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クソイグアナ男さんインタビュー「クソさと共に生きる」

今回ご応募いただいたクソイグアナ男さんは,事務員として働きながらほぼ毎日noteにエッセイや小説を投稿しています。

https://note.com/iguana_14

今回は,①「誰よりもズルくてクソだ」とご自身で考えていらっしゃる人間性と,②自己表現と熱中の場であるnoteでの活動についてのインタビューをご依頼いただきました。
これまでの歩みを追いながら,現在感じていることを紐解くようなひとときでした。

以下,「―――」がついているのがはなすばの発言,付いていないのがクソイグアナ男さんのご発言です。

友人による癒し【小学生時代】

―――本日はよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。

―――まずは,インパクトのある人間性の話から時代ごとに振り返っていこうと思います。事前に,小学生時代にはサッカークラブのエースとして活躍し,「学校やサッカーが楽しい」「家にいるよりも友達といたい」といった気持ちだったと伺っております。またそれには,当時のご家庭の事情が影響している,とのことでした。
 小学生の頃から既にサッカーがお好きだったとのことですが,クソイグアナ男さんにとってサッカーの醍醐味はどのようなところにありますかね?

 サッカーはそもそも兄二人がやっていた影響で始めたので,醍醐味とか正直分からなくて…ただ「やってみたら楽しかった」という感じですね。しいて言うなら,得点を決めるところはやっぱり華やかで良いと思いますね。基本的には攻撃的なポジションだったので。

―――小学生時代はお父様の借金があって大変な時代だった,とのことですが,小学生が事情を理解することはなかなか難しいかと思います。今振り返ると,当時はどのような心境でしたか?

家庭の状況とかって,やっぱり子供には分かりづらいと思うんですけど…僕の家の場合は両親の仲が急に悪くなったんですよね。ちょっと会話とかが聞こえてくるわけですよ,今月の給料の話とかを夜にしてるのが。そこで事情を察していったみたいな感じですね。

―――分かりました,ありがとうございます。当時は学校やサッカーが楽しかったと伺っているのですが,その大変な時期の家の外の時間というのはどのようなものでしたか?

家の雰囲気が良くなかったので,当時から外で友達と夜遅くまで話したりしてたんですけど,すごい楽しかったですね。「幸せ」っていうか,友達に会うために学校に行って,「友達と話すために生きてる」みたいなところがありました。なので外での時間は,本当に自分の人生の支えになってたかなって思います。

―――そうだったんですね。ありがとうございます。ちなみに今「友達と会うために学校へ」と仰っていましたが,小学校時代の勉強への気持ちはどういったものでしたか?

僕小学校の時勉強全然できなくて,というよりそもそもやる気がなかったんですよね。算数とか5年生ぐらいでつまずいたりしてて。でも別にそれで困ることもなかったので,ただ点数が悪いだけで,「問題あるのかな?」っていう感じで特に気にしてなかったと思います。

怒られるのが怖い。【中学生時代】

―――そうだったんですね。それでは中学生時代のお話に移ろうかと思います。中学生の時もそこまで勉強はせず,得意ではなかった。ただ,真面目な生徒だったと伺っております。また当時かなり部活に打ち込んでいて辛い時期でもあったけれども,辞めるわけにはいかないかった,とだけ伺っております。
まず「めちゃくちゃ真面目な生徒だけど勉強しない」というのは,生活態度が真面目だったということでしょうか?


そうですね。成績はオール3で勉強ができる生徒でなかったんですが,クラス内でのリーダーシップは割と発揮してたんですよね。部活でも学校生活でも。そういうのもあって,勉強はイマイチだけど,真面目と言われてた気がします 。

―――まとめる立場になることが多く,その姿勢を周りから評価されていたということですね。自分としては,当時勉強がそこまで得意ではないことをどのように感じていましたか?

「勉強できた方がいいな」ってずっと思ってたんですけど,部活のサッカーの方が忙しすぎて,そっちに時間を割くことができなかった,と言った方が良いかなと思います。やった方がいいと思いつつ,やれてなかったですね。


―――部活でもまとめ役として部長をやられており,部活が死ぬほど辛かったと伺っています。この辛さは体力的なものですか?

いや体力的にも精神的に結構きつかったですね。

―――それは…人間関係とかですかね?

