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脱出ゲームと、コミュ障な私と、場づくりの話

脱出ゲームへ行ってきた!

週末、株式会社SCRAPが企画・運営しているリアル脱出ゲーム、名探偵コナンとのコラボ「紺青の美術館からの脱出」に参加してきた。一人行動の多い私だけど、今回は友人を誘って! 脱出は失敗したけど楽しかった!

受付で「脱出ゲームは何度目ですか?」と訊かれて「初めてです」と答えた私なのだが、よく考えたら二年前に、ディズニーアンバサダーホテルで開催された「ミッキーとミニーの消えた映画台本の謎」に一人でチャレンジしていたし、何年も前の、パーク内で実施された初期謎解きイベントも別の友人と行っているので、うん? 私、初めてではないな? と思った。参加しながら「この謎解きの仕方めっちゃ既視感あるし私これの読み解き方知ってる気がするな……???」って感じていたんだけど、単に、「脱出」というイベント名のものが初めてなだけであった……。運営さん、嘘を申し上げてすみませんでした。友人は純度100%の初めてさんだったよ!

まあ、パーク内のも、アンバのも、失敗しているので、私はポンコツなんだけどね! てかアンバの謎解きもやっぱり提供:SCRAPだったのかな~。

一テーブル六名の構成で、私たちのテーブルは、二名×三組の六名だったんだけど、お互いに「初心者です~」と挨拶を交わしたわりにはどんどんどんどん謎解きが進んですごかった! みんなすごいね!


「協働の場」をつくるということ


私は、ここ何年か、全く知り合いのいない環境に飛び込んで、グループワークをするという経験を積んでいたので、スタート当初の熱気と勢いに(みんな走り出すからびびった。笑)一瞬固まった以外はわりとふつうに「参加した」って感じだったんだけど、友人は一歩引いてしまったらしく、知らない人同士で協働する環境づくりは、主催の呼び掛けや、「その場を共有している」勢いだけではどうにもならないなあと考えもした。

脱出はワークショップではなくあくまでもゲームなので、「(恐らく)全員がテーマのコンテンツを知っている前提」「参加者がどういう状況下にいるのかという演出」があるから、「グループの仲間に挨拶をしましょう」というだけで最初のアイスブレイクが終わるんだけど、問題が解けるか解けないかスレスレの時間制限があって焦りが生まれるぶん、知らない人同士だと分断が生じやすいワークになりがちだろうなあという印象も受けた。

運営側は「みんなで協力して、仲間に情報を共有して、分担して進めましょう!」と事あるごとに声掛けをしてくれるけど、一見同じレベルに思えても、一度でも経験のある人は自分の知っている範囲で物事を進めてしまうし、友人のような全く一回も謎解きに触れたことがない人は困惑したまま話が次へ移ってしまうし、このへんはけっこう難しいという気がする。私も、謎を解くための資料、ほとんど見せてもらっていないし(笑)。

個人的には、折角、ゲームが始まるまでの間に待機時間があるのだから、そこでアイスブレイクができる仕掛けがあればいいのに、と思った。


「場に参加する」とは

友人は楽しかったと言ってくれたし、そのあとふたりで特典トランプの謎解きをしたことで、彼女の「なんとなく一歩引けてしまった」消化不良感は解消できたようなので、結論はやっぱり「楽しかったよ!!!」なんだけれども、次はできれば知り合いをそろえて一テーブル借りたいよね、誰も発言に臆する必要のない環境で考えたいしね、ということも話し合った。

一つでも自力で謎を解けたところがあれば「参加した」体感が得られるのかと考えると、それについては、私は「NO」だと思う。役割を得る、ということが協働ワークの中では重要で、たとえ自力では一つも謎が解けなくても、発言が活かされたり、これをしてほしいとお願いされたり、「自分がそこにいる必要がある」という手応えこそが「参加していた」という体感につながるのではないだろうか。

私は、友人も十分参加していたように見えたけど、彼女の中ではそうではなかったのだし、お互いにもっと話せばよかったなとも思う。


私は引っ込み思案のコミュ障です、だからこれはコミュニケーション技術の話

アイスブレイクする仕掛けがあればいいのになあ、と前述したけど、今回の「紺青の美術館からの脱出」は、劇場版名探偵コナン「紺青の拳」とのコラボ企画なので、私は待機時間中に「皆さん映画は観られたんですか?」と話題を振って打ち解けるようにした。これは間違いなく共通の話題だから。友人と私は実は未履修だったのだけど、それならそれでそのことを伝えれば、おすすめポイントなどを自然と話してもらえたので、ゲームが始まって以降も連れ同士だけの会話にならないようにする小さなアイスブレイクはできたと思う。初対面の一言目でオープンクエスチョンは会話の展開が難しいので、やっぱりここはクローズドかなあという感じだった。

