星と私とあの日の愛と
noterのRIOさんにホロスコープを見ていただきました。
まずは、いきなりRIOさんの記事に突撃し、鑑定をお願いした不躾な私にも快く応じて下さってありがとうございます。楽しく拝読しました。
一年間自分のことをずっと悩みながら書いてきて、どこかで区切りをつけたいと思っていたので、ご縁があったことに感謝です。
読み終わったあと、「実に私である」と思った。実に私だった。
おもしろいなあ。
惑星同士のアスペクトについてきちんと説明していただいたのは初めてだったので、特に興味深かった。太陽と木星のコンジャクション、太陽と冥王星のオポジション、月と海王星のセクスタイル――ホロスコープ上で真隣にあったり、対極にあったり、とんがった位置にあったりするあれだ。
自分で必要事項を入力するシステマチックな鑑定だと、ホロスコープの読み方そのものの説明はほとんどなくて「あなたはこういう人ですよ」という結果しか提示されないから、今回、RIOさんにお願いしてよかった。
*術者の感想*
木星の保護があるので羨ましいなと思いました。ポイント②でも出た結果の通り、恋愛や結婚においては束縛のし過ぎや共依存にならないように注意してください。
※
私が生まれたこの日のこの時間帯はずっと雷が鳴っていたらしい。だから私は、弟と比較して非常に気性が荒かった(感情の起伏が激しかった)こともあって、子どものころから「雷の子」と両親に笑われて生きてきたのだけど、なんの因果か、身の回りには雷にまつわるものがあふれている。
神話においてゼウスが化けた太陽星座の牡牛座は私の中でその筆頭だったのだが、「木星の守護」と言われて噴き出してしまった。
木星といえば、雷だなあ(ただし、金星、土星、天王星にも雷放雷現象説はあり、木星だけが地球以外で確実視されているというのが従来の研究である。少し古いが雷にまつわるJAXAの記事)。
自分の立場を維持するのに常に保護がある。幼い頃から保護が働いているので、このアスペクトの人には何も考えていない気楽さが感じられる。
雷といえば、何年か前に、知人と京都の上賀茂神社へお参りした。
正確に言うと、参拝の予定はなかったのだけど、下鴨神社へお参りして一服したあとに、先述の「雷の子」話をし始めたその瞬間、目の前のバス停に上賀茂神社行きのバスが停車したので、知人と顔を見合わせて「これは参拝したほうがいいあれですよね?」などと言って、結果的に参拝したのだ。
知人いわく「京都ではよくある」らしいけど。
よく来たねって言ってくれてはるよ、とお参りのあとに知人が言ってくれたのを、いまでもよく覚えている。
そろそろ、京都に行きたい気分が最高潮かもしれない、これは。
※
かつて私が五年を費やして書いた小説が「共依存」する関係性についての話だったのは、まあ、知る人ぞ知る事実だ。
今年は、愛について、エーリッヒ・フロム『愛するということ』を熟読したのがとてもよい経験になっていて、依存的に愛することから私は立ち上がらなければならないと考えていたので、RIOさんの鑑定も、とても時宜を得た言葉だと感じている。
この話は、短編小説として書いたときから多くの人に読んでもらえて、さまざまな感想をいただいて、本の形にすることもできた、私にとって本当に大切な小説であったけれども、彼女の苦しみを私から手放すことができてよかった。年の初めに「片付ける」と決めたことを、年の暮れになって、あらためて私はそう思う。彼女ではない続きの物語は今後も書きたいと考えているけど、そこで描きたいものはこれまでとは異なるあり方なので、私も成長していかなくてはいけないなと、気持ちを新たにしている。
うん、よりよいものをつくろう。
まだ見ぬ誰かに「出会えてよかった」と思ってもらえるような物語を。
変わって、変えてゆくために、私はこの道をゆくよ、アンジェリカ。
※
長い旅路の途中にいる自分を意識する一年だったなあと思っていたのだけど、客観的な言葉をいただいて、さらにその意識が強くなった。
日常的な普通の成功では満足できず、もっとグレートでパーフェクトな達成を自分に要求する。
それだ。いや、まとめてしまうと、本当にそれ。
鑑定の内容についてこうしてちょこちょこと書きながら「やっぱり私だった」と笑ってしまう。やっぱり私だし、実に私である。
選んできたこと、選んでいくこと、全部がきっと、道になる。
RIOさん、重ねてありがとうございました。
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