見出し画像

愛と憎しみと私の名前




 名前って難しいよなと思う。
 ここ何年か「名付けの意味がよくわかるいい名前だよねえ」と言ってもらえる機会が多く、嬉しい反面、気分によってはやっぱり「親の愛が重い」と思う日もある。私は長子で、父と母がお互いにそれぞれ好きな漢字を一つずつ出し合って、何日も前から意味を考えて付けた、ということを、私は、保育園の卒園文集のときから知っているので、まさしく「愛を背負って生きてきた」感じなのだ。(弟ズは産まれてから考えていた。真ん中は、私がのび太がいいと言ったので、危うく「のび太」になるところだった)

 小学生になって漫画を描き始めたとき、適当にキャラクター名を付けていた私に、父は「名前の意味を大事にしなさい」と言った。そのときはふーんと受け止めたものだったけれど、創作活動を長く続けるにつれ、いくつものキャラクターが「名は体を表す」を本当に地でゆく人生を送るので、こりゃあいかん、ちゃんと考えねば、と私も思うようになった。



 名前に見合うだけの私になれているかどうか、自信はない。
 漢字はめずらしいが音は実にありふれていて、そんなご大層な名前ではないのに、どちらかというと名前負けをして生きているような気がする。

 名前に込めた想いと同じだけ、両親は私に対して異様に過保護だったし、弟たちには許されることも、私はさせてもらえないことが多かった。大切にされているということだよ、と人は私を諭すけど、箱入りも行きすぎるとただの生殺しである。私は弟たちより頭がよかったと思うし、やりたいことも常に明確だったけど、「女の子だからそこまでできなくてもいい」「手許で育てて、そのうち結婚して家庭に入って生きていくのだから、独立しなければならない弟たちのためにお金を掛けたい」という親の願望は、残念ながらいつも透けて見えていて、そのために一時は、自分の名前が本当に嫌いだった。愛情は重かったし、名前はかえって私の首を絞めていたと思う。

 我が家、どころか親戚一同共働きで、大学を首席で卒業している母は父より高給取りだし、だというのになんだその男尊女卑は!
 高校のころは、そうして、心の中でいつもキレていたような気がする。


 ただ、私が幸運だったのは、両親は「話せばわかる」相手だったことだ。
 話せばわかる、といっても、それは一人デモ(一人でやることをデモとは呼ばないが)を続けてようやく声が届いたという感じではあったけど。
 大学院進学の闘争のときに、私が二十数年間抱えてきたものを洗いざらいぶちまけて、大泣きして、そのときにようやく、自分たちが善かれと思ってやってきたことが全く私のためになっていなかったことを理解したらしい。

 一頻り大騒ぎしたあと、自室で蓑虫のように布団にくるまった私の枕元に来た母は、そんなつもりじゃなかった、と言った。

 お父さんも、お母さんも。
 そんなつもりじゃなかった。
 そんなつもりで言ったんじゃないよ。

「あなたのためだと思ったから」



 あのときの母の声を、私は忘れることができない。
 何年経てども、死ぬまで果てしなく恨みがましいような気もするし、絶対的な庇護者でありながら強固な鉄壁でしかなかった両親も、やっぱりただの「人の子」でしかなく、私たちを育てることに一生懸命で、初めてのことに行きすぎてしまったその無様さが愛おしいような気もする。

 大抵の愛は、独り善がりだ。

 あなたのためという言葉は、往々にして自分のためだ。

 ただ、私はそのとき、父と母が呼ぶ「私の名前」を本当の意味で理解し、この名前でこれからも生きていくことを受け入れようと思った。そのあたりから、webで使う名前もどんどん本名に寄せたものへ変わっていった。少しずつ、嫌じゃなくなった。父と母の育て方は、私にとっては、到底私のためと思えるものではなかったけど、それなら全部が愛ではなかったのかと人に問われたら、そんなことはないよと今の私は笑うことができる。
 今でも、許せないことはある。
 腹が立つことも少なくない。
 愛情が重すぎてしんどいんだが、と息苦しい瞬間も、ふつうにある。

 だけど、誰かが「私の名前」を呼んでくれるその響きを、私が好きだと思えるのは、父と母のおかげだと思うから、それだけは疑わずに生きている。




 とはいえ、私が大学院へ進学した直後は、父も母も、やっぱり心中穏やかではなかったんだろうなあと思う。ふたりとも「こんな予定ではなかった」雰囲気が滲み出ていた。ざまあみろ、と私は心の中で舌を出したものだ。

 院を修了し、私はちょっと旅に出るとか言って半年くらい親元を離れて、帰ってきて、追いかけてきた夢の端っこを掴んで、そんなことを重ねながら、少しずつ、少しずつ、ほどけるように、融けるように、家族をしている。家族って、血がつながっていようがいまいが、自然と「なれる」ものではなくて、いつでも「なる」努力がいるんだろうな、と私は思う。

「私はこう思う」という言葉を、私があなたの名前を呼ぶことを、あなたが私の名前を呼ぶ声に耳を傾けることを、ひとときだって惜しむことなく、父と母と弟たちと、私は家族を続けている。





------------------------


 いろんな絆のかたちがあって、いろんな愛のかたちがあって、いろんな憎しみのかたちがあって、くっついたり離れたり、付き合ったり別れたり、そんなことは当たり前で、私のこのnoteはただのきれいごとみたいなものだけど、まあ、たまにはきれいごとだって必要でしょう。愛着障害のような難しい関係性についてのnoteは、私が書かなくてもたくさんある。

 ちなみに、私は、親と和解するのに十年、こういう文章を素直に書けるようになるまでさらに十年費やしているので、いいんだよ、うまくいかない人はけんかしたり、離れたり、恨んだりして生きてみて。私が許そう。
 たとえ最後まで親を愛せなくたって、別にいいだろ。

 ただ、そんなあなたの名前を、私はたくさん呼びたい。

 本名でも、本名が嫌なら愛称でもハンドルネームでも、あなたが呼ばれたい名前をいくらでも。そうしてあなたも、誰かの名前を呼んでくれたなら、私は嬉しい。名前はただの記号ではなく、表象でもなく、あなた自身であって、あなたがいて初めて生まれるものだから。




 Dear my Angelica, thank you from the bottom of my heart, I love you.

この記事が参加している募集

名前の由来

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?