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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで③

 外部からの影響を受けやすいかあちゃんが、
 息子の存在により、

 自分がこの世ではパーソナルな存在なんだ!
 と、実感する話の前に

 なぜ、20代のときに、修士から
 博士課程に進まなかったのかに関して

 24時間戦う自信がなかったのもあるが、

 当時、付き合っていた人と結婚をするために、
やめた、というのがある。

 ちょっと長くなるので、何回かにわけての話になるが、

 私は、某私立大学にて中世史を履修していた。
 歴史の先生になる、と10歳にて誓い、
 そのためには、歴史の教員免許をとらなくては、

 ということで、付属の女子大ではなく、
 外部の大学へ進学していた。

 10歳の時に、
 小学館版の『まんが日本史』に感銘を受け、
 当時その本のアニメ版をテレビでやっていたので、
ビデオを録り、何度も涙し、

 鑑真は何度も渡航に失敗して失明しても日本にいる弟子たちのために、頑張ったんだ!
 あきらめてはいけないんだ!

 と、家族に力説し、

 歴史について語りたい!と熱く思い、
 小学生だから、知ってる職業なんてたかがしれてたから、

 歴史について語る=歴史の先生になればいい

 と短絡的に考え、

 鑑真がロールモデルだった私は、
 そのためには、歴史の勉強ができる学校に行けばよいんだ!
 信念を持て!

 ということで、10歳から18歳まで、
 志しを変えず、学校へと進んだ。

 その間に、ロールモデルは、
 ベル薔薇を読んで、オスカルに変わって、 
 己の信念に沿った生き方をせねば、
 だったり、

 織田信長になり、
 国を作るには自由な構想力が必要だ、と政治家のように語ったり、

 さまざまにはなっていたが、

 歴史の先生になる!
 という志しだけは貫き通していたのだった。

 だが、就職氷河期な上に、
 団塊の世代がまだ退職を迎えない年齢だったため、

 歴史教員の募集は、ほぼなく、

 その上、中学社会地理歴史教員免許は、
 歴史学を専攻していなくても、
 それ関連の学部出身で、教職の授業を修めていれば、

 誰でも持つことができたゆえに、
 一番、免許保持者の多い、

 採用に狭き門であったことに、22歳にして気づいたのである。

 私は、10歳から決めていました、という熱い想いしか秀でることはなく、
 そんなことを面接で語っても通ることもなく、

 とにかく採用試験に通らなかった。

 まさかの敗退、だったのだが、

 そんな私の熱き想いを救ってくれる人が現れた。

 それは、生涯にわたって師匠となる
 某国立大学大学院の教育学の先生であったのだ。

 大学でて、即、先生になって、結婚して、子供産んでも、また、復帰して、定年まで
 歴史教員として、任務を果たす!という
 10歳の野望を崩し、

 ふつうのかあちゃんとして、なぜか、理系の大学院博士課程に進むという、
 全く持って、違う世界に転換するスタートとなったのは、

 このK先生との出会いであった。

 だが、オビワンに逆らって、ダークサイドに落ちたアナキンのように
 (師匠といえば、スターウォーズ)

 私は、結婚というダークサイドの言葉にひかれてしまい、
 師匠についてゆかず、
 OLになってしまう。(OLが悪いではなく、教員までもあきらめてしまう、ということ)

 この、結婚というシステム。 
 女性の学びの中に、大きなハードルの一つとして存在しているのではないか、と考えるのである。

 

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