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スマートフォンを探して店を渡り歩き考えた「人」と「もの」のこと



 八月の終わりに、スマートフォンのリチウム電池が膨張して裏蓋が外れたので、一週間、ドコモショップとオンラインストアと家電量販店(ケーズデンキ二店舗、Joshin、ヨドバシカメラ、ビッグカメラ)を何度も行き来し、悩みに悩んで、うんざりしながらオンラインストアで新しいものを買った。

 本当は、まったくこれっぽっちもびた一文も払いたくないくらい買いたくなかったのだが、現行のスマホは三年前の一月に購入したもので、使用期間がすでに三年八ヶ月になっているし、去年も一度(ドコモショップの店員と言い合いになった末に)バッテリーを取り替えていて、長い目で見たら修理費がむだな出費になるのは明らかだったので、仕方なしである。


 購入するにあたって、機種変更にするか、大手キャリアで乗り換えるか、格安SIMにするか、SIMフリーのスマホを単体で購入してドコモSIMを挿すか、まあいろいろ検討したのだけど、結局、全部自分で手続きできるオンラインストアの機種変更で片付けた。

 手続きした際、一か所だけよくわからない料金表示があり、チャットで質問したのだけど、レスポンスは早いし、的確だし、何より余計な押し問答もなくスムーズで、必要最低限のやりとりで不快な思いをせずに終えられたので、個人的には最良の判断だったと思う。



 ものを買うときに「気持ちよく購入できるか」は、私にとってはかなり重要なことだ。スマートフォンのような日常的に肌身離さず持ち歩くようなものであればあるほど、この観点は、値段や品質に勝るような気がする。
 どんなことがあって、どんな気持ちで買ったのかは、それを使用している間、無意識にでも、脳の記憶メモリをずっと動かしているからだ。
 「不快な思いをして購入した」ものは、どうしても、扱いがそれ相応になりやすい。丁寧に使おうという気持ちに全然ならないのである。ネガティブな思念がこびりついたまま、ものの寿命を短くする。


 私には、「探していたものでもないしすごくほしかったわけではないけど、この店員さんからなら買いたいな」と思って購入した商品は、大体もの持ちがよい感覚があって、だからこそ、人を見て買う、という体験を大事にしている。これを縁というならきっとそうなのだろう。
 今回もいろんな人と話をしたが、文字だけのやりとりだったけれど、ドコモオンラインストアのチャットの担当者が一番丁寧で親切だった。もちろんマニュアルはあるだろうが、一言の選び方で印象は決まるものだ。

 一方、フレンドリーでわかりやすいし、ものすごく値引きもしてくれるけれど、この人からは買わなくていいなと思ったのは格安SIMの担当者で、何といっても私の話を聞く姿勢がなかったのが印象深い。商品を売らなければならないのは百も承知だが、客からのヒアリングをおざなりに、商品のよさや安価を強調されても「そうですか」という気持ちにしかならなかった。
 さらに、この「フレンドリー」も良し悪しがあるよなあと私は思う。私はカジュアルに話しかけてくる店員に耐性のある客だと思うが、それでもやはり、初対面の客にその距離感はどうなんだ、と感じることはある。

 販売職ではないけれど、私自身、接客業に長く従事していたし、秘書の経験もあるので、「客」と直接やりとりをする人間はいつでも「会社の顔」であるし「商品/サービスの印象」そのものだと思う。

 その商品をいいと感じるかどうか、この店で買いたいと思うかどうかは、何も、商品の値段やデザイン、性能のみで決まるわけではない、と今回、改めて考えた。



 ところで、家電量販店でスマートフォンを買い換えようとするとき、各キャリアの担当者しかいないのは本当に不便だなあと思った。無論、担当しているキャリアの利点の説明しかしないので、選択肢を狭められた状態で決断を迫られ、買う自由がない。こんなに楽しくない買い物があるのかという。
 ガジェットが好きな人ほど、もう実店舗では購入していないんだろうな。

 ああ、デパコスを歩きまわって、美容部員さんたちとキャッキャしたい。気持ちよく買ってなんぼの世界である化粧品カウンターは幸せである。



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