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ふつうのかあちゃんが博士課程に進むまで 第11話

 教員は自分の中で、

 よくやった!満足した!

 と、終わった。やりきった。

 修学旅行も行けた!
 夏の英語学習の引率で12時間、バスに乗った。
 文化祭で装飾した。クイズも作った。
 海にも行って、ビーチで遊んだ。

 生徒による教員の授業評価も90パーセントの満足度を超えた。

 そこからは、自分でも、何をしたいかがわからなくなっていった。

 私は、どんな成長を教員という仕事を通してしたかったのだろう。

 あの時の私は、たぶん、成長をしたくなくて、

 そのままでいたいから
 教員になりたかったのだ、と今ならわかる。

 社会に、教員として居場所がある。

 毎日、学校に通っていいよ、という場所が欲しかっただけである。

 変わらないままの自分でいたい。
 無理はしたくない。
 そのままの私で永遠に社会に居場所がある、が私の夢だったのだ。

 結婚も同様で、自分を変えなくても、成長しなくても、紙切れがそれを許してくれる。

 私は、変わりたくないから教員やら結婚を目指してたのだ、

 とわかったのは、なんと、最近だ。


 成長しなくちゃいけないと、
 ずっと誰かわからない人に、押され続け、

 成長あらずんば、人にあらず、

 と思わされる中で、

 仕事と結婚の存在価値は大きい。

 変わらないまま、居続けるチャンスを得ることができるのである。

 社会での居場所、資本の保持、
 生きていくための術はそこにある。

 だからこの二つには、

 〇〇活

 という名がつき、それを得るためのソリューションが求められる。

 その二つを得ることは

 どうしても、
 自分で動かなくてはならないけれども、
 得られたら、

 もう成長しなきゃいけないストーリーから降りることができる。

 成長社会は
 努力したからといって必ず何かを得られるはずもなく、
 考えさせてもらえる時間もなく、
 急かされ、

 お金をかけて学び、着飾り、
 誰かが決めた幸せのようなものに、

 選ばれるために、

 また、必死でソリューションのために稼ぐ社会だ。

 かあちゃんは、そんな生き方から離れたいといいながら、また、そこへ飛び込んでいく。
 懲りない。

 成長しなくてはならない宗教の信者だ。

 家業に入り、仕事は、すこしづつながらも良き流れで進んでいったが、

 自分はビジネスを知らなすぎるのでは?
 ちまたのビジネス書には、
 たくさんのイケてる経営者がでてくる

 つまり、私の能力がないと、リーダーとして経営ができないんじゃないか!

 会社の経営🟰私

 として判断されてしまう。

 そうだ!MBAに行こう!

 というわけで、

 選ばれる、から解放された私は、

 今度は、評価される道へと、突き進んでいくことになるのである。

 博士課程まで、あと、5年!

 かあちゃん、いつまで、他者目線を胸にしっかり抱いて生きていくのだろう?



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