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あなたはペットの命に、いくら払えますか。

 大切な存在は、人を弱くするものなのかもしれない。
 この小説を読みながら、私はそんなことを思っていた。


 先日、スーパーでインスタント袋麺(5袋入り)が500円を越えており、目ん玉が飛び出しそうになった。激安で売られている特価品をよく、「目玉商品」などと呼ぶが、そのインスタントラーメンは真逆の意味で、私にとって目玉商品になっていた。

 こうなってくると、家族を飢えさせないで暮らしていくのが精いっぱい。いや、自分の命を繋ぐことすら、綱渡りの人だって多いはずだ。
 そんな中、ペットと暮らす、ということは、とても贅沢なことなのかもしれない。

 酒本歩さんの小説「ロスト・ドッグ」の主人公の保志太一ほし たいちは、かかりつけの動物病院の主治医から、愛犬の手術に200万円の費用がかかると言われてしまう。しかも手術以外に延命できる道はない。だが、しがないライターの太一に、そんな大金をすぐには用意できなかった。

 借金してでも愛犬に手術を受けさせるか、これも愛犬の寿命と考え、手術を諦めるか。太一の揺れ動く思いに、ページをめくりながら、読者の側も、自分の意見や考えを重ね合わせながら読み進めていくことになる。

 この本の帯には、

 あなたはペットの命に、いくら払えますか。

 そう書かれてある。本を手に取った途端に突きつけられるのだ。
 この帯の言葉にどういう感情を抱くかは、それこそ【人それぞれ】だと思う。

 この物語は、その「それぞれ」の人たちに対する目線が温かい。あらゆる側面から、犬と飼い主を見つめている。その眼差しは、獣医師の思いにも向けられている。

 法律上「物」扱いされてしまうペット。
 
 社会の中において、犬や猫よりも人の命のほうが重いとされるのは、そのほうが問答無用で人間を優先できるからだろう。命を軽重で語ることは、とても実社会的なことだ。

 だが、一個人が命に向き合うとき、軽重という概念はあまり意味をなさないのではないかと思う。
 軽いから見捨てる。重いから救うのではない。
 その判断基準は軽重ではなく、優先度だ。詭弁でしかないかもしれないが、人間を優先したからといって、ペットの命を「軽い」と簡単に判断しているわけではない。

 そして、その優先すべきことを、人は死ぬまで選び続けて生きていく。今夜風呂に入るかどうかで、10分近く悩むこともあるのだから、選択というものは、実に面倒でしんどいものだ。
 ペットとの暮らしを通して、そんな様々な選択や思いが、この「ロスト・ドッグ」には描かれている。最後のほうで語られる、主人公と主治医のシーンには、込み上げるものがあった。 

 あなたはペットの命にいくら払えますか。

 という問いかけから始まった読書。
 読み進めるうちに、自ずと人間の命にも目を向けることになっていく。ペットの命を考えるとき、自分の命も無反応ではいられなくなる。これは共鳴だと私は思う。

 ペットなんて飼う余裕なんてないよ、という人。
 いくらでも払います、という人。
 そのときになってみないとわからんよ、という人。
 そもそも動物を飼う気はないよ、という人。

 そんな、【それぞれの人】にとって、この話は無縁ではない。
 ちなみに私は

 そもそも動物を飼う気はないよ、という人である。

 そういう選択をしている私自身が、この本を読んでいて無縁ではないと感じた。そう思わされたことが、この物語の力なのだと思う。

 と、ここまで随分とお堅く感想を述べてしまったが、この「ロスト・ドッグ」、実はミステリー小説だ。
 ペットロス、飼育放棄、買いきれなくなった犬を引き取る、引き取り屋が登場したりと、これらの社会問題を絡ませながら話が進む。
 物語の中にちりばめられた謎が立て続けに解き明かされ、張られた
伏線が点と線のように一気に繋がっていく。それに気づく度に、
 こう繋がるのか!
 と快感を覚える。

 文章も読みやすく、専門用語が出てきても、つっかえることはない。抵抗感なく、するすると言葉が頭の中に入っていく。ちょっと、さわりだけでも読んでおこうかしら、なんて就寝前に気軽に手に取ってしまったが最後、あれよあれよと読んでしまった。

 私は本を読むとき、すぐに仲良しになれる作家さんと、仲良くなるまでに30ページほど要する作家さんがいる。「仲良し」というのは、その人の文体に馴染めるかどうか、という意味を込めていっているのだが、酒本歩さんの文体は、ページを開けた途端仲良くなれた。だからこそ、私はこの本を、安易にペットを飼いたいと思っていた子供のときに読んでみたかった。こういう現実を知って、あの頃の自分がどう思うか知りたい。

 背伸びして読んだ本というのは心に残るものだ。
 事件が起こる話ではあるけれど、殺人やそういった負の要素以上に、子供だからこそ、感じ取れるものがあったと思う。
 大人が抱える「苦さ」を垣間見ることも、子供心の良い刺激になっただろう。それぞれの人の思いを、自分の気持ちで紐解けたはずだ。学生服を着ていた頃の自分に、この本を贈りたい。そう思った。

 ちなみに、物語の主人公・保志太一ほし たいちはごく普通の人だ。
 たちどころに事件を解決するわけでも、鋭い洞察力があるわけでもない。様々な出来事に心を揺らし、うろたえ、焦り、ガッカリもする。

 主人公の人間らしく、頼りないところが実に危なっかしい。大丈夫かなぁと思いつつも、読むうちに彼を応援せずにはいられなくなってくる。最後の最後まで読むと、太一の元妻・超切れ者のジャーナリスト・沙智さちが、そんな太一を好きになってしまった理由が何となくわかる。人を好きになることも、弱点の一つなんだろう。
 私は冒頭で、

 大切な存在は、人を弱くするものなのかもしれない。

 と述べた。
 大事な存在に何かあったとき、人は平常心を失い、うろたえる。自分の弱さが露呈してしまう。
 だが、その弱点は、その人が持つ豊かさでもある。だとするならば、自分の弱点を毛嫌いするのではなく、大事に抱えて生きていくのも悪くない。
 弱点はときに、強みにもなるのだ。

 

 

我が家の愛犬、ぬいぐるみの権之介(ごんのすけ)


酒本歩さんは、noteにも作品を投稿もされています。

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