人間関係は大丈夫だったんですけど…うちの中学校のサッカー部は割と強くて,顧問以外にも外部コーチみたいな人がいたんですよね。その人の練習がめちゃくちゃきつかったんです。練習が6時半ぐらいに終わるんですけど,そこからほぼ毎日走り込みが始まるっていう酷さで…。全校生徒が帰宅した後も部活やってるみたいな感じで,家帰ったらご飯食べながら寝ちゃう,みたいな生活でした。

―――それは確かに,勉強する余裕がないですね。そんな中学生時代から,怒られるのが怖くてふざけたい気持ちを抑えていたと伺っています。この時の辛さは,どんなものでしたか?

そもそもあんまり人から怒られたくない人間だったんですけど,中学校の頃にそれが顕著に現れたんですよね。部活とかでは,皆の前で槍玉に挙げられて罵倒されたりするわけですよ。試合でミスしたら怒られたりとか。それが恥ずかしいし,部長っていう立場もあって情けないし…勿論怖いし。そういうのもあって,怒られるのは精神的にきつかったですかね。

―――そうだったんですね。得意な方はいないと思うのですが,元々怒られるのが苦手であり,その上厳しいやり方で怒られたために,より苦手になっていったのですね。

そうでしたね。

―――ありがとうございます。小さい頃から,周りの大人の方は厳しかったですか?

いやそんなことはないですね。優しい人が多かったんですけど,小学校生活の半分をもたれた担任の先生がめちゃくちゃ怖くて。機嫌が悪いとめっちゃ怒るし,機嫌がいいと別に怒らないしで理不尽な先生だったんですよ。その人と出会ってから,「なんで怒られてるか分からない」みたいなこともあったので,そこで怒られるのが苦手になったかもしれないです。

―――そうだったですね。当時のクソイグアナ男さんはいわば「親しみやすい優等生タイプ」でしたが,機嫌に左右されがちな担任の先生の理不尽さで,怒られることが苦手になったということですかね?

そうですねそんな感じですね。

―――分かりました,ありがとうございます。その「怒られるのが怖い」という気持ちから,当時は周りと一緒にふざけなかった,と伺っています。その時の,ふざけている周りの方からの反応はどういったものでしたか?

一時期は省かれてるように感じてましたね。やっぱり子供の頃って「一緒に怒られた」とか「一緒に危険な体験をした」とか,そういう意識の共有みたいなのが大きな経験になると思うんですね。でもそういったことを,「駄目なものは駄目」って思ってやらなかったんです。なので,ちょっと煙たがられる感じもありました。皆に合わせたい気持ちの方が強かったんですけど,やっぱり一線は越えなかったですね。中学校時代には凄くいたずら好きな奴もいて色々な悪さとかしてたんですけど,そこにはいかず,その手前の「ちょっと良くないこと」までしかやっていなかったです。周りも自分に対してそこまでしかやらないと認識した上で受け入れてくれていたので。でも「少し合わせてみる」っていう変化はありましたね。

―――合わせたい気持ちと,自身がやっていいと感じる限度との間でバランスをとっていたんですかね。

そうですね,バランスをとっていました。

オン/オフの獲得・自我の芽生え【高校生時代】

―――分かりました,ありがとうございます。それでは高校時代の方に行きますね。高校時代については「勉強する余裕が出てきて,やってみたら成績が上がった」「サッカーに対して人生で一番の力を注いでいた」と伺っております。
これについてまず疑問に思ったのですが,サッカー強豪の高校に入って本気で取り組んでいたのに,勉強の余裕があったのはどうしてでしょうか?

自分でもよくわかってないんですけど,小中高大ってそれぞれ学校に通う中でその時代の後半になってくると,視野が広がったり学校生活に慣れて余裕が出てきたりとかするんですよね。それが特に出たのが高校時代だったんです。高校時代も1年生の頃は余裕なかったんですけど,3年生ぐらいになったらサッカー本気で取り組んでも家帰って勉強する余裕ができたり,その体力がついたりしていきました。あと朝練は自由参加だったので,「朝練の時間に学校行って勉強しよう」とか自分で意識を分けられたっていうか…サッカーがきつくても勉強もちゃんとやる,バランスをとる学校生活を送れるようになりました。

―――つまり,高校時代もかなりサッカーを頑張っていたが,オン/オフを切り替える力がついたことで余裕が生まれ,勉強にも取り組めた,ということでしょうか?

そうですね。そこ,多分結構大きいですね。この時から,オン/オフを意識的に切り替えられるようになったと思います。

―――その理由として「体力ついてきたから」っていうのも話されていましたが,切り替えなきゃと思うきっかけはありましたか?

