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空の花篭、

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ネガティブ日記2019
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#日記

星と私とあの日の愛と

 noterのRIOさんにホロスコープを見ていただきました。  まずは、いきなりRIOさんの記事に突撃し、鑑定をお願いした不躾な私にも快く応じて下さってありがとうございます。楽しく拝読しました。  一年間自分のことをずっと悩みながら書いてきて、どこかで区切りをつけたいと思っていたので、ご縁があったことに感謝です。  読み終わったあと、「実に私である」と思った。実に私だった。  おもしろいなあ。  惑星同士のアスペクトについてきちんと説明していただいたのは初めてだったので

コンテンツへの愛の文脈

「十二国記めっちゃ面白いわ~、淡泊なけいさんが熱弁を振るうのわかる」 「だろ? そうでしょ? マジで人間観が変わるよね~」 「でもけいさんのアイカツ好きは理解できない」 「そりゃああなた、私が病気で引きこもっていたときに出会ったのがアイカツだから愛が重いのよ。アイカツがなかったら人間やめてるし。十二国記もいじめられてたときに読んだから、出会わなかったら死んでたと思うけど」 「え? あ、そうなん?」 -----------------------  その人がなぜそのコンテン

あの日孤独だったから始めたそれだけのことを、だけど今日はたしかに、いとしいと言える

 私以外 知らないこの傷を  強く 深く 愛せるはずないんだ  どうせ みんなもそうでしょ? 何か言って    - Sissy Sky/宮川愛李  昔々に、私が小説を書き始めた理由なんてたいしたことはない。さみしかっただけだ。学校にも、家の中にも、居場所を見つけられなかった。一日の大半をいじめられて過ごし、仕事で疲れ果てて帰ってくる親とは不仲で、月刊の漫画雑誌の付録のノートに、言葉を吐き出すことを覚えた。華やかでかわいい女の子が描かれたかわいいその用紙に、澱んだ感情を綴って

結局私は書くことがすきだった(2019年のnoteでの活動を総括する)

 2019年のまとめをするには少し早いけど、今月のnoteの更新も、多くて4、5回だと思うので、ページビューが多かった記事をまとめておこうと思う。ただし、あくまでページビュー。noteには詳細なアクセス解析機能がないからユニークアクセスがどうだったかはわからないし(もしかしたら一人のユーザーが何度もじっくり読んでくれたのかもしれない)、そもそもどういう経路で記事に辿り着いたのかも不明なので(オーガニックサーチなのかダイレクトなのかリファラルなのかソーシャルなのか)、実際のとこ

怒りを冷笑する人びと

 「怒る」という行為を格好悪いものと捉えて、シニカルに冷笑主義を貫くほうがよほど格好悪い、と最近よく思う。  無論、何かにつけて揚げ足取りをし、イチャモンをかますのはダサイを通り越してただの幼稚だが、道理を逸したものや、自らが危機や不当さを感じることについて腹を立てるのは、人間として、どころか、動物として当然の反応であって、怒りを感じないものと取り扱うことのほうがむしろ正常ではないのではないか、と考えている。身の危険がそこにあるにもかかわらず、毛を逆立てない動物は、恐らく何

愛と憎しみと私の名前

 名前って難しいよなと思う。  ここ何年か「名付けの意味がよくわかるいい名前だよねえ」と言ってもらえる機会が多く、嬉しい反面、気分によってはやっぱり「親の愛が重い」と思う日もある。私は長子で、父と母がお互いにそれぞれ好きな漢字を一つずつ出し合って、何日も前から意味を考えて付けた、ということを、私は、保育園の卒園文集のときから知っているので、まさしく「愛を背負って生きてきた」感じなのだ。(弟ズは産まれてから考えていた。真ん中は、私がのび太がいいと言ったので、危うく「のび太」にな

脱出ゲームと、コミュ障な私と、場づくりの話

脱出ゲームへ行ってきた!週末、株式会社SCRAPが企画・運営しているリアル脱出ゲーム、名探偵コナンとのコラボ「紺青の美術館からの脱出」に参加してきた。一人行動の多い私だけど、今回は友人を誘って! 脱出は失敗したけど楽しかった! 受付で「脱出ゲームは何度目ですか?」と訊かれて「初めてです」と答えた私なのだが、よく考えたら二年前に、ディズニーアンバサダーホテルで開催された「ミッキーとミニーの消えた映画台本の謎」に一人でチャレンジしていたし、何年も前の、パーク内で実施された初期謎

