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2023年、あなたに一歩踏み出したい。

アオイです。明けましておめでとうございます。もう3月ですが……、この記事では2023年の抱負を書いていきます。それではよろしくお願いいたします🎍


さて、2023年の抱負は、このようになりました👏

あなたに一歩踏み出したい。

この抱負に至った経緯をこれから書いていきます。



2022年の抱負の振り返り

私が私であり続けるために、心を開いて他人と積極的に関わり、つながっていきたい。

2022年の抱負

一人暮らしを始めた私は、「人は一人では生きていけない」ということを知る。そのために、他人に心を開いてつながっていくことを抱負とした。

具体的には、自分の限界が来る前に他人と雑談したり、相談できそうであれば相談してみたりする時間を意識して作る。SNSだけでなく、生身の人間と直接顔を合わせるようにする。といったアクションを取ることを心がけた。


悩みができたら、SNSやサードプレイスで積極的に相談するようにした。また、学生時代からの友人と直接集まれたことがきっかけで、再び皆で遊びに行く機会も増えた。職場でも休憩時間中に雑談するようになった。人間関係に対してとんでもなく消極的だった私にしては、かなりの進歩である。


しかしながら、私には根本的なコミュニケーション能力が欠落していた。多くの人が普通にこなせるであろう人との会話が、私には非常に難しい。相手に話しかけるタイミング、謝り方、細やかな気遣い、報連相など……。それを職場で散々指摘されてしまった。

私はどうしてコミュニケーション能力が低いのか。もともとそういう人なのか。それとも何らかの障害を持っているのだろうか?


「人間」なのかが怪しい私

私はコミュニケーションが大の苦手だ。言いにくいことを言わないといけない時、気を遣って言葉を色々考えて声をかけたはずだったのに、かえって相手を怒らせてしまった。相手からは、「言葉を選んだ方がいい」と言われる始末。私は、私なりに言葉を選んでいるのに……。


他の人同士が話している間に入っていいのか分からない。仕事にて、自分の業務の優先順位を考えて話しかけたら、「今どういう状況か分かっている!?」と怒られた。緊急事態中に話しかけてしまったようだ。頭では緊急なことが起こっていると分かっているのに、混乱して、話しかけてしまう。


またある時は「話し中に声をかけてもいい」と言われたので、声をかけたい相手が他の人と話している時に声をかけたら、「会話が終わるまで待て」と注意される。

どんな話をしている時が割り込んでいいのか、はたまた悪いのか……。私からは全然分からない。他の人はその辺りの塩梅がわかっているようだが、何で私には分からないんだろう。


今の職場が、部署問わず多くの人と連携して働かないといけないというのもあり、ますますコミュニケーションを要求されるようになった。私には苦痛だった。自分に合わない環境にいると、「私は人として当たり前のこともできないんだ」という気持ちにすらなってくる。


人として当たり前のこともこなせないなんて、自分は本当に「人間」なのだろうか。

ところで、RADWIMPSの「棒人間」という曲が自分みたいだった。

数年前、笑顔ができなくて今よりもコミュニケーション能力が低い時に、聴いた曲だった。まさに自分を表す曲だったが、聴いているうちに悲しくなってきて、あまり聴かないようにしていた。


手に入れた幸せは忘れるわ 自分のことばかり棚にあげるわ
怒らせ、苛つかせ、悲しませ 僕は一体誰ですか?
どうせこんなことになるのなら はじめから僕の姿形を
人間とは遥かほど遠いものに してくれりゃよかったのに

RADWIMPS「棒人間」


私は「当時の私から変わることができた」と、自分では思えていたのだ。だけど、その経緯を知らない人たちからしてみれば、私はまだまだコミュニケーション能力が低く見えるのだろう。

苦手なことに、どうして向き合わないといけないのか。だけどまとまったお金を持ってないから、自分に向いていないからといって、この仕事を辞めるというわけにもいかず……。


過去のつらい経験が今の私を作る

私は自分の気持ちを話そうとすると、どういうわけだか泣いてしまう。泣きたくもないのに、悲しいわけでもないのに、勝手に涙が溢れ出る。

この状態に気付いたのは、就活中のキャリアカウンセリングでのことだった。もっと深く話がしたいのに、涙が出そうになって断念することが多かった。

「どうして涙が出てしまうのだろう」と考えて検索しても、私にはピンとこなかった。調べたところ、自己開示ができない人にそのような傾向があるそうなのだが……。

私は昔からわがままで自己主張が強い。だから自分の意見を言えている人だと、信じて疑わなかった。でも本当にそうなのだろうか?


職場での出来事をきっかけに、私は再度この現象について考えることにした。そこで、過去の人間関係が今の私を作っていることに気付いた。

自分のことを話すと涙が出てしまう理由。それは、周りの大人に自分を認めてもらえなかったことが、ずっと心の中で引っかかっていたからだった。

・ケンカしたらいつも私が悪いことにされてしまう
・「自分は悪くない」と主張しても、聞いてくれない
・自分の食の好みを分かってもらえない
・テストで高得点以外を取ると、良くない顔をされる
etc.