高校2年生の時のクラスが,自分の学生時代の全クラスの中で一番つまんなくて,友達もほぼいなかったんですよね。その時に凄く悔しかったっていうか,誰に悔しがってるんだって感じなんですけど,勉強しかやることがなかったんですよね。他のクラスに遊びに行くとかもできたんですけど,やっぱり空気感は違うんですよね。なので自分のクラスに引きこもって,漫画読むのも飽きるし当時は別に YouTube もそんな面白くなかったし,「じゃあもう勉強しようかな」って。部活の時には部活をちゃんとやるし,学校生活では勉強をちゃんとやる,って感じでオンオフ切り替えられるようになりました。

―――そうだったんですね。さきほど娯楽系が面白くなかったと話されていましたが,逆に勉強に対しては「面白い」と感じていたのでしょうか。

勉強自体は別に面白くなかったんですけど,「やればやるだけ結果がでる」 って分かったのが楽しかったんですよね。分からないことが分かるようになっていくのは,本当に楽しかったです。

―――なんだか,「得点を決めることが華やかで楽しい」というサッカーに感じる醍醐味に似ていますね。結果が目に見えるところが好き,といったところが。

確かにそうですね。

―――ありがとうございます。高校時代のサッカーは,勉強と折り合いをつけながら「人生で一番頑張ったもの」だと伺っていますが,同時に「もっとやれたな」と感じていると伺いました。それはどうしてでしょうか?

今振り返っても,勉強も部活もちゃんとやるのは最善のやり方だったと思っていますし,サッカーに全振りするのも良くないな,と感じます。「もっとやれたな」というのは,チーム内の立ち位置とかやるべきことについて,もっと視野を広げることができたはず,と思うんですよね。例えば,当時結構試合には出ていたんですが,ちょっとベンチの時期があったりもしたんです。今だったら,そこで「状況を受け入れてもっと頑張ろう」とかできるんですけど,当時はふてくされたり気持ちが揺れてしまったりすることが多かったんです。なので思い返すと,もうちょっと視野を広げたり自分の立ち位置を理解したりして上手くやれたのかな,って思うんですよ。

―――なるほど,ありがとうございます。そんな風に部活も勉強も熱心に取り組んでいた高校時代に「それまでより自分を出せるようになった」と伺っています。それについて,何か覚えているきっかけや当時の気持ちを聞かせていただけますか?

うーん………ちょっと待ってくださいね。

―――はい,ゆっくりで大丈夫ですよ。

(しばらくして)

きっかけは…そんなに覚えていないんですけど,とにかく学校がすごい楽しくて。小中学校って小学校からの延長って言う感じが強いじゃないですか。だけど,高校ってそれがリセットされるみたいなところあるじゃないですか。人間関係とか。小学校・中学校は「真面目な生徒(人間)像」を続けてたんですけど,それが高校に入って一旦リセットされましたね。まあそれでも割と真面目な方ではあったんですけど,「ちょっとふざけたい」みたいな自分の中の欲求を昔より出せるようになれたかなって感じますね。それが「自分を出せるようになった」って感じです。

―――そうだったんですね。先ほど高2のクラスはそんなに楽しくなかったと話されていたんですが,全体として高校は凄く楽しかった。高校入学を機に人間関係がリセットされたこともあり,今までの自分とは違う,「自分が本当にありたい姿」を自由に出せるようになったっていうことですかね。

そうですね,高2のクラスは本当に最悪だったんですけど。高校は楽しかったので。本当にその通りだった思います。

夢への努力・自我の確立【大学生時代】

―――分かりました,ありがとうございます。それでは,学生時代の最後となる大学の話に行きたいと思います。当時は教師になるために本気で勉強しており,二十歳を越えて「自分はこうやって素直にしていけばいいんだ」と思うようになった,と事前に伺いました。まず,勉強の話題は出ているのですがプライベートも充実していたと感じますか?

そうですね。プライベートも含め大学時代には全く後悔はないですね。友人関係もそうですし,恋愛関係もそうですし,凄く充実していた時代かなと思います。

―――そうだったんですね。あとは「教師」というところで,当時は科目や校種などはどんな先生を目指していたのでしょうか。

僕の大学で取れる教員免許が国語で,校種としては中学校・高校両方でした。

―――ありがとうございます。結果的には教師という仕事は辞められたと伺っているのですが,そもそもどうして教師を目指されたのでしょうか?

