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夏の思い出'19




 最後の審判を下す存在でもないかぎり、善人か、悪人か、という両極に振り分ける問いの答えを考える意味はあまりないと思うけど、まあ、私は「いい人」ではないよな、と時々独りごちる。――少し前の私は、みんなに好かれるような人になりたかった。みんなに好かれているっていいなと思っていた。「みんな」って誰のことなのか、知らないけど。でもさみしかったから。私はとてもさみしい人間だったから、誰かは知らない「みんな」に好かれているという光景が、瞬くたび、否応なしに胸を焦がした。
 だけど一方で、本気で殺したいと思うほど、人を憎んだことのある私は、今さらそんなきれいな人間にはなれないということをわかってもいて、背負った罪の重さに堪えかねると、かえってひどく悪ぶったりもした。そういうときの私は、誰よりも「悪い人」になりたかった。人を傷つけ続ければ、私は誰にも許されることがない。「誰にも」の指すものが何なのかは、やっぱり知らないけど。ただ許されたくはなかった。私の中にある、ひどく醜い感情を、私はずっと罰し続けたかった。
 両極を振れて、行きつ戻りつ、まるでフーコーの振り子は止まらないものだと思っていたように、そうして感情の覚束ない、ろくでもない人間のまま生きていくのだと思っていた。


 今は、いい人でもないけど、目立って悪い人なわけでもないから、別にいいか、と思う。私を嫌う人もいれば、好いてくれる人もいるし、どうでもいいままの人もいる。気づいてみればそれだけのことだ。そんなものだった。

 誰かに想いを傾けすぎるのは、たぶん、私のあんまりよくない癖なのだと考えるようになった。もっとさらっと愛したらいいんだろう。私が想うだけの熱量と同じものを返してもらえることなんて奇跡でしかないのだと、私は早くに思い知るべきだった。私の中には無償の愛なんて存在しないのだと、あの日死にたかった青空の下で、私は私を戒めておくべきだった。
 さみしかった。死にたかった。殺してほしかった。どうして生まれてきてしまったんだろう。私の中の怪物。ろくでもない。


 下種でしかないこのろくでもなさを、私のいびつさを知りながら、何年も、見捨てずにいてくれる人がいる。こいつはあたまがおかしいなと思う。おかしくて笑ってしまう。笑って、泣いてしまう。あなたを好きな私を、同じように、好きでいてくれてありがとう。まあ、いいんだ、私がいい人でも悪い人でもなんでもなくたって。あなたが笑顔で「この夏も会えてよかった」って、言ってくれるなら。
 生きてきてよかったって思う。
 あなたがつなぐ、新しい命を言祝げる今日が嬉しいから。






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