はなじゃ

沖縄現住、海外放浪、海外起業、中華圏5年、在米12年、海外長い割に語学不堪能。ヒッチハ…

はなじゃ

沖縄現住、海外放浪、海外起業、中華圏5年、在米12年、海外長い割に語学不堪能。ヒッチハイク・野宿もいとわない旅費削減、切り詰めた旅行スタイルを得意とする、常態化した貧乏ケチ体質。格差、トレーダージョーズの$1.99ワイン、山東水餃、牛肉湯麺、永和豆漿、現地ビールに深い関心。

最近の記事

台湾と名がつくもの 台湾パイン

 近くのスーパーで台湾と名のつくモノが視界に飛び込み、思わず足が止まった。この時期いまか今かと心待ちにしていた台湾パインだ。  そもそも日本であまり見かけなかった台湾パイン、日本市場に突如として現れたのは、中国政府による一方的な輸入処置により中国本土へ輸出ができなくなったから。  大口顧客であった中国市場から突然締め出され、行き場を失った大量の台湾パイン。窮する台湾の生産者を救えと日本の流通や消費者が救済を呼びかけ、一昨年頃から日本市場に上陸し今日に至る。  大災害など事ある

    • 台湾と名がつくもの「八宝粥」

       台湾と名がつくものが陳列棚に置かれ視界に飛び込んでくると、ふと足が止まり、無意識にするする手が伸び、その場に立ちすくみ時間を忘れる。  近くの業務スーパーにて、「八宝粥」を見つけた時もそうだ。  八宝粥は台湾風あまがしと言えばどんな味か想像できると思うが、沖縄あまがしほど甘くなく、甘いものを求めて買ってしまったら物足りなさを感じてしまうこと間違いない。でもこの控えめな甘さこそが八宝粥、またそれがいい。  コップサイズの缶を手に取り、変わらないデザインに台湾人の頑固さ、変え

      • 小さな勉強会 @那覇 vol.2

         那覇にて週一程度、社会人の勉強会を始め、細々と継続している。理由は特にない。  勉強会はセッションと称し異業種の人々が集まれば、なんか面白い話が聞けるのではないかと始めてみた。でも、これがことのほか面白い。  名前も仕事も良く知らない、年代も違う、上下関係、性別、その他の様々な垣根、帰属をなくすと、人はいつもと違う一面、誰も知らない自分だけのストーリーを語り始める。  2020年6月末沖縄県内は、新型コロナウイルス陽性患者が、61日連続して新規感染ゼロと小康を保ち続けてい

        • 小さな勉強会 @那覇

           このご時勢にもかかわらず、那覇にて週一程度、社会人の勉強会を細々と運営、継続している。理由は特にない。  各業界における異業種の人々が集まれば、なんか面白い話が聞けるのではないかと始めてみた。でも、これがすこぶる面白い。  勉強会は「セッション」と称し、自由な旋律の中でテーマを奏でるジャズセッションのように、自身の経験に基づく解決策やビジョンを語ってもらいながら、それを自分の音(知識)として取り込む。自分がリセットできる、自身を引き出せる空間の構築を目指す、というのがこの

        台湾と名がつくもの 台湾パイン

          70円のつり銭

           郊外の酒席に向かうため、小雨の中を路線バスに乗った。ちょうど帰宅時間と雨とが重なり車内は混み始め、バスの乗務員は、急いでバスに乗りこもうとする乗客を制止、下車する乗客を優先に、乗り降りが安全に行えるよう常に気を配っていた。  高校生から小学生まで通学に利用する学生客は、下車するたび必ずと言っていいほど、乗務員に対し「有難うございます」と謝意を伝えていたのが印象的だ。  年に3回ほどしかバスを利用しないが、このいつもと変わらない光景は、かかわり合いが希薄になり、空虚な世相に