中学生ぐらい…いや4歳ぐらいにまで遡るかもしれないんですけど,僕ちっちゃい頃からサラリーマンになりたくなかったんですよね。というか「働きたくない」って思ってたんです。それで中学校3年生ぐらいの時に「俺もう社会に出たくないから,この好きな『学校』という場所にずっといたい」って思ったんです。それで,教師になろうって思いましたね。

―――結構早かったんですね。

そうですね,割と最初から固まってました。

―――そこから,生徒目線の「学校」と教師目線の「学校」の違いを知り,違う職業に変えられた,ということですかね。

そうですね。

―――分かりました,ありがとうございます。私が大学時代のお話で印象的だったのが,二十歳を越えて「自分はこうやって素直にしていけばいいんだ」と思うようになった,というところでした。ここでの「素直に生きる」というのはどういうことなのか詳しくお聞かせください。

はい。えっとまぁ話してきた通り,特に小中学校では周りの顔色を伺って,「真面目でいなきゃ」ってずっと思って生きてきたんです。それが高校時代で少し緩んで…「ふざけたい時にはふざけていいんだな」って分かったんですよね。それが大学に入ると,今度は全く知らない人たちの世界に飛び込むわけじゃないですか。だから自分が言いたいことが言えるし,相手が言いたいことは自分が受け入れる,っていう「素の人間としてのやり取り」みたいなのが大学に入って初めてちゃんと出来るようになったって思っているんです。周りからの目もそんなに強いわけじゃないので 。そういうのもあって,素直に,「自分が思ったように生きていっていいんだな」ってやっと思いました。

―――そうだったんですね。それは良かったですね。
 これまでも何回も登場している「真面目に」という強迫観念的なものが大学時代に取れてきた,とのことですが,そもそもその意識はどのように形成されたとお考えですか?

多分小中学校の頃ですね。さっき話した小学校時代の理不尽な先生とか部活の外部コーチとか…そのうちに,ふざけてるやつより真面目にいるやつの方が怒られる回数が少ないと思うようになって,「真面目にやらなきゃ」という意識はついちゃったかな,と思います。

―――なるほど,そうやってできた意識が,大学時代の「素の関わり」を通してやわらいでいったのですね。

そうですね。多分高校・大学に入ると,自分のことをめちゃくちゃ怒る人って減っていくものかと思うんですよね。だから,「真面目」っていう縛りから抜けられたのかなって思います。

「世間体」とバランス【社会人へ】

―――ありがとうございます。そんな大学生活を過ごされた後に,教師から事務職というキャリアを歩み,今は良好な人間関係・楽しめる趣味の中で生きている,と伺っております。また,社会人になって世間体も気にするようになった,とも伺っています。大学時代に「自分は自分だ」という大きな気づきを得た後に,世間体を気にするように変化したきっかけは何でしょうか?

まず「世間体」というのは僕の中で,僕の友人やその家族くらいまでの割と近い範囲を指しているんですね。正直,他の世間の人のことはあまり気にしていないんです。それできっかけは,やっぱり教師を辞めたことだと思います。周りの人に早い段階からずっと「教師になりたい」と伝えていたので,すぐ辞めてしまって合わせる顔が無いと感じていたんですよね。今はもう大丈夫なんですけど。そういうところから,無駄に世間体を意識してしまいましたね。

―――なるほど。クソイグアナ男さんの中の「世間体」の意味を伺っておいて良かったです。もっと大きな範囲に対して「世間体」と認識している方も多いかと思うので…

そうですね。僕,世間めっちゃ狭いので(笑)
当時は,多分そんなことはなかったのだろうと今は思うんですが,「失望させちゃったかな」って思っていたんですよね。今までひたすら真面目に生きてきたけれど少しずつ自分を出せるようになり,でもいざ社会に出たらすぐ駄目になっちゃって…そういう,僕の周りの「ちっちゃい世間の人達の目」っていうのを気にする人間だったかなと思います。

―――その時には「自分は自分」という意識は変化していましたか?

そもそも「自分は自分でいいんだ」っていう自我が芽生えたのが大学時代で結構最近なので,特に変化はしていないですね。けどまあ「周りを気にしていかなきゃ駄目だよな」っていう,元の真面目だった時の周りの顔色を伺う面がまた出てきて,結局これらのバランスが大事かな,って最近では思います。

―――「最近」ということは,当時は「自分は自分」という気持ちとクソイグアナ男さんの考える「世間体」が,あまり両立できず世間体の方に傾いていた。でも今では,そのバランスを大事にするべきだったと感じる,ということでしょうか。周りは自分の教師になる夢やそのための努力も知ってるから「心配させちゃってるかな」っていう気持ちと,「でも自分は違う仕事をやるんだ」っていう気持ちを両立させて認めても良かったかな,というような。