さて、ここまで書いておいて「私はめちゃくちゃ人見知りでコミュ障なんです」と言っても誰も信じてくれない気がするのだが、私は、超・引っ込み思案の人見知りである。ランチを食べながら友人にもそう言った。全然そんなふうに見えなかった、ぐいぐい話すからびっくりした、とのお墨付きをもらったので、これはもしやこれまでの努力が実を結びだいぶスキルアップしたんじゃない!? と思ったので、自分を褒めてあげたい。

そうなのである。これは個人の性格とは関係がない、技術の話なのだ。


誰かの後ろを歩くだけか、一人で歩くだけだった

私は、子どもの頃から知らない人ばかりの場所では母の服の裾を掴んで挨拶すらままならなかったし、中学時代にいじめに遭った後は、人付き合いがますますよくわからなくなって、活発な友人たちの後ろをただ付いていくだけの人間だった。盛り上がる会話に割り込むのも苦手だったし、内側に籠もるぶん自意識の肥大化は進むばかりだし、コミュニケーションが下手すぎる自分が嫌で、大学時代のアルバイトは、武者修行と称して接客業を選んだのだ。それでも大学内では一人でいることが多かったし、そもそも一人遊びが好きなこともそれに拍車を掛けて、どこでもなんでも一人でやるし一人で行く、という社会人になった。

とはいえ、一人がさみしいときはやっぱりあるし、一人では参加できない(しづらい)ものもあるし、大体、仕事は独断専行でできるものではない。自分からコミュニケーションを取れるようにならないと、道が開けないことはよくある。人見知りを盾に、誰かの後ろに隠れてはいられない。

病気を経てからはなおのこと、言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン! みたいな気持ちになって、色々勉強してきたわけなのだけど。


コミュ障が「場づくり」を学んできたことで

ファシリテーションやワークショップの勉強会へ出掛け、その都度、私が出会った人たちはフリーランスの方が多かった。独立している皆さんは自らいろんな企画を立てて主宰していて、「石橋を眺めて叩いて観察した末にその石橋を渡らない」タイプの私は、その様子を眺めながら、結局、引っ込み思案と劣等感に潰されそうになっていたりもしていたのだが、「脱出ゲームで知らない人と協働する」という今回の体験を通して、技術の勉強をしてきたことはむだじゃなかった! と少し自信を持つことができた。

何を成し遂げたわけでもなく、脱出にも失敗したけど(笑)。

脱出ゲームで必要なのは「議論」ではなく「対話」。話し合うこと、理解すること、手伝いを頼むこと、互いを助けること――それらが「脱出」、つまり「問題の解決」に必要不可欠な技術になっている。このゲームは、仲間内で対立が始まった瞬間に破綻する。そういうチームがあったかどうかは定かではないけれど、対立は私たちの出口を閉ざしてしまうだろう。

コミュニケーションの技術を学んでいる、という経験は、私にとって、確かに一つの財産だ。たとえそれらで、他者の人生を変えられるほどのすごいことを成し遂げられてはいなくても、私は「イマココにいる人たちの楽しい瞬間の小さな助けになれる」と思った。初対面の人間関係を少しほぐして、たった一時間のゲームをより生き生きとした楽しいものへ変えることができるだけでも、私の学びには意味があるんじゃないかな。

チーム内で歓声や拍手が多かったのは、一緒に楽しめた証拠だよね。


断っておくと、私がチームを引っ張ったわけではない。だって、ゲームのスタート直後は置いていかれたし(笑)。そうではなく、顔合わせ時の沈黙や、会話や思考が行き詰まったら口を挟む、という感じだった。ファシリテーターとはそういう立場の人であるし、私がこれまで学んできたその役割を気負うことなく自然と担うことができてよかったと思う。

人見知りのコミュ障も、技術を覚えれば円滑なコミュニケーションを図れるし、人見知りでコミュ障だから、緊張した空気を嗅ぎ取ってコミュニケーションの手伝いをすることができるのかもしれない。

などと、一進一退を繰り返しながら歩いている道の上で、少し嬉しくなった一日だった。脱出ゲーム、楽しかったですよ!


※脱出ゲームそのもののネタバレになりそうなことは記載していませんが、問題がある場合は適宜修正しますので、コメント願います。
※調べたら最初から役割分担のある脱出ゲームもあるようなので、自分に合ったものを選んで参加してみるのも手なのかも? 私は単にコナンが好きなので友人を巻き込み行ってみたかっただけです(笑)。


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