今思えば本当に些細な出来事だ。だけどその「些細」が積み重なった結果、私は秘密主義となった。話しても私のことを受け止めてくれるわけがないだろうと、幼いながらに判断したからだ。

誰にも本心を話すことなく、また「私はこう思う」「こうしたい」という主張も誰にもしないまま、学生時代を過ごしてきた。例えば雑談でも、「私ならこうするな」と思い浮かんでも、特に発言しなかった。基本的に私は聞き役だった。

授業や部活での話し合いの時も、私からの発信はほぼ無かった。「何か意見を言ってよ」と促されることもあったが、「こんなこと言ったら『くだらない』って思われそう……」と決めつけて、自分の意見を封じ込めていた。

そして就活が始まり、キャリアカウンセリングの場で自分のことを話そうとすると、涙が出そうになってしまう……。人前で泣くのが嫌だから、私はますます自分のことを話さなくなった。


全てがつながった気がした。「過去の経験が今の私につながる」という言葉自体は聞いたことがあった。今、それがようやく腹落ちした。

何となくそうだろうと思っていたが、私はアダルトチルドレンだった。幼少の頃にできた傷が癒えないまま、大人になっていた。そのことに気がついた時、「自分は本当につらかったんだろうな」と思って涙した。


気持ちは出さなきゃ伝わらない

過去の経験が今の私を作っていることを実感したが、それだけで問題は解決しない。「では、今からどう動くか」が重要である。

自分の気持ちを伝えるトレーニングが、今の私には必要だ。noteのような文字に起こすものではなく、直接の会話で。


そもそも私は、コミュニケーションを取った回数が、普通の人よりものすごく少ない。極度の人見知りで、過去の経験から自分の気持ちを抑え込み、ケンカなどの衝突を避けるようにして生きてきたからだ。

なので会話自体が下手くそなのである。職場において、相手に話しかけるタイミング、謝り方、細やかな気遣い、報連相などを散々指摘されるのも、当然のことであった。


では、具体的にはどんな行動が取れるだろう?

伝えないと、相手に気持ちは伝わらないことを意識して過ごす。
・雑談で、「私もその話分かる」などの気持ちが思い浮かんだら、それを口に出す
自分から感謝する。悪いことをしたと思ったら謝る。時間が経ってからでもよい。「相手に気持ちを伝える」ことを意識する。

書き出してみたら、当たり前のことばかりが出てきた。私はこんな当たり前のことすら困難だったとは……。

というのも、口に出す前に「こんなこと言ったところで聞いてくれない」「今更何を言おうとしているのか」などのストッパーがかかるのである。結局言わず、少しのモヤモヤが心に残る。

このストッパーを取っ払いたい。だけど、コミュニケーションは私の苦手分野だ。自分から声をかけるのも、相当のエネルギーを要する。正直なところ、気が進まない。この抱負の動機が仕事から来ているからだろうか。私は現在の仕事にそこまで力を入れたいと考えていない。


プライベートでも、コミュニケーションは必須だというのに。文章だけではなく、私の口から直接、熱い想いを伝えたい人だっているのに。伝えられる人にならないといけないのに……。


「しなければならない」「やらなきゃ」と考えるモードに入ると、ストレスが溜まってしまう。だから、この機会を自分が成長できるチャンスだと捉えるんだ。

少しでもいいので「できた」と思ったらその出来事を書き留めていく。そして、自分で褒める。そうすると進捗記録にもなり、振り返った時「自分は頑張った」と思えるだろう。


また、「自分から気持ちを伝えられるようになった状態」を考えてみるのも良いのかもしれない。

・声をかけられずにモヤモヤすることがなくなる
・自分の気持ちを正確に伝えられて、コミュニケーションの齟齬が減る
・言いたい時に気持ちが即座に言えるようになり、スッキリする
・自分から声をかけることにより、色んな人の色んな一面が知れる、世界が広がる

と考えてみても、イマイチ乗り気になれない。自分が「普通」の人間にならないといけない、という意識があるからだろうか。今の私がダメだ(少なくとも今の職場ではそう)と思ってしまうからだろうか。今の私を否定しているみたいで、踏ん切りがつかない……。

もちろん、変わりたいと思っている。話そうとすれば泣きそうになったり、上手く物事を伝えられなかったりという状態のまま生きるのも嫌だ。


まとめ:一歩踏み出したいのに、怖い

「仕事で求められているからやらないといけない」ではなく、自発的な理由で変わりたい。仕事以外でも、コミュニケーションは必要だ。


今年の抱負である、「あなたに一歩踏み出したい」。最初は「自分の気持ちを声に出す」という抱負を考えたが、しっくりこなかった。渋々やらされているという感じがする。実際、現職に限らず他の場所でもそのような指摘を何度も受けているからだろう。

対して、「あなたに一歩踏み出したい」は、なんだかはまった感じがした。「〜〜したい」という表現が、ワクワクするニュアンスを持っているからだろうか。それとも「相手を知る」ということが、好奇心に繋がっていくからだろうか。


だけど、「あなたに一歩踏み出したい」のに、「あなたに一歩踏み出す」のがやっぱり怖い。「失敗したらどうしよう」という気持ちが強い。特に、職場でのやりとりは。

怖いけどやらないといけない、という気持ちでずっと揺れ動いている。このnoteを書きながらジャーナリングをしているみたいだった。気持ちが定まらない。



抱負を書いているのに、最後は不安で終わってしまいました……。苦手なことと向き合うのは、相当のエネルギーを要します。苦手と向き合った分の2倍ほど、誰かに褒めてもらうか自分で褒めるなどをしないと、割に合わない感じです。


私は自分の苦手と向き合うことより、得意を磨いていくことの方が性に合っています。ですが、コミュニケーションを取るのが難しい私のままでは、得意なことを活かす以前に、生きることすら難しくなってしまいそうです。どんな仕事でも、コミュニケーションは必須なのですから。


気が付いたら、「あなたに一歩踏み出したい」と自分に言い聞かせているようなnoteになってました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。遅くなりましたが、2023年もよろしくお願いいたします🎍


2023.3.10 アオイ






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