見えるんですよねえ、変な話、絵が話し掛けてくるっていうか」「ああわかるよ、私は生地をさわると“わかる”から、そういうところがね、私たちは、やっぱり感性の人なんだと思うよ」そんな話をした。──これまで生で見て一番騒々しかった絵は、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だなあと思い出す。会話をしたのが先か、絵を見たのが先かはちょっと記憶があやふやではあるけど。
国立新美術館で開催されたオルセー美術館展で、正面のソファに陣取って「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を観ていたら、隣に座った知らない男性が話し掛けてきたのを覚えている。私が、美術館で話し掛けられるのはめずらしいことではない。記憶にある中で印象深いのは、国立西洋美術館のゴヤ展である──当時の私は、ゴヤの研究をしている真っ只中で、目についたことを片っ端からメモしていた。話し掛けられて、研究を、とか、学芸員を志していて、とかいうやりとりをしたのだ。
「それはいいですねえ、私はやっぱり、歴史の中で画家や作品がどういうふうに位置づけられていて、目の前の展示作品になぜ歴史的価値があるのかというのを示してもらえるほうがいいと思うんですよ、作品だけをただ並べて展示するのではなくてね。あなたが学芸員になってそういう展示をしてくれたら嬉しいですね、どうかぜひ頑張ってください」研究にもがき苦しんだときも、学芸員試験を最終選考で何度不採用になったときも、そこで会ったきりの知らない男性との会話をずっとお守りのように持っていた。
というので、美術館での一期一会はわりと大事にしていて、話し掛けられたらそのまま話すのである。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のときもそうだった。「今回の展覧会で一番いい絵はこれですよね」と相手が言う。「そうですね、今日はこれが一番よく動いてしゃべっていると思います、賑やかでいい絵です」「そうそう、生きているんですよね。生きている。人物の描写が素晴らしい」おかしなことを口走った自覚はあったけど、おもしろいものでふつうに会話が成立するのが、美術館の楽しいところだ。
美術の場に行くと、理論を重んじる人もいれば、なんの根拠もない、感受性だけの言葉が届く人にも出会う。私は理論も感性も好きなのだと思う。それらは相反するものではなく、どちらともが軋轢なく共存している状態が最も心地好い。それが私の自然体なのだと思うし、私の自然体にとって、美術館で息をしている時間はいつも安全地帯なのだった。
別れ際に名刺を渡された。刀剣なんたら協会の役員を務められている方で、なんということもない、「ものの声を聴く」ことに長けている人だった。残念ながら「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を観ていたときの私はほとんど学芸員になることを諦めていたけど、自らの引きの強さだけは疑いようがなかった。導かれてこの絵の前に立っているのだと思う瞬間が、何度となく私にはあった。これは理屈ではなかった。感覚的に世界を咀嚼しているのだとするのなら、その瞬きのとき、私は「感性の人」なのかもしれなかった。
ヨルシカの「盗作」の封は、そのうち、切ると思う。近い将来、必要になるから持っている、のだという気がする。そういうものが私の部屋にはあふれている。ものを持ちたがらない人からはあまり理解されないけど。存命のうちにゴッホの絵は1枚しか売れなかったしアンリ・ルソーは日曜画家と揶揄されつづけた、だけどやがてある人たちにとっては価値あるものになった。私の生活にあふれているものたちは私にとって価値あるものになるから、今日からすでにここにあるのだという、それだけのことだ。
いまの私の餌は、どちらかといえば米津玄師なのである。私が世界を咀嚼する、私のからだのもっと深いところで飲み込んで、揺らして、解釈する、もっと“わかる”ようになるために聴いている。この作業は、米津玄師でもヨルシカでもない、例えばYOASOBIだったりずっと真夜中でいいのに。だったりへ移り気に変わったり、かつて気が狂うほど聴いた鬼束ちひろだったりTaylor Swiftだったりに帰ったり、そんな可能性は当然にある。音と詞は無数に生まれている。ただ、いまはまだ米津玄師だというだけだ。彼らは、永続的に私の核を成す、私を形作った浜崎あゆみと宇多田ヒカル、私の浮力であるアイカツ!楽曲とは、いまはまだちがうところにいる。いまはまだ。
何かを、もっと、もっと奥深くで静かに、揺さぶるほどに強く、表現できるようになりたいと思う。解像度とは少しちがう気がする。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が果たして絵画として解像度の高い作品かと問われれば、筆遣いの、描出の荒さは見てのとおりだ。カバネルやジェロームと比較するまでもない。だから、解像度というより、出力を上げたいのかもしれない。人びとの呼吸や躍動感、その一瞬だけに生きている複雑なまなざしを、確実に捉えて「そのとき」を書く。出力を上げたい。複雑なことは複雑なままでいい、絡んだ糸は絡んだままでいい、荒いのならば荒いままで、ただもっと、もっと、表現をしたい、もっと強く、静かに激しく。私に語りかけるあの絵のように。米津玄師のひまわりみたく、感情のずっと先で、音楽と詞が縺れるように。何かを。もっと出力を上げて。そのためには感性だけではなく、理論と技術も必要なのだと私は知っている。米津玄師の音楽はそれらが全て共存している、だから聴いている。
何かを。何か。人目を憚ることなく叫ぶような、ふるえるような、雪に撃たれるような、何かを、もっと。もっと、もっとだ、私も。
これは憧憬か、嫉妬か、それとも欲望だろうか。折れてしまった私の夢が、私を呼んでいる。ずっと呼んでいる。そんなことばかり、考えている。
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