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「どこでもドア」など要らない父の青春

ドラえもんの道具の中で、一番欲しいものは何か?と問われたら、
私は迷わず「どこでもドア!!」と叫ぶだろう。
行きたい場所、会いたい人のもとへ、思い立ったらすぐに行ける。
タケコプターもあるけれど、ドアを開けてすぐ、
瞬間的にたどり着けるイージーさには敵わない。
物理的な移動時間をショートカットできる夢のアイテム。欲しいなあ。。。
もし持っていたら実家にも帰りやすくなるのになあ。。。と、遠く北の方の空を見上げる。

正月に帰省した際、父がポスターのようなものを抱えてきた。
広げてみたら日本地図だ。そして、よくよく見ると、
その一部、福井や石川、盛岡、四国、などが
黄色のマーカーで縁取られている。
「去年、ここを旅行したんだよ。この鉄道の沿線をずっと旅したんだ。」
青春18きっぷで、各駅停車に乗って何日間も旅をしたそうだ。

青春18きっぷって、、、懐かしい。お金が無かった10代のころ、
友達とよく利用したなあ。。。これって学生のためのものじゃないの?
ツッコミたいが、父のぶらり各駅の旅トークが止まらない。
死ぬまでに、各駅停車で列島の海岸線をめぐり、
日本地図をぐるりとマーカーで囲みたい、んだそうだ。

ふーん。。。
旅行に行くなら、新幹線や飛行機で素早く快適に到着し
現地での時間をたっぷり楽しみたい派の私としては、
いまいち理解しがたい価値観だ。

「次は、この辺りか、この辺りに行きたい!と思ってるんだ~」
大好きな焼酎を飲むのも忘れて、熱弁をふるっている父の姿を見ていた。

父は高校教師だった。
とにかく「ルールと常識の遵守」を美徳とする教育方針で、
「ルールは破るためにある」と考える私は、飽きもせず反抗し、
父とは毎日のように衝突した。
夕方、父の車のエンジン音が聞こえてくると、
学校から帰ってリビングでテレビをだらだら見ていた私は
吐き出すように大きなため息をついて
顔をあわせないよう自分の部屋に引きこもった。
そんな時代もあった。まあ、思春期のころの話だ。

父が生徒指導を担当していた時期だと思うが、
自宅に、ある日突然、頼んでもいないパーティサイズの宅配ピザが5枚も届いたり、迎車のタクシーが7台も家の前に横付けされたりもした。
おそらく、生徒たちのいたずらだろう。
その都度、家族の誰かがが「うちでは頼んでいない!」と、
半ばキレぎみに言い張り、なんとか交渉して切り抜けてきたのだが、
私は情けない気持ちでいっぱいになって、何度も口にしようとしてのみこんだ。「どんだけ嫌われているんだよ!」と。

父が定年退職し、教壇を降りてしばらくたつ。
今では、生涯学習の学校に入学したり、何やら習い事をしたり、と
なんだかアクティブに動いていて、毎日忙しそうだ。

「おとうさん、若い頃ね、本当は料理人になりたかったみたいよ」と、
ついこないだ母から聞いた時、
驚きとともに、私が知らない父の生きざまを思った。
父は、どんな思いで40年間、
教員としての人生を、勤め上げてきたんだろう。

果てしない長期のローンで家を建て、子ども全員を大学に入れて、
きっと夜遊びまわれるような経済的余裕なんてなかったはずだ。
そして、生徒にあんな嫌がらせをされるぐらい嫌われ役を引き受けて、
家の中でだけが唯一、心を休める場所だったはずだ。
酒を飲んで愚痴を吐き出したくなるときもあったはずだ。
そんな父の裏の姿を、冷ややかな目で見ていた当時の私を、
すっとんで行って、一発ぶん殴りたい。

父が見つけた「青春18きっぷ」でめぐる日本一周の夢。
日本の輪郭をなぞることを目的としただけの旅。
ガタンゴトンと各駅停車に揺られ、車内で駅弁を頬ばり、
滞在する旅館はボロボロの安宿。。。でも。
仏頂面の瞳の奥をキラキラ輝かせ、
車窓に流れる日本地方の素晴らしい風景を刻み込んでいるのだろう。
わくわくを隠せない鉄道少年のように。

父にとっては、
目的地にすぐ到着してしまう「どこでもドア」なんて
全く興味がないんだろうな。
そしてまた、タイムマシンで、嫌われ役の過去に戻ることも、
未来をのぞき見することも、おそらく嫌だろう。
一駅づつ、一駅づつ、生きている実感をかみしめるように、
今この瞬間だけを、大事にしたいんじゃないかと思う。
父には、ドラえもんの道具は必要なさそうだ。

ようやく訪れた、父の青春。

もう夢は我慢しなくていいから、
どれだけ嫌われても今度は家族が守ってあげるから、
好きなように楽しんだらいい。

そのおしりが痛くなりそうな旅には同伴しないけれど、
黄色いマーカーをたくさん用意して、帰りを待っているね。

青春73きっぷ。発車オーライ。
人生はまだまだこれから。




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