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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで⑩

 かあちゃんは
 婚活中に、高校の歴史教師として復帰したのだが、

 その学校のありとあらゆる産休やら休職している社会科の先生の代わりの授業を担当という

 柔道でいうなら、全階級で大会に出場します!

 柔道は柔道なんで!

 と同じ状態であった。

 私は、歴史でも、日本中世史が専門なのだが、
 そこでは、

 高一の世界史主にギリシアとローマ史
 高二の世界史 インドのクラスと
        ロシアのクラス
        中国のクラス
 高二の日本史 江戸時代
 高三の日本史 受験対策

 と。
 そもそも、私は世界史を専攻してないし、世界史を受験でもやったことがない。

 学ばなければ、知識は生徒と変わらない。

 婚活どころか、婚活のための資金を
すべて、本に費やす日々に!

 婚活のための戦闘服を買いにルミネにGOではなく、三省堂にGO!

 仕事終わったら、アプリで、

 〜職場はどこあたりですかー?❤️〜

 を、AI状態で送ってる場合じゃなく、

 〜ロマノフ王朝っていつ頃ですかー?❤️〜

 と、パソコン検索! 

 毎晩、勉強しては、授業に向かい、また、帰ってきたら、新しい授業を作るのが
 ルーティンワーク!

 メイクもヘアスタイルも、ファッションもリクルートスーツ!

 婚活より
 社会科授業を毎日準備し、先生をやらざる得ない日々に。

 10分間の休み時間は、プロ世界史教師として、なんでも知ってますよ、
 と、林修先生ばりの教員に変身するための時間でしかなく、
 あまりの激務に、職員室に妙齢の若い男子がいないか、チェックする余裕もない。

 そんな充実したアスリートのような生活は3ヶ月の契約満了で終了する。

 最後の授業で、生徒に

 〜この学校終わったら、どこか、また、別の学校行くの?〜

 と、聞かれ、やりきって疲れ切っていた私は、

 〜行かないよ、教員は向いてないし〜
 と、素直に答えた。

 パトラッシュ、もう疲れたよ、の状態だったから、
 教員は、もう、やりきったかな、と思っていた。

 最後のクラスは少人数制の受験対策クラスで、
派手目な女子やら、EXILE系男子が7名ほどの割と和気藹々としたクラスではあった。

 生徒との距離も近かったから、ざっくばらんに話もしていたせいか、
 最後には、色紙と記念品のボールペンまでプレゼントしてくれて、
 金八先生ばりに、別れが辛いクラスではあった。

 おしゃれ男子にしか似合わないパーマ男子が言った。

 〜なんで?すごい向いてるよ。
  今まで習って一番社会科が楽しかったよ〜

 その言葉を聞いて、
 10歳の私が心の中に蘇ってきたのが、自分でもわかった。

 私は、子供たちに、歴史を楽しく伝えたい。
 人間の生き方には、迷いも葛藤もあることを
伝えたい!

 そう思って、教員になろう、と思った10歳の私。

 婚活やら婚活やら婚活やらで、
 女の幸せは、誰かに選ばれることだよね、

 と言い続け、

 就活やら就活やら就活やらで、
 とにかくどこかに所属するために
 選ばれなくては、

 と、自分の内面よりも、よくわからない誰かの価値観を必死に身につけ、

 10歳の私を心の奥に閉じ込めた。

 そこから、救いだしてくれたのは、

 楽しかった

 生徒からのただ一言だった。

 〜やめちゃダメだよ〜

 マスカラバッチリ、小悪魔メイクの女子が続ける。

 〜私は、また、習いたいよ〜

 自分らしくない道に進み続ければ、
 ずっと、

 違う、違う、そうじゃない、そうじゃなぁい

 と言われ続け、うまくいかないけれど、

 ちゃんと自分の道に戻れるような、流れになっている。

 私は、その後、結婚をして、離婚して、シングルマザーになり、
 中小企業の後継になり、

 いわゆる、スタンダードな道からは、たくさん外れてしまうことにはなる。

 だけど、あの時のあの子たちの言葉がなかったら、
 また、学問の道に進もうという勇気は持てなかったと思う。

 そののち、2年間だけ臨時で教員になり、自分の中で完結をし、

 次の道、

 会社経営の道へ進むことになる。

 博士課程まであと、15年。

 その間に、私は、ビジネススクールにまずは通うことになる。



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