あーーーーまさにそれです。周りを気にしすぎてもアレだけど,だからって自分の気持ちだけを貫くのもあれだし…「上手くバランス取っていこう」って思いましたね。

―――クソイグアナ男さんのここまでの歩みには,大切なものが「真面目さ」から「バランス」に変化する,という大きな流れがある感じがしますね。

そうですね。結局,どっちかに全振りするような生き方の方が,強いっていうか振り切れてていいのかなって思うんですけど…意志があってかっこいいなぁみたいな。でも僕はそういう生き方はできないので。
僕今noteをやっていてリアルの友達にもそのことを伝えているんですけど,「何やってんだこいつ」って思われていると思うんですよね。意志の強い人とか「自分は自分」に全振りしてる人って,外野の声とか全然気にしないと思うんですけど,僕はそれが無理なので。「多少気にしつつ,でも自分の活動は止めない」みたいにバランスを上手くとりながら生きていこうかなって思ってます。

―――ありがとうございます。私は今お話を伺っていて,「周りを気にせず貫く」よりも,「周りを気にしながらも貫く」方が意志が強いのではないか,と思ったのですが…障壁を理解した上でそれを飛び越えるって凄いな,って感じます。

確かに,言われてみればそうですね。ありがとうございます(笑)

―――「そんな価値観もあるんだな」程度に思っていただければ幸いです。

noteを始めたきっかけ

―――それでは,今noteのお話が出たのでそちらに話を映したいと思います。事前情報として,2020年の8月頃から一人暮らしを始めたことをきっかけに文章を書くようになり,50作溜まったため,2月からnoteへの公開を始めたと伺っております。また,最初はあまりこだわらずに投稿されていましたが,5月頃から反響を受けて本気になり始めた,とお聞きしました。エッセイを書き始めたきっかけは,「自分が好きな作家のエッセイを待ちきれず,自分で書きまくって読み返そうと思った」ということでよろしいですか?

はい合ってます。その通りです。

―――このきっかけが私は凄く面白いなと思いました(笑)

そうですね,オードリーの若林さんとか星野源さんとかのエッセイが好きで,出るとすぐ読み切っちゃうんですよね。それで,新刊出るのが待ちきれなくて。だったら,自分で同じようなエッセイを書けば,例えば50作ぐらい書いた時に1作目を読み返したら結構忘れてたりするので,新作を読んだ気になれるかな,と思って書き始めました。

―――ありがとうございます。今色々なエッセイ本を読まれていたと伺って,元々かなり文章に親しんでいたのだなと感じました。実際,クソイグアナ男さんの文章を読んでいても,「洗練されている」「きっちり書いている」といった印象を受けます。先ほど話されていた2020年8月より前にも,何か文章を書く機会はあったのでしょうか?

めっちゃ遡ると,小学校時代とかに文章を書いていましたね。周りにいた沢山の本好きな友達ほどは,僕は本好きではなかったんです。でもストーリーを作るのは好きだったので,小学校のときは自分で小説みたいなもの書いたりもしていましたね。note自体は確か大学3年から4年ぐらいの時にちょっとやってたんですけど,すぐ辞めちゃったんですよね。

―――その時のnoteも,現在のようにエッセイや小説などを投稿していらしたのでしょうか?

何だっけな,なんかポエムみたいなのを投稿してましたね。

執筆生活とこだわり

―――そうだったんですね。現在は本格的にnoteの活動をされていますが,執筆する上でのこだわりをしっかりと決めてらっしゃいますよね。文字数文章の命としてのタイトルおしゃれさユーモアだと伺っています。これらについて,文字数については「忙しい現代人が読みやすいように」という目的がはっきり分かりました。また画像にかなりこだわっているのも,「おしゃれだから」「アイキャッチとして」といった目的があることもよく分かりました。ただ文章は,パッと見るというよりも「読み進めていくもの」かなと私は感じました。文章における「見た瞬間のお洒落さ」に対しては,どのようにこだわっていらっしゃるのでしょうか?

確かに文章のお洒落さは,見た瞬間は分かりづらいのかな,と思います。でも例えば,エッセイで最初に伏線を張って最後にそれを回収するスタンダードなオチも,何個も入ってたりしたらおしゃれに見えるかなあ,なんて思っています。つらつら文章を書くのも面白いし良いと思うんですが,ちょっとしたギミックがあるとやっぱり良いですよね。

―――流れのお洒落さは私も感じます。伏線回収みたいにベタなものでも,王道にして至高といいますか。そのように様々なことにこだわりながらの執筆を,お仕事の傍らでやるというのは大変に感じますか?


