教員は自分の中で、 よくやった!満足した! と、終わった。やりきった。 修学旅行も行けた! 夏の英語学習の引率で12時間、バスに乗った。 文化祭で装飾した。クイズも作った。 海にも行って、ビーチで遊んだ。 生徒による教員の授業評価も90パーセントの満足度を超えた。 そこからは、自分でも、何をしたいかがわからなくなっていった。 私は、どんな成長を教員という仕事を通してしたかったのだろう。 あの時の私は、たぶん、成長をしたくなくて、 そのま
かあちゃんは 婚活中に、高校の歴史教師として復帰したのだが、 その学校のありとあらゆる産休やら休職している社会科の先生の代わりの授業を担当という 柔道でいうなら、全階級で大会に出場します! 柔道は柔道なんで! と同じ状態であった。 私は、歴史でも、日本中世史が専門なのだが、 そこでは、 高一の世界史主にギリシアとローマ史 高二の世界史 インドのクラスと ロシアのクラス 中国のクラス 高二の日本史 江戸時代 高
なかなか、博士課程に進まないかあちゃん。 研究どころか、婚活に励んでしまう。 イギリスから戻った私は、当時、始まったばかりのマッチングアプリに登録。 とにかく、結婚相手を見つけなくては、私が私でなくなってしまうという切羽詰まった状態だったので、 毎日のように、アプリで出会った人、 合コンのミルフィーユ状態で、アルバイト後を過ごしていた。 が、なかなか、結婚までは簡単に行かないどころか、 誰か私を選ぶ人はおらんかねー、 の、ナマハゲ状態だったから
仕事なし、結婚なし、26歳になったかあちゃんは、 日本にいたくない、とイギリスに逃げた。 ちょうど、イギリスの日本人学校で、 社会科を教えられる人を募集していて、 とりあえず、免許のある私は、無事採用され、 わずか3か月だったが、イギリスに住むことになる。 英語は、全く話せないが、 まずは 日本脱出 が、目的だったから、 それさえ、叶えば、どこでもいい、 まあ、シャーロックホームズの国なら、 なお、素晴らしいと、 すぐに旅立った。
昨日書いていて、 あー、私が研究したいと思い、かあちゃんになってまで博士課程に行こうと思ったのは、 この20代のときの焦燥感で、 それが 資本主義と女子の生き方 が、非常にリンクしていて、 いつも素敵な自分でいなくてはならない、 という自己責任が いかに社会から与えられた後天的なもので、 それに従ってしまうことで、女子は自由になれていないのではないか、 という身をもった仮説からであった。 私は、全然、幸せでなかった。 いつも、『働く
博士課程に進むまで、本当に長い道のりで 話が長々となりすぎますが、 この紆余紆余曲折があろうとも、 人は学べる! ということを伝えたく、書いてるので、もうすこし、過去が続きます。 私は、ふつうのOLとして、 某ベンチャー企業に就職をした。配属は営業だった。 詳しく書くと、 結婚式をプロデュースする会社に就職したのだ。 結婚に敗れた傷にさらに塩を塗るような行為をしないと生きていられないほどの、どん底の精神からの 就職だった。 日々、自分の果たせなかっ
自分の経験からしかいえないが、20年前は、 20代女子は、 『選ばれるためには どうすればいいのか』 という ソリューションを求め続けていたように思える。 今でも、 就活、結婚までも婚活と呼ばれることを考えれば、 目的に向かってまっしぐら! という点では変わってないのかもしれない。 そこに名前がついたことで、 より社会において、その行為の正当性を主張しやすくなった分、 より、存在がナチュラルになったようにも思える。 ゴールしやすい方法を
当時、私は正式な教員になることはできなかったが、修士課程に進みながら、 私立の中学校で歴史の時間だけ担当する時間講師のアルバイトをしていた。 ようやく、歴史の教師として、スタートをきることはできていた。 研究と実践と恋愛とで、私の24時間は埋まり、 卒業したら、正式な教員となり、 お付き合いしてる彼と結婚、という夢に向かって 日々、研鑽をしていたのだが、 マスターk先生の 『博士課程行ってみようか?』のお誘いに、 ふと、心が揺らいだ。 私が、ドクタ
外部からの影響を受けやすいかあちゃんが、 息子の存在により、 自分がこの世ではパーソナルな存在なんだ! と、実感する話の前に なぜ、20代のときに、修士から 博士課程に進まなかったのかに関して 24時間戦う自信がなかったのもあるが、 当時、付き合っていた人と結婚をするために、 やめた、というのがある。 ちょっと長くなるので、何回かにわけての話になるが、 私は、某私立大学にて中世史を履修していた。 歴史の先生になる、と10歳にて誓い、 そのた
ふつうのかあちゃんである私が ちょっと学問分野に参加したいな、など軽い気持ちで 研究の世界に足を突っ込んでもいいのかしら、 と考えてるときに、 いやいや、ふつうのかあちゃんが、 おこがましいだろう、 と、何度脳内ブロックをしていたのは メディアにでている 働きながら、子育てをし、社会に対する発言を する女性たちが 素晴らしい学歴、経歴すぎることということであった! 草野球で楽しいから、野球をもっと練習したいな、ぐらいのレベルで、野球チーム
自分がまさか、47歳にして、博士課程一年生に入学するとは… 自分で自分が信じられない!! ましてや、 中学校時には、 担任の先生に ーあなた、付属の短大すら進学できないから と、断言された学年順位のワースト10の常連の私を 思い出すと、 いやあ、本当に運命とはわからないもんだ と、世界の中心で、叫びたい、 いや、その時の担任の先生の耳元で、叫びたい。 人の人生を自分の経験で断言してはいけない 私は、これを自分の人生で体現したくて 日々