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小説を書くのはだいたい狂うってこと


人が楽しそうに物語を書いているから、つい、私も楽しく書ける気がしたんだよね。笑ってしまうくらい楽しく書けないんだけど。

どうしたって、悲しみだけが募る。片方だけで産まれた、不完全な心臓を罅割る。あの日あなたがほほ笑んでくれた未来が潰えてゆく音がするだけ。泣くのを堪えて、不格好にわらって、言葉が縺れながら踊る、画面を睨めつける。なあ、こんな感情は、King Gnuの「The hole」なんか聴いているからじゃないの。僕が傷口になるよってなんだよ。愛を守らなくちゃ。やめてくれ。そんなふうに、そんなふうに取り戻せないもののために生きないでくれよ。愛を守らなくちゃ。愛を守らなくちゃ。愛を守らなくちゃ。ああばかだな、報われなかった片恋なんか、いますぐに燃やしてしまえばいいのに。

痛覚を尖らせに尖らせて、自傷としか呼べない気狂いな恋をして、孤独で引き攣った肌をざらざらな舌で舐めるように文章を書き続けていたら、いよいよ死ぬんじゃないかって思うのに、私はなぜ書く。あんなに崖から深淵を覗き込んでうんざりして、うんざりして、うんざりして、いろんな人が引き留めてくれたからどうにかそこで立ち止まったのに、これを書き終わったら私は死ぬんじゃないのか。死ぬんだろう、そうだろう、今度こそ、完膚なきまでにハッピーエンドを弾劾して処刑するんだろ。メリーバッドエンドすら軽やかにあまく、感じるような、そんな蹂躙の仕方でさ。

そして私も死ぬんだ。


彼女を、私が生かすか殺すか迷ったことを、誰か覚えているんだろうか。あの子は死んでしまったほうが楽だろうと思った。私は、思っていた。思っていたんだよ。生きてゆくなんて絶望ばっかりだ。世界はやさしくならない。いつも生きづらい。人は産まれた瞬間からひとりぼっちで、めぐり逢えた運命の人とは結ばれない約束で、これでもかっていう理不尽に踏み躙られて、惨憺たる有様で、へいきなふりをして立ち上がっても、やっぱりまた突き落とされる。生きてほしいなんてエゴだよ。独り善がりだ。残酷だ。何て残酷なんだ。あなたの言葉はやさしく残酷すぎる。私もだ。

だけど、そのエゴに愛されたし、救われたのも真実だった。


ディズニーシーのパークチケットを手に入れた。エラーで何度も弾かれつつ、15時の販売開始から何時間と格闘している人たちがいる中で、時々休みつつ、たぶん、正味3時間くらいで1枚買った。行けるかどうかはわからない。だって全然、コロナ、終息していないし。だけど、チケットが手の中にあるという幸せだけで息ができるから不思議だ。どれほど荒んだ生活を送っているときでも、一度も裏切ることなく私を救ってきた場所に迎え入れてもらえるという心強さ。いいな、嬉しいな、私、パークへ行くことが許されているんだ!

「夢の国」ってみんな言うけど「夢と魔法の王国」の間違いだし、ディズニーの魔法というのは神様が施す奇跡なんかじゃないし、全員、風間俊介先輩が熱弁しているマツコの番組を10周くらいしたらいいんだ。惜しみない情熱と創造が私を救うんだ。いつも。たぶん、私だけじゃない。


両極端なことを試行しながら、無情な世界で、人を繋ぎとめるものは何なんだろうと思う。血の滲む傷の舐め合いか、絶対的にまぶしく揺るぎない希望なのか。救済とは、愛とは、私たちとは。

躓いた感情にしばらく指を止めて、ため息を吐いた。ワードを閉じよう。そしてパソコンの電源を切るんだ。私は0距離の布団に寝転んで、リモコンを使って照明を落とす。ぼんやりと暗い天井を見上げ、じっと凝らして、私の呼吸を確かめながら、ゆっくりとまぶたを下ろすだろう。凍んでゆくように、静かに。

想うよ。傷口になんてならなくていい。愛なんか守らなくていい。一緒にいようよ。悲哀も苦痛も絶望も、惨憺たる悲劇さえ、全部一緒くたにしてぐちゃぐちゃになってどろどろになって抱きしめて、ずっと一緒にいてよ。罪の上を歩いてなお、ただふたりぼっちで幸せをあきらめずに生きる、それだけでいい。それだけが、この指先からこぼれてゆけばいい。


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