ずっと書いているので慣れましたね。多分1000字だったら15分,2000字なら30分くらいなので,寝る前にちょっと書くくらいで大丈夫です。


―――かなり筆が早いですね!それは事前に構成を考えてから書くのでしょうか?それとも,一気に書き進めますか?

一気に書きますね。机座ってパソコン開いて何書くか考えて…30分ぐらいあれば2000字書けます。

―――凄いですね…ありがとうございます。ここまで色々なnote投稿へのこだわりを伺いましたが,今後noteで挑戦したいことはありますか?

今「絶賛挑戦中」って感じなんですけど,小説系に挑戦したいと思っています。今はショートショートをいくつか投稿しているので,今後は連載小説をやってみたいです。

「クソさ」とは何か

―――ありがとうございます。ここまでお話を伺ってきて,私だけでなく読んでいる方も気になっているかと思うのですが…ここまでかなりじっくりと今までの人生を伺い,現在力を入れていることも伺いました。その上で,私は「自分は誰よりも強くてクソである。そんな自分の人間性が死ぬほど嫌いである。」と思われているのが,正直不思議なんですね。ここまで色々なことをやられてきて,なぜ「誰よりもズルくてクソである」と思うのでしょうか?

そうですね,自分で言うのもなんですけが,割と生きるのは上手いと思っているんですよね。例えば,怒られないように真面目に振舞うことだってできます。それが「ズルいかズルくないか」って言われたら分からないんですが,本当の自分を隠して皮を被って生きている感じなんです。多分今後もそうやって「取り繕って生きていく」部分は出てくるかもしれないなと思うと,自分はズルいかなと感じるんです。

―――「ズルい自分」というのを感じていて,「ズルい自分ってクソだな」と思う,ってことですかね?

うーん…何て言えばいいんですかね,多分クソなところって話していてもあんまり伝わらないかなと思うんですが…なんていうか,僕変なんですよね。偏見が強いというか。何か一つのものを見るときに変な角度から見ちゃう,みたいな所あったりするんです。例えば皆が楽しいと思うものを素直に楽しめなかったり。なんだかこういう生き方が,自分でクソだなって思います。

―――「皮を被って生きている」というのが,自分に正直に生きている人と比べてズルく感じる。「クソさ」は,皆とは違う見方をしているから。そういうことでしょうか。

うーーーーーん簡単に言うと,割と人間性がクソなんですよね。

―――そう思われるんですね…「クソ」って例えば,相手を傷つけるとか周りに迷惑をかけるみたいなことを指すかなと思うのですが,クソイグアナ男さんはむしろそれをしないように動いてるように見えるんですよね。

あーー確かに,言葉って難しいなと思うんですけど…僕にとっての「クソ」は,何かを楽しんでる人を見て「いいな」って思うんじゃなくて「ダセェな」って思ったりしちゃうことなんですよね。それで,そういう自分はクソだと思うんです。結局,素直になれてないんですかね。

―――「素直になれていない」っていうのは,「ダセェな」の他に自分の本心があると感じている,ということですかね。

そういうのもあるかもしれないです。というか,僕もしかしたらクソじゃないかもしれないですね(笑)

「生きづらさ」とは何か

―――そうかもしれませんね。ところで,「自分生きるのが上手いんですよね」と仰る一方で,「生きるのが難しい」「もっと自由に行きたい」とも発信されてますよね。これは,自分自身は行動面ではうまく生きられるけれども、その反面で素直に生きているように見える人を羨んだり妬んだりするので,その心理面の困難さから「自由に生きたい」と思う,ということですかね?

あのね、まさにその通りなんですよ。さっき生きるのが上手いって言ったのは、まさにその行動面みたいなところで。怒られないようにすることって自分にとっては難しくないんで,取り繕って生きていくことはできるんです。だけど「生きるって,そんなことしなきゃいけないの?」って思うんですよね。だから,生きるのって難しいなって思うんです。「簡単だからこそ難しい」みたいな。

―――簡単にできるけどやりたくはないないので,その嫌な気持ちを抱えながら生きることが難しい,っていうことですかね?

その通りですね。そもそも怒られることが別に嫌じゃなかったら、こんな生き方しなくていいんで。さっき心と行動って仰ってたんですけど,僕はそれがあんまり一致しないんですよね。やりたくなくてもやらなきゃいけないことはあるし、しかもそれはある程度はできちゃうし。というのもあって、生きづらさは,ごちゃごちゃ色んなものが絡まっているものだと感じます。

―――ということは,生きるのが難しいというより,「心の折り合いをつけるのが難しい」って感じですかね?

