見出し画像

アンパンマンになれなかった

私が幼い頃、アンパンマンは、
まだテレビアニメの主人公ではなく、絵本の中のヒーローだった。
絵も、穏やかでやわらかく、
内容も、強い道徳観を感じさせる話だったような気がする。

母が買ってくれた絵本の中に、アンパンマンがあった。
他にも絵本を買ってくれたはずなのだが、他の記憶を消すくらい、
アンパンマンの記憶は濃厚だった。母の思い入れを感じたからである。

母がうやうやしく、本の表紙をめくり、私に読み聞かせはじめた。
いつもと違う雰囲気に、真剣に聞かなければならない圧力を感じる。
あるページで、母の手が止まった。
アンパンマンが、お腹をすかせた子に、
自分の顔をむしって、食べさせてあげる絵が描いてあった。
この時、母は絵本の内容から離れて、私に何か言い聞かせていた。
はっきり憶えていないが、
人のために自分を差し出し、助けることがいかに素晴らしいことか。
人に迷惑をかけてはいけない。人に思いやりをもって接して欲しい。
そんな内容だった。

アンパンマンのようになりなさい。
母にそう言われた気がした。

母にしてみれば、これは教育の一環で、熱心に道徳を説いただけだと思う。
しかし、私は受け止め方が大げさなのだ。
すべての言葉を深層心理に食い込ませる厄介な娘である。
幼くとも、それは今と大して変わらない。

自分の身を裂いてまで、人に優しくしないと、いけない。
私はそう思った。
そうしないと、もし、母が不仲だった父と別れる時が来たら、
私は母に連れて行ってもらえなくなる。
姉だけを連れて、家を出ていく母の後ろ姿が脳裏に浮かんだ。

そうして私は、
アンパンマンの正義感と自己犠牲と思いやりを手に、
義務教育を受けることとなる。

大人がしてはいけないと言ったことは、正義感の名のもとに守り続けた。
しかし、それが仇となり、私は小学6年の時にいじめに遭う。
そんな真っ只中、父が浮気をし、離婚したいとまで言い出した。
母娘共々、あの1年間は、本当に踏んだり蹴ったりであった。

小学校卒業が近くなると、いじめはなくなっていった。
しかし、いじめた子達と同じ中学に通わせることを危惧した母は、
小学校の同級生が通わない学区の中学に私が入学できるよう、尽力する。
こういう時の母は本当に強かった。

中学入学時、いじめられた経験から、
全く知らない人の中に飛び込んでいくのが不安だった。
しかし、持ち前の正義感と自己犠牲と思いやりを手に、
私は何とか友人を作る。
恋愛の相談、悩みなどを聞き、
グループから仲間はずれにされてる女の子を見つけたら
すぐさま声をかけ、一緒に行動するようにした。
友人たちのことは好きだ。
しかし、自分の時間がどんどん無くなっていく。
私の顔から多くのパンが失われ始めていた。
学校から帰って、翌朝、学校へ行くまでの間に新しいパンが焼けない。
私は徐々に学校に通えなくなっていった。

私はアンパンマンになれなかった。
そんな体力も精神力もなかったのだ。
アンパンマンになるのに大切なのは、
顔をむしってあげられる優しさだけではない。
むしった顔を、また、まんまるに戻せる、回復力なのだ。
私には「新しい顔だよ!」といって
アンパンを投げてくれるジャムおじさんはいないし、
いつも新品の顔を着け替えられるわけではない。
むしった部分は、自分の精神力と回復力を屈指して
元の姿に戻さなければならないのだ。

高校に入り、私はアンパンマンになるのをやめた。

私の入学した高校は、先生たちが熱心で、
生徒の話をよく聞いてくれる人が多かった。
私もその雰囲気に甘えて、先生に話を聞いてもらったことがある。
思いのほか、時間がかかってしまい、思わず
「迷惑かけてすみません」
と言った。
若い女の先生は、鳩のように目を丸くすると、
じっと私の目を見てこう言った。
「人は迷惑をかけずに生きることはできないよ。
そして、私は迷惑だと思って、あなたの話を聞いたりしない」
私の目から鱗が落ちた。急に目の前が明るくなったのを感じた。

自分の許容量を越えた思いやりは、相手にとって不幸なことだ。
友人たちは、私が我慢や疲労を抱えながら、接していたなんて、
思いもしなかっただろう。
この先生との出会いで、
私はようやくアンパンマンから逃れることができたのだ。

私にとって、アンパンマンは呪いだった。
アンパンマンにならないと
母から受け入れてもらえないのではないかという恐怖。
顔をむしらないでいると、溢れ出す罪悪感。
顔を元に戻せないことから起こる自己否定。
いろいろとがんじがらめになっていた。

私は、アンパンマンにはなれなかったけれど、
やはり、アンパンマンが好きだ。
あの優しいまんまるの顔。
ボクの顔を食べて、と言える大きな愛、そして勇気。
それを真似るのは苦しかったけれど、
アンパンマンは本当にヒーローなのだと知ることができた。

アンパンマン、愛と勇気をありがとう。




お読み頂き、本当に有難うございました!