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敗北していることはわかっている


人間、キレると何するかわからんなあ、と思う。先週の火曜日、内なる線が断たれる音がして、1人で架電100本ノックした。1人で8時間電話をかけ続ける。ブラック企業の営業職でもやっていけちゃうな、私。

タイムリミットの決まっている仕事をしているとき、目の前の作業を片づけている自分と次の作業を考えている自分、周りの業務状況を観察している自分、指示や依頼を検討する自分が常にいる。脳内のスケジュールは分刻みで更新されていく。マルチタスクのほうが圧倒的に業務が捗る。自分で言うのもなんだが、早い(速い)。私にとって秘書以上に向いている仕事はおそらく存在しないと前職で確信したのはこのせいだった。過集中しながら潜在的な記憶力おばけが姿をあらわす。スポーツならゾーンに入っているとでもいうんだろう、知らないけど。

ただし当然ながら、身体にとっては強引なやり方なので、1日が終わるとだいたい死が待っている。もとより残業は一切しない主義だが、そもそもがむりやりなのでウルトラマンみたいなものだ。ピコーンピコーンと定時が近づくにつれて音が鳴る。正確には耳鳴りである。あ、耳が死んだ、耳が死んだとなれば次に待っているのはめまい。車が運転できなくなる前に帰らないと詰む。あぶない橋を渡っている。家に着けば、倒れ込むように寝る。

持病があることで制限された生活がある一方、持病があるから守られている健全さがある。自分を追い詰めるのはよくないと言われるけれど、追い詰めている意識は特になく、自分のできる範囲で仕事をしていたらこうなった。たぶん、できる範囲が広すぎる。ちょっとくらいできなくていいんだろうと思う。「できない」が思いつかず、やりたくないときは「やりたくない」と主張することを覚えたつもりでいる、が、周囲から見るともっとやらなくていいみたいだった。難しい。病気は私を制限する。ストッパーになり、だから助けもする。一長一短。

まあ、1人で架電100本ノックは我ながら阿呆だった。仕方なかったけど。


YOASOBI「群青」を聴きながら、まだしばらくはブルーピリオドを読めそうにないと考えている。私が失ったものと向き合う勇気が出ない。世界にごまんといる夢破れたもの、敗者、凡才、そのうちのひとりとして生きていくことは受け入れられても、追い求めても戻れない時間はやっぱり悲しい。

たぶん、最初から持っていなかったなら、こんなに傷つかなかった。駆け抜けて、手を伸ばして、指先で掴んでいなかったのなら、胸を掻きむしることはなかった。こぼれていったのがわかっているから泣いてしまう。もっとがんばれたんじゃないか、もっとちがう道があったんじゃないか、もっとうまくやれていたなら失わずに済んだんじゃないか、まっすぐ立って歩くのも難しくなったあのときの私を思い出しては泣いてしまう。がんばりたかった。がんばれなかった。私は弱く、不甲斐なく、頼りなかった。台風に負けて、真っ暗な部屋で吐いて、ぐるぐるとまわって、嵐の音にまぎれてむせび泣いたあの日の私よ。


感じたままに進む
自分で選んだこの道を
重いまぶた擦る夜に
しがみついた青い誓い
好きなことを続けること
それは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?
不安になるけど
 - YOASOBI「群青」




強引に仕事をしているとき、これは意地だ、と思う。ただの意地だと。何一つ楽しいわけじゃない、どれだけ成果を上げたところでこのさきに道はない、年明けの2月には絶えてしまう場所でしかない、だからただの意地だ。

苦しい、悲しい、悔しい、ふっと息を吐く合間に、気づかないように背けている感情が一瞬だけ爆ぜる。もっとできるはずだった、もっとできるはずなんだ、もっと走れたはずだったんだ、私だって、私だって、私だって! 爆ぜた勢いで風が窓を叩く。音が割れる。右耳がきこえなくなる、左はもとよりきこえが悪い。コピー機の叫びが異様にうねる。人の言葉が破壊され、輪郭を亡くし、世界に音があることしかわからない。境界のない世界で混濁する。吐き気が襲って、私はペットボトルを掴む。死にたい、死ぬものか、早く終われ、果ててたまるか、あと何時間なら生きられる。あと何日なら。


何枚でも
ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ
何回でも
ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる


あの日があったから架電100本ノックができるようになった。だけどやっぱり病気にはなりたくなかった。ブルーピリオドは読めそうにない。


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