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わたしの愛読書

 私の愛読書は、メニュー表である。
「何を馬鹿なことを」と思われるかもしれないが、メニュー表ほど、面白く、楽しい読み物はないのではないか、と私は思っている。

「メニュー表は、書籍ではない。第一、書店では売ってないではないか。そんなものを《愛読書》と言い切るなんて、君は恥ずかしくないのか?」

 厳格な読書家の皆さんに、こんなお叱りを受けそうではあるが、それでも私は、メニュー表を愛読書と言いたいのだ。
 なぜならば、私はメニュー表を愛しているからである。

 しかし、いくらメニュー表が好きだからといっても、年中外食するわけにはいかない。たまの外食のときに、私は目を皿のようにしてメニューを熟読する。たまにしか読めないメニュー表を開く瞬間、私は、これから冒険小説を読もうと本を開く少年少女のように、胸がワクワクしている。

 この最初の一読は、「何を頼むか」という目的を持ったものだ。そのときの食欲に直結しているので、自分の舌と、目の前にいる夫と相談しながら、今、この瞬間の感性と思考を総動員して、今、何を食べるべきか考えることになる。

 しかし、純粋な食欲だけでは決められない事情もある。多くの方が抱えている懐事情だふところじじょう。いくら美味しそうだからといっても、高いものをバンバン頼むわけにはいかない。財布とも相談しながら、最良の注文をしなければならないのだ。

 しかし、だからと言って、20分も30分もメニューを熟読しているわけにはいかない。お店にも迷惑である。
 注文時の熟読は、熟読でありながら、速読の技術も必要になってくる。そんな求められる条件をクリアし、何とか注文を終えると、ようやく、何物にも縛られない、メニューの熟読ができるのだ。

 料理が運ばれてくる間の数分間、メニューを見ながら考えることは、
 うちでも作れるメニューはないか。
 ということだ。一介の主婦である私が、お店のアイデアを、果敢にも盗もうというのである。このとき、メニュー表は料理の参考書と化し、普段家庭で料理を担当している私の、血となり肉となるのだ。

 変わった薬味が乗った冷奴や、野菜の和え物。スーパーでも入手できる食材や調味料で調理してあるメニューは、実に参考になる。もちろん作り方まで載っているわけではないので、メニュー解説や写真もしくはイラストなどを参考に、調理過程を想像するのだが、これが楽しい。
 別の食材で、似た調理法を用いていたり、同じ味付けで違う料理になっていたりするのを発見すると、
 おぉ、これはなかなか高度な展開料理だな。
 などと思い、すぐさま心のメモ帳に書き留められる。

 居酒屋などはこの展開料理が多く、実に参考になるのだ。こういうものなら自分もできそうだと思うと、翌日すぐ作ってみたりする。外食は自炊よりもお金はかかるが、こう考えると決して無駄ではない。

 食材の旬や名産地を知ることができるのも、メニュー表の面白さの一つだ。食材や酒の銘柄を発見できるという知識欲を存分に満たしてくれる。
 私は酒好きなので、知らない銘柄の日本酒や焼酎、ワインを見ると、どこの地域で作られたものかチェックし、その土地に思いを馳せることも多い。
 そう考えると、メニュー表には、旅行ガイドや、旅エッセイ的な側面すら見い出すことができるのである。

 私は、お店それぞれの思い入れが、メニュー表には込められているように思う。食べてもらうお客さんにこれは伝えたい。
 こうすれば興味を持ってもらえるかな?
 注文してもらえるかな? 
 そんなお店側の真剣なワクワク感に溢れているのだ。これは、チェーン店でも個人店でも変わらない。ただ、料理名と価格を並べてあるだけのメニュー表であっても、「これが作れます」というプライドが、そこにはあるのだ。

 だから私はメニュー表を愛読書と言いたい。
 そのお店のすべてが結晶のように固まっているメニュー表は、読者の五感を刺激する、最高の読み物である。 

  

 

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