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ベトナムハノイの生ビールと安宿はどんだけ安いか? 実際に行って分かったこと

ベトナムハノイの生ビールと安宿はどんだけ安いか?
実際に行って分かったこと

 ・ 今ベトナム行きLLCが安値!
 ・ ハノイの生ビールが60円!
 ・ さらにホテル代も割安!
 ・ コロナ明けなおさらお得!

 
 自分に都合のいい情報だけを手繰り寄せネガティブな情報は避けていると、ほんとにそう思い込んで行動してしまうからコワイもんだ。

 長かったパンデミックもようやく明け、待ちに待った海外渡航が解禁されたというに行かない理由はない。
 しかしこのご時世、底知らず下がり続ける邦貨、残り少ない年休、佳境を迎える担当プロジェクト、資料整理の山々、未読多すぎ受信トレイ、我が家の支払いに深いため息つきながら、窮屈な現状は旅に出なかったとしてもたとえ変わるわけでもなく、ならば自分に都合よく考えこの難局を乗り切るしか術はない。

 ネットで閲覧すればするほど旅に出てたくなり、居てもたってもいられず、海外旅行逆風がなんだ、仕事がなんだ、ハノイの生ビールこそ最適解だと道祖神に導かれだったら行くしかないさあー。
 
 職場のスマホをさっさとオフにして、気が付けばベトジェット台北発ハノイ行の機上の人となる。
 ベトジェットVJ943便は桃園機場から順調に飛行、機体は 20:55 ほぼ定刻通りハノイ国際空港に到着した。
 出発40分前から搭乗を開始、細部に渡って気を配り出発と到着をほぼ定刻通りに運航するベトジェットには驚いたが、やはりこれもパンデミックや熾烈な競争を乗り越え生き残った LCC 業界アジアの雄。
 格安、定刻、遅延ナシとくれば、たとえ必要最低限の狭い座席間隔でも文句は言えない。

 イミグレ、税関を難なく通過、急いで両替を済ませやたら桁数の多いドン紙幣に戸惑いつつ、市内行きバスの最終に乗れるようバス乗り場へ急ぐ。
 空港ビルを出てすぐの乗り場には86番のバスが既に来ており、今まさに発車という所で間一髪間に合った。あと数分遅ければ乗れなかっただけに冷や汗もんだ。

 市内へ向かう86番バスの車内は無料Wi-Fiがとても強力、移動中にもかかわらずグーグルマップで絶えず現在位置が示され、初めての道でもおおよそ何処を通過し何処に向かっているのがオンタイムで把握できとても助かる。

 この地図アプリの開発者はたぶんバックパッカーではないかと思えるぐらい旅人の気持ちをよく理解、入り組んだハノイ旧市街の路地という路地をカバーしてくれてとても重宝した。
 歩きを基本とする旅人にとってもはや必須アイテム、これさえあれば初めての場所でも迷うことなく目的地にたどり着ける。

 時おり降りしきる雨の中、冷房が効いた車内からよく整備された高速道路や街並みを眺めながらコロナが終息してようやく行ける海外に感極まる。

 バスは渋滞にも巻き込まれず時間通りハノイ旧市街に到着。てくてく歩きながら夜11時近くでも観光客や地元の若者で賑わうライトアップされハノイ大聖堂前を通過、小ぢんまりとした宿が立ち並ぶ薄暗い路地をくねくね曲るとようやく今日の宿に着いた。

 ここまで出発前にイメージした通りスムーズに事が運びひとり悦に浸っていたら、頑丈な鍵でしっかり施錠してある太い鉄格子を前に途方に暮れた。

 看板も住所も何度見直しても今晩の宿である事は間違いない。周囲から中を伺ってみるとまるで寝静まった民家のように明りひとつ灯されておらず、外から叫んでみたものの中から物音ひとつせず全く気配がない。

 鉄格子の小さな板に夜遅い場合の連絡先がくくりつけられているが、データサービスに特化したSIMカードを選択したため電話での通話はできず、節約のため省いたのを今更ながら悔やんだ。
 
 怖いぐらい順調にハノイ市内までたどり着けたというのに、果てさてどうしたもんか。
 ハノイ中央駅まで歩いき構内のベンチ、はたまたホアンキエム湖の東屋で夜を過ごすかと思案にくれること30分、深夜で人通りも少ない中ようやく通行人が現れ、すがる様に窮状を訴え電話をかけもらい、寝ていた宿番を起こし中へ入ることができた。

 ベトナム初日、いきなり宿から閉め出され想定外のトラブルに遭うけど、首都ハノイしかも旧市街に位置する格安の宿に至れり尽くせりのサービスを求めるのは酷というもの、入国早々野宿せずに済んだだけでも幸いだ。
 宿番の青年は眠たそうな目をこすりつつ、パソコンに映し出される名前を確認して、すぐ横の階段を上り五階の部屋まで案内してくれた。
 
 ハノイの宿はまだ比較的安く、旧市街に位置しながらACシャワートイレ付きのシングルが一泊1,535円と低価格は特筆すべき。部屋は小さいながら窓もあり全体に圧迫感もなく、またWi-Fiも完備され一人で泊まるには十分な広さ。
 家族経営の小規模な宿で部屋はただ五階にあって上りに多少体力を使わされるが、日頃の運動不足の解消に持ってこい、それにこれから毎日ビールを消費することへの罪悪感も幾分かは相殺してくれるだろう。

 五階だからほどよく日が差し快適そのもの、更にこの宿はハノイ大聖堂のすぐ近くということもあって、朝5時のミサ開始を鐘の音に起こされるのはとても気分爽快。

 厳粛な鐘の音と共に隣のビルからコケコッコーと鶏の雄叫びも聞こえ、人よっては未明の大音響「なんじゃこりゃあ!」と怒り叫ぶかもしれないが、何百年と受け継がれ脈々と続く地域の営み、この鐘の音と共に一日が始まる。

 地元の赤ちゃんに至っては、おぎゃーと生まれてからずーと耳にしており鐘の音こそが母の鼓動と同音同義、まさに尊くハノイの母の鼓動を全身に受けこれほどまでに不浄に満ちた心が洗われる瞬間はない。
 まさにこれこそ旅の醍醐味。うーん、いいね!

