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生きづらい子供達の未来のために


ひょんなきっかけで、わたしを苦しめていた過去を丸裸にすることになった。


幼少期、思春期。
側から見たら何も不自由ない暮らし。

でも、心の中はぽっかりと穴が開き、今を生きる楽しさも、未来への希望もなにも湧かなかった。


本当のわたしはここにいる。気づいて。

子供の頃のわたしは、いつもこう思っていた。
子供の社会の中で必死に叫んでいたが、それに気づく人は誰一人いなかった。
どうしたらいいのかもわからなかった。

次第に、自分でも自分がよくわからなくなってきたけど、それを認めると全てが終わる気がして、まだ諦めたくなくて、どこかに落ちている希望を見逃したくなくて、必死に立とうともがき続けた。

そんな経験やその時の感情を全て吐き出した。


もう消化できているつもりだったのに、実は少し泣いていた。

対話の相手も幼少期にひどく心に傷を負った経験を持っていると聞いていた。
そして、その時のことを綴った記事をシェアしてもらった。

大人に傷つけられた心が、周囲の大人や環境によって癒えた、そんなストーリーだと解釈した。
もちろん本人の努力や別の要素もあるだろうが、周囲の理解、環境の変化がそれらをつくるベースになったのは見てとれた。

わたしはその記事を読んで、当時のわたしの心の穴の正体がわかった。

当時のわたしは、理解者が欲しかったのだ。
心の穴に気付いていた人は周りに誰もいなかったように思う。友達も、親も、誰もわたしの悩みを知らなかったし、今でもそうだろう。

当時のわたしに、そのまんまのあなたに最高の価値がある、そう言って全てを受け止め、理解し、側にいてくれる人がいたらどれだけ救われただろう。

そして大人になった今、心の奥底で大切にしている価値観にも初めて気がついた。

思い返せばわたしは目の前の人の理解者であろうと無意識的にいつも思っていた。
世間がどう言おうと、味方がわたし一人になろうと、目の前の人の大切な心や想いに寄り添い、ただ理解して側にいたかった。そして、その人を守りたかった。
眠っていた子供の頃の経験からこの価値観がつくられていたことに気が付き、自分を抱きしめたくなった。


子供の世界の中で、自由に決断するための材料は多くはない。材料が揃ったとしても、決断する勇気がなければ何も変わらない。環境の変化とともに自分で変化ができる人はおそらく少ないだろう。
総じて、子供は自由なようで不自由だと思う。
周りの大人や環境が、その子に大きく影響を与えるのはそのためだ。

材料を知るきっかけづくり、勇気につながるサポート、環境を変えるための場づくり。大人になった今、できることはたくさんある。

一人でも多くの子供たちが、自由に自分らしい選択をし、未来を描けるように。

自由の身となったわたしはなんでもできる気がしている。
理解者としてそれらを世に生むことで、子供達の未来と、過去のわたしの居場所をつくりたい。

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