そうですね。僕も今腑に落ちました。多分そうです。


―――分かりました。では私を含め周りがどう思うかや自身の好き嫌いは置いておいて,うまく生きている自分自身を「誰よりもズルくてクソである」と思うことに対して,納得はしていますか?「こうなったことに納得できない」と思ってるのか,「うんそうなってるな」と落ち着いて思っているのか,どちらですかね?

納得はしてて…というより納得せざるを得ないですね。本に「人間は20歳以降,人間性を変えるのは難しい」って書いてあったのを読んだんです。それで,もの凄く衝撃的な出来事がない限り,自分はこの先もずっとこのまま生きていくのかな,って思ってるんですよね。ちょっとずる賢かったり,周りをちょっと馬鹿にしたり…そんな生き方に納得しちゃってます。

「クソ」のまま,書き続ける

―――そうですか,分かりました。ちなみに,もし何か不思議な力があって「今この瞬間から新しい人生ですよ」って言われたらどうしますか?

えーーーーー難しいなぁ,生き方を変えられるっていうことですか?

―――そうですね。先ほどの例でいうと,「20歳までの人生の蓄積など無く,今から始まる行動で自分を作れますよ」って言われたらどうしたいですか?

いや,多分「このままでいいです」って言いますね。何でかって言うと,僕のエッセイの中にはネガティブなものとかもあったりするんですが,僕は今までの人生で蓄積したものがあるからこそ今の文章を書けてる,って思うんですよね。文章を書くのも自分の文章もやっぱり好きで,人生が変わったらそれも書けなくなるんで,変えたくないです。正直今話してて,自分がクソかどうか分からなくなってきてるんですけど,「クソのままでいいかな」と思います。

―――そうですね今日短い時間で伺った内容だけでも,これまでの出来事が色々と繋がって今があることが伝わってきます。なので,それを文章化するnoteでの活動に今力を注いでいるのは素敵だと感じます。「クソみたいな人生」とも仰っていますが,それを変えたい,という気持ちではないってことですかね。

そうですね,今までの人生を変えたい思いは特にないです。

―――分かりました。それでもやはり「死ぬほど嫌いである」と話されているのですが…死ぬほど嫌いという気持ちが逆に執筆の原動力になっていると感じますか?

そうですね,正にその通りだと思います。
正直, 嫌いなんですよ。人生振り返った時に,「あの友達の方が,すげー自分に素直にちっちゃい頃から生きてたなぁ」「自分だけだな,こんなずる賢く生きて生きてたの」って思うことがあるんです。そういう時に,自分はめちゃくちゃ自分のことが嫌いなんだな,と思います。でも,文章を書く楽しさに出会えたのは,今までの人生があったからなんですよね。だから,別に変えなくてもいいかな人生は,と思います。

―――「嫌いな部分があるけど,それが今の自分を作っている」と思う人のなかでも,その部分を隠したい人は多いのかな,と思うんですね。一方でクソイグアナ男さんはその部分をnoteで伝えようとしています。なぜ,自分の嫌いな部分を他の方に伝えたいと考えているのでしょうか?

武器になるからですかね。作品の中では,自分のネガティブさもズルさもクソさも全部武器になるって思うんです。別に何か持ってるわけじゃないんですけど,「こういう人間もいるんだよ」と伝えられるかなと思い,noteを書いてます。

―――なるほど。ありがとうございます。そしたら,そのように発信をされている現在から,ちょっと今後についてのお話も伺いたいと思います。クソイグアナ男さんの目標は「有名になること」だと伺いました。例えば、街中で「クソイグアナ男」って聞いたら、「あぁあのエッセイの人ね」って言われるぐらいになりたい。そしてその手段がnoteであると伺いました。有名になりたい理由については,有名になりたいから有名になりたいのであり,特に理由はないと伺いました。
まず、さっきの世間体の話もあったので、クソイグアナ男さんにとっての「有名」を教えていただけますか?

時代は変わっていくので何とも言えないんですけど、「テレビに出る」ことは有名であるってことですよね。1つの基準として。別にめっちゃテレビに出たいわけじゃないんですけど、それができるくらいの認知度が欲しいです。

―――「色んな人から好かれている」「色んな人から褒められている」「批判されていない」といった,大衆からの評価に対してはどうありたいとお考えですか?

良くも悪くも,褒められるのも貶されるのも、人からの判断がもらえるのは良いことだなと思いますね。

―――よく「好きの対義語は嫌いじゃなくて無関心」と言われますよね。そういった感じで,どう思うかは相手次第だけれども,まずその何かを思われる対象になるって意味で、有名になりたいっていうことですかね?