私をみちびくあなたの歌にありがとう

「全部楽しかった。つらいこともたくさんあった気がするけど、それも含めて、ただただ全部が楽しかった」  推しちゃんの一人がそう言っているのを見た。思い出深いライブの一年ぶりのオーディオコメンタリー、のアーカイブ。私もわかるよ、と思った。  散らかした論文に埋もれて大変だったことも、実力が全然追いつかなくて悔しくて泣いていたことも、足繁くあちこちの美術館へ通って貧乏だったことも、地獄の耐久レースか!と思った論文審査も、だけど、全部が楽しかった。できないことすらも全てが楽しかった

優しい人ってどんな人

 優しい人、と評価されるのが、私は苦手だ。  三連休、先週末の持病の発作で体調がぐずついていたのと、それにより自律神経が落ち着かないのとがあって夜中眠れず、深夜テンションでうっかり有料(高額)の占いを申し込んでしまった。で、先般、鑑定結果をいただいたのだが、まあ――「うん、こんなものだよね」という感じだった。  本名不要で、生年月日と血液型を記載してもらえれば霊視します、という占いだったので(なぜそれを選んだのかは私にもよくわからない)、大体、星座占いと血液型占いの掛け合わ

スマートフォンを探して店を渡り歩き考えた「人」と「もの」のこと

 八月の終わりに、スマートフォンのリチウム電池が膨張して裏蓋が外れたので、一週間、ドコモショップとオンラインストアと家電量販店(ケーズデンキ二店舗、Joshin、ヨドバシカメラ、ビッグカメラ)を何度も行き来し、悩みに悩んで、うんざりしながらオンラインストアで新しいものを買った。  本当は、まったくこれっぽっちもびた一文も払いたくないくらい買いたくなかったのだが、現行のスマホは三年前の一月に購入したもので、使用期間がすでに三年八ヶ月になっているし、去年も一度(ドコモショップの

私はつくる、それだけ

何者でもない私の書いたものに反応があり、何者でもない私が撮った写真が誰かの記事を飾る。時々、不思議な気分になる。私が私として存在することを許されている、それだけではなく、ただパソコンのキーボードを打ち、ただカメラのシャッターを切るだけの私の指先が、あたかも小さな魔法を使っているかのような、そんな錯覚さえ抱く。 何者でもない私も、誰かの何かになれるのではないかと、あわい期待が過る。そうなれずとも平気だが、そうであるのならもちろん、嬉しい。 * 文章を書く手が止まる。自らの

全部が嘘なのかもしれないと思うとき

 ――私がnoteに書いていることのどこからどこまでが真実で、どこからどこまでが嘘なのだろう?  時折、そんなふうに疑心暗鬼になる。自分で自分について書いているだけなのに、どうにも自信が持てなくなる。虚栄心と劣等感と自尊心が同時に息をして、いずれの言葉が私の素直で、本音なのか、私は私を見失う。全ての記憶と思考は私の虚飾で、妄想で、ここには何一つ真実はないのではないか。そうして、本当は、「私」などという存在は、生きてはいないのではないかという恐怖を思い出す。  魂の実在につ

夏の思い出'19

 最後の審判を下す存在でもないかぎり、善人か、悪人か、という両極に振り分ける問いの答えを考える意味はあまりないと思うけど、まあ、私は「いい人」ではないよな、と時々独りごちる。――少し前の私は、みんなに好かれるような人になりたかった。みんなに好かれているっていいなと思っていた。「みんな」って誰のことなのか、知らないけど。でもさみしかったから。私はとてもさみしい人間だったから、誰かは知らない「みんな」に好かれているという光景が、瞬くたび、否応なしに胸を焦がした。  だけど一方で、

歩道橋から

職場のデスクの上に、ソール・ライターのポストカードを飾っている。雪の積もったモノトーンの世界に、道をゆく人の真っ赤な傘だけが咲いている写真だ。ライターが白黒写真からカラー写真へと移行した時期に撮影された一枚だったと思う。 ときたま、仕事の隙間になんとなくこの写真を一瞥して、拠点を変えることなくニューヨークの日常を撮り続けたライターのことを、私は、ほんのちらっとだけ考える。 高校生になって通い始めた英会話学校は、市の中心部のさらにど真ん中のビル群の中にあって、当時の私は、ビ