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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで⑤

 自分の経験からしかいえないが、20年前は、

 20代女子は、
 『選ばれるためには
  どうすればいいのか』
 という

 ソリューションを求め続けていたように思える。

 今でも、
 就活、結婚までも婚活と呼ばれることを考えれば、
目的に向かってまっしぐら!
 という点では変わってないのかもしれない。

 そこに名前がついたことで、
 より社会において、その行為の正当性を主張しやすくなった分、
 より、存在がナチュラルになったようにも思える。

 ゴールしやすい方法を得るために、
 日夜、ネットに向かい、情報の洪水に塗れているなら、私の20代と大差はない。

 それがデジタルではなかったこと、
 せいぜい他者との比較は、雑誌にでてくる読者モデルぐらいであったことや、自分との距離が遠過ぎる
ハリウッドセレヴ、エリート帰国子女、ぐらいだったことである。

 私は、学問の世界に片足を突っ込んではいたけれど、
 大学の世界で、正規のポジションを取るまでの道のりは長すぎた。

 『働くこと』と『家庭を持つこと』において
安定したポジションを持つことが私の人生の目的であり、その中でも、
 より自分がやりたい仕事、より私が好きな人だといいな、というベストな結果を得るためには、
 その前に、『選ばれ』なくてはならなかった。

 『選ばれる』は受動の姿勢だ。
 常に、誰かの目線、評価を気にしなくてはならない。
 しかも、そのジャッジが見えない分、自分がどう動いていいか、わからない。

 誰か成功者の経験を知り、それに近ければ、
 より、『選ばれる』確率が上がるのではないか。

 そう思いながら、
 自己啓発本や女子向け雑誌を読み漁った。

 研究本は高い。
 それを買うなら、ブランドものの高いマスカラを買いたかった。

 20代の私は、
 博士課程に進みたい気持ちはあったけれども、
 『選ばれる』人生に休みたい方が強かった。

 その上、
 私は、男性より高学歴になったら、
 モテなくなるかもしれない、というバイアスもあった。

 女性が博士課程、ということは、多くの男性から見て、好ましくないかもしれない。
 男性は女性よりも優れていると思いたいらしい、
と、根拠なき、思い込みやら、リソースやらで、
私は、マイノリティになることを避けていた。

 全くの偏見だと今は笑えるけれど、
 でも、実際に、『高学歴の女子ってたいてい怖いよな』と、
合コンでダイレクトに言われたことはある。
(私は、修士卒は合コンでは言わないようにしていた)

 高学歴女が怖いのではありません。
 その女が怖いのです。
 と、今なら小泉構文で返したい。

 学歴=怖いなんてことは成立しない。

 けれども、それを隠そうとしている自分では、

 博士課程には進んだところで、
あっという間に退学してしまったに違いない。

 私は、その後、失恋から教員もできなくなり、
OLとして数ヶ月働くことになる。

 20代のモヤモヤ時代は、女性としてのスタンダードな道を歩みたい、と熱望する時間だったと思う。

 なんて書くと、カッコいいけど、
 単に、

 自分を、選んでくれる王子はどこにいるのかしら?

と、他人に人生を上げてもらいたい、願望が強かったときだと思う。

 それを変えていったのは、あるOLから教員に復帰をしたときの高校生たちの言葉だったのである。


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