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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで⑥

 博士課程に進むまで、本当に長い道のりで
話が長々となりすぎますが、

 この紆余紆余曲折があろうとも、
 人は学べる!
 ということを伝えたく、書いてるので、もうすこし、過去が続きます。

 私は、ふつうのOLとして、
 某ベンチャー企業に就職をした。配属は営業だった。
 詳しく書くと、
 結婚式をプロデュースする会社に就職したのだ。

 結婚に敗れた傷にさらに塩を塗るような行為をしないと生きていられないほどの、どん底の精神からの
就職だった。

 日々、自分の果たせなかった夢を勝ち取った人々を
見ながらも、

 教員の世界も、結婚の世界も、自分を受け入れてくれなかったけど、

 この新しい世界は、私を『選んでくれた』

 私は、それだけが欲しかったのだと、
 
 この自虐的行為以上に、それが手に入ったことが何よりの喜びであった。

 学校にいるときは、
 社会に自分の居場所が用意され、容易に所属先がある。
 そこには、社会が決めた役割がある。

 もちろん、学校のランクやら勉強の優秀さや、お洒落な学生服など、外部要素もあるけれど、

 少なくとも、国から『認められている』感覚はあった。

 それが、社会人になり、
 自分の力で望むポジションを獲得しろ、となったときに、必要なことは
 『選ばれる』ために、的確に動くことであった。

 居場所をつくれなかった私は、
 自己責任論でいうなら、その能力がない、という烙印を押されてしまったと感じていたから、

 『選ばれた』それだけで、社会の片隅に存在していいよ、と言われたような気がした。

  が、この会社。かなりのハードワーク企業で、朝から深夜までの激務。
  3か月で体調不良となり、ドロップアウトすることになった。
 
 原価以上に遥かに高すぎる花やら料理やら写真を売らなくてはならないこと。
 打ち上げが渋谷のクラブを貸し切ってのギャルたちのようなスタッフたちの文化。
  若い女性たちに、夢と金を見せて、働かせる管理職の男性たち。

 正直、相容れない世界であった。

 自分の知らない世界を学ぶことはできたけど、
 ここでも、自分がうまくフィットできずに、
 毎日、どこにも自分の居場所がないと、泣いていた。

 無職になった今は結婚しかないと、
 合コン三昧の日々を送るが、この市場でも、
 全く価値のない存在として、扱われる。

 そんな日々の中、
 ふと、気づいたのは『選ばれる』というのは、
 資本主義の価値観でないか、という考えが、わずかに自分の頭の中に生まれるようになった。

 私は、社会で
 『労働』すること
 『家族』をつくることができていない、

 生産性のない人間である、と。
 それを行う価値がないと、社会にレッテルを貼られている。

 が、その考え方自体が、
 国と私との等価交換であり、
 (働くことで国民の義務を果たす)
  (子供を産むことで国民としての役割を果たす)

 社会から見た私の在り方でしか
 私はものを考えていなかったことに気づいたのである。

 といっても、無職。
 そうも言ってられない、ということで、
 マスターkに、
 『博士課程にやっぱり行きます』と伝え、受験。

 先生のかなりの指導のおかげで無事に合格するのであるが、
 もう一つの『結婚』に関してに、私は、全勢力をつぎ込んでいたら、その間に、研究を全くせず、所属だけの存在となり、
 先生が、退官してしまい、別の学校に私はうつされてしまうことになってしまったのである。

 そこでは、新しい先生と全く合わず、退学をするはめになってしまう。

 また、私は、居場所を無くした。
 26歳の頃である。



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