 さて目指すビヤホイは街の至る所に点在、黄色い看板に「Bia Hoi」と赤文字で大きく書かれているからすぐ見つけられる。
 歩道にはみ出し置かれたテーブル席、通行に支障きたすこともまた行きかう人々の視線も気にすることなく、昼間から酌み交わしている地元の飲ん兵衛たちの姿にはなぜか共感を覚える。

 たとえベロンベロンに酔っ払っても無事宿に戻れるよう、迷路の様に入り組んだ道筋を頭の中にインプット、空いてるテーブルに陣取りまずは生ビールを注文する。
 やはりビヤホイの生ビールは格別であった。ベトナム料理との相性は言うまでもなく度数低めなビアホイはうっかり何杯でも飲め、更にその一杯60円という価格がたまらない!
 地元の方々にはその60円も安くはないかもしれないが、旅人には十分な発見と自慢になる。
 それから三日間、ハノイ大聖堂の鐘の音と共に起き、早朝の旧市街を散策、適当に昼食そしてビヤホイ通いの日々が続いた。

 結論を言えば、行ってよかったさあーである。

 ハノイの活気あふれる喧騒の中、グラスに並々と満たされた生ビールを一気にあおる爽快さは何ものにも代え難い。
 ハノイで昼から飲むアルコール低めの生ビール、スーと抵抗なく飲め無意識のうちにグラスが空になり、それを見つけるや否やウエイトレスがお代わりいかがとすぐさま畳みかける。

 仕事もせず昼間から飲んでいるハノイの酔っ払い達と同化でき、けたたましいクラクションもなぜか心地よく、働く人も働かない人も渾然一体となったそんなハノイの日常に溶け込めること間違いない。
 
 確かにわざわざハノイまで行かなくても、那覇のセンベロで飲んだ方が時間もおカネもセーブでき効率的だ。

 でも、人はより高い生産性や効率を追求するあまり、先行き不安を募らせ、有るはずの時間が消え、忙しさに我を失い安易に道を誤る。
 
 旅は非生産的この上なく、帰国後の生活レベルも著しく向上するわけでもない。
 起きたいときに起き寝たいときに寝る、だらしなく一日を過ごし、ホンの些細なことにも感動でき、自分に時間や感性が戻ってきたことを実感できる。

 そして旅の思い出にただ独りニタついているだけで、帰国後、仕事は手に着かず生産性や効率はむしろ向上しない。
 
 搭乗手続きや長い入国審査にストレスはたまるが、トラブルの数だけ思い出に浸れる。
 ほんの束の間、自分自身を取り戻すことができるかもしれない。
 
 だからまた旅に出よう。
 帰国してすぐだけど・・・


「こっ、これは⁉ いったい・・・ 」


 程よく酔っぱらって宿に戻る道すがらとある寺院の前、何とも形容しがたいイラストに思わず立ち止まってしまった。

 ベトナム、中華はたまたフランスと多様な価値観と文化が程よく融合された何ともシュールな小坊主のイラスト、見れば見るほど味わい深いく、気になってグーグルさんに翻訳してもらった。

 ムムム、最先端の翻訳AIを駆使し日本語化しても意図することが理解できない。
 簡単そうに見えて実は、儒教の教えをフランス語圏だったなごりによる哲学的ペーソスを散りばめベトナム人の寛容さで微笑んでいる散文詩、とも読み取れなかなか思慮深い。

 ほんとうは「四季の恩恵がもたらせるよう、お寺の敷地の掃除を手伝ってくださいね。できれば熱心に」と、美化奨励啓蒙イラストかもしれないが、でもそこは酔いも手伝い、そんでもって難解な日本語訳も自分に都合よく解釈すれば、あら不思議。

 「日々のヤル気が生まれるよう、全てのデータをPC画面左上のごみ箱に捨てると、聖人は依然としてビアホイ修行に来ます」

 これまた意味不明だが、なんとなく方向性が示されすんなり理解できる。
 
 聖人とは、通行に支障きたすこともまた行きかう人々の視線を全く気にすることなく、昼間から酌み交わしているハノイの飲ん兵衛たちの境地を指すのか。
 
 ビアホイ修業とは、ハノイに点在するビアホイを巡り研鑽を重ねれば、いつかは功徳が得られるのか。
 
 解釈は様々だが、大国に翻弄され何度も国土を焦土化されても逞しく乗り越え国を再建、思想や体制を押し付けられても器用かつしたたかに生き抜くベトナムの人々。
 彼ら酔っ払い達の屈託ない笑顔から、平和の有難さ、尊さ、そして生きる喜びをしみじみと伝えてくれる気がしてならない。
 
 小坊主を目にした場所が場所だけに天からの教えとも聞こえなくもなく、何かしら人生の指針のようにも感じられ有難く胸に刻むとする。
 
 なるほど、この小坊主が呼んでいたのか・・・ 
 今改めて思うに、たぶんあのイラストが道祖神なのかもしれない・・・

旅は続きます・・・