あ、そうですね。まずそこだと思います。

―――ちなみにその「有名になりたい」についてもクソみたいな目標と仰っていますが、それはなぜでしょうか?

多分,皆実は有名になりたいと思っているんじゃないかな,って考えているんです。でも,それを別に言わないじゃないですか。でも僕は皆がひた隠しにしている欲求をさらけ出しちゃってるので,クソだと思うんですよね。

―――なんだか意外なお答えでした。何故かといいますと,今までクソイグアナ男さんは,自分が持っているものを隠しているところが,素直に出す人に比べてクソだって仰ってたんですね。でも今は,皆が隠している欲望をズバッと素直に言う自分をクソだと仰る。そこが逆なのが,面白いなと思いました。

結局,世間と逆のことをやっているのがクソだと思ってるのかもしれないですね。僕、普通の人間なんですよ。世の中普通の人の方が多いと思うんですけど,そこに溶けこみつつも,有名になりたい欲求を「逆に」出しちゃってるのが…

―――つまり,周りの人は皆素直な性格通りに色んなことを楽しんでいるから楽しめない自分はクソだし,皆は有名になりたい願望を隠しているけど、自分は出してるからクソだ,という事ですかね。

多分そうです。今は多様性の時代とか言われていて、結構生き方は自由になってると思います。でも普通に会社に行って普通に働く、普通に学校に通う,みたいな社会の流れは今後も残っていくと思うんですよね。それに乗らなきゃいけないと思いつつも、反対の欲求を持っちゃってるんで。うん、そういうところじゃないですかね?

―――じゃあ。あれですかね。世間というより、社会の流れに抗いたいという欲求を…

それ,うん。社会だと思います。同じ時間に出勤して退勤して,っていう普通の社会としての生き方が僕は嫌なんです。嫌だなって思ってる人もいると思うんですけど、それでも死ぬまで働いていかなきゃいけないから受け入れている人たちが一定数いる。なのに僕は,諦めきれず欲望が残っているのが,クソかなって思います。

―――「欲望は捨てなきゃいけない」と思ってるんですかね。

そういうわけじゃないんですけど、捨てる人が沢山いるから、自分も捨てなきゃいけないと思ってるんじゃないですかね。

―――じゃあ,行動として正しいか分からないけど、皆がやっていることの方が,方向性としては良いのかなと思う。でもそれと自分は違うと感じる,ってことですかね。

そうですね。頭ではそっちの方向が正しいってなってるんですけど、心はそれに従わないみたいな。行動と心が乖離しているみたいな。一致してればそういう生き方を選んでも苦じゃないと思うんですけど,一致しないので。

―――今って「頭では分かっているけれども、自分の心は逆に行っている」ということだと思うんですね。きちんと事務職として働かれて、それ以外は自分の好きなことをして…という現状についてはどう感じますか?

まず働いているのは,やっぱお金がなきゃいけないからですね。本心は働きたくないです。会社に行きたくない。でも,だからこそ家に居る時間や休日は、「自分の心に素直に従おう」と思ってnoteとか色々やってるんですよね。だから今、丁度「ちゃんと会社に行かなきゃいけない」っていう脳みそ的な自分と,「本当にやりたいことをやる」っていう心的な自分というのが、丁度バランスとれてる感じですね。

妥協から一致へ

―――そのプライベートも含めバランス取れている状態を,今後どうしていきたいと思いますか?現状維持でも,また変化を求める方向でも良いと思います。

やっぱ脳みそと心を一致させたいですね。バランスをとることが自分の生き方だ,みたいに言ってきたんですが,脳みそと心が乖離している状況に、多分生きづらさを感じていると思うので。

―――じゃあ今「バランス取れてる」って仰っていたのも,それぞれが満足しているというよりは、脳みそと心それぞれをたしなめて妥協させて「バランスが取れている」状態にしているという意味。でも今後は、妥協ではなく本当に一致させる方向に動いていきたいということですかね。

あ、そうですね。自分文章を書くのが好きなので、例えばフリーで文章書く仕事につけたら、「働かなきゃ」と叫ぶ脳も「好きなことしたい」と叫ぶ心も両方満足させられると思うんです。そしたらストレスなくやっていけるのかなと思います。

―――なるほど。そのためにnoteの目標である「有名になりたい」ですとか、普段のエッセイ,今後やっていきたい小説の執筆に力を注いでいるっていうことですかね?

そうですね。

―――わかりました。今後のご活躍も応援しております。

ありがとうございます。

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