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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで⑦

 昨日書いていて、
 あー、私が研究したいと思い、かあちゃんになってまで博士課程に行こうと思ったのは、

 この20代のときの焦燥感で、
 それが

 資本主義と女子の生き方

 が、非常にリンクしていて、

 いつも素敵な自分でいなくてはならない、
 という自己責任が

 いかに社会から与えられた後天的なもので、

 それに従ってしまうことで、女子は自由になれていないのではないか、

 という身をもった仮説からであった。

 私は、全然、幸せでなかった。

 いつも、『働く』場所、
 『結婚』して誰かの所属物になること、

 それは、自分の求めていたことではなく、
 社会における『王道』であり、
 そこに所属したいと、必死に、権利を得ようともがいていた。

 『資本主義は一種の宗教である』

 とは、ベンヤミンの言葉で、

 信者が信仰についての自覚をもたない宗教である、

 それが資本主義なら、

 このいかにも自由である社会を謳歌しているようで、その社会のシステムやら主義が、

 本当に女子の生き方を多様にしているのか

 疑わしいし、

 私のパーソナル経験では、
 自分の道を容易に捨て去ることができるほどに

 システムに取り込まれているのが、資本主義における女子たちではないか、

 と。

 毎日、自分の過去を振り返っていたら、

 この仮説を考えたい、

 ということが、

 かあちゃんになってまで
 やりたいことだと気づいたのである。

 書くって、素晴らしいですね。


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