          70円のつり銭

          Havana club

           北谷で仕事をてきぱきと終わらせ、バイクで向かうは南風原ジャスコ。ジャスコのリカーショップに行けば、目当ての酒が売っていることを聞きつけたからだ。  でもちょっと待てよ、この近くに業務スーパー浦添店があったはずだ、なにせ那覇における酒の元締めみたいなところだから、ひょっとすると置いてあるかもしれない。  まずは立ち寄ってみると、あった!! あるじゃないですか! 幻のキューバRum酒「Havana club」1260円。  文豪ヘミングウェイがこよなく愛したキューバの銘酒 Ha

          エジプト航空MS865便と職業選択のじゆう

           持っている理由もなく、捨てられないモノがある。だいたいが旅先での領収書、切符の半券、ビールのラベル、チョコレートの包み紙だったり、他人が見ても意味不明なものばかりだが、なぜか捨てられない。  旅に出ても写真を撮らない、メモも取らない、ましてや日記も続かない、記録という記録がない不精な人間にとって、日付と金額がきちんと記入され、紙だから重くもなく更にかさばらないとくれば、これ以上の旅の手軽なエビデンスは他にない。  しかし、これも本来不精な人間だから、国別、年代順に整理さ

          エジプト航空MS865便と職業選択のじゆう

          特売のたまご

           我が家にとって、スーパーの日曜特売セールは家計を助けるだけなく、小学生の娘と一緒に買い物に行ける日でもある。私はお一人様1パック12個入りの玉子が2パック買え、娘は付添ったほう美に好きなお菓子が買える、両方にとってWinのWinの関係でもある。  しかしよくよく考えれば、特売で浮いた金額より、娘の買うお菓子の金額が毎度多く、つまりいつも余分にお菓子を買わされた計算となり、我が家として特売セールで得した記憶がない。  この日はいつものように買い込んで帰途に着いたが、自分の

          特売のたまご

          台湾台中の啤酒屋(居酒屋)

           厚い雨雲の中をゆっくり降下すると、機体の窓から、海岸から高く隆起し南北に長く連なる雪山山脈が飛び込んでくる。眼下に高速道路、新幹線、整備された畑、さらに沿岸部には風力発電用の巨大なブレードが見え、傍を通り抜ける車の大きさからその巨大さが容易に伺え、訪れる度にどんどん発展していく台湾が実感できる。  2019年師走、旧友たちが台中に25年ぶりに集まるとの知らせを受け、何はさておき那覇から飛行機とバスを乗り継いで四人が知り合った場所でもある台湾中部の都市へ向かう。  現在四

          台湾台中の啤酒屋(居酒屋)

          笑う二ドル紙幣

           シェムリアップはカンボジア北部に位置し、アンコールワットへの玄関口としても有名な街、バンコクからわずか一時間、オフシーズンの雨期にも関わらず、機内はほぼ満席の盛況ぶりだ。  期待を抱きつつ現地に到着、何もかもがこれからの国のカンボジアは、貴重な観光資源により経済を発展させようと、世界中からの観光客で街は溢れ、至る所活気に満ちていた。  カンボジアを訪れ、驚いたことのひとつに米ドルの流通がある。ホテル、レストラン、コンビニや移動費、それに市場に並ぶ新鮮な食材や衣類に及ぶ様

          笑う二ドル紙幣

          サラエボの運転手

           1990年4月、ギリシャ東部の街テッサロニキを朝出発、ユーゴスラビアの国境に着いたのは夕暮れ近くだった。アテネ郊外からヒッチハイクで、ハンガリーの首都ブタペストを目指し移動を続け、ほぼ順調に二日でユーゴスラビア国境に到着した。  勢い余ってヒッチハイクを始めたのには理由がある。観光地であるイスタンブールから長距離バスでギリシャのアテネに着き、くたくたに疲れ、何する気も起らず、安宿の窓から見え小高いアクアポリスの丘にそびえる、ライトアップされたパルテノン神殿を眺めていると、

          サラエボの運転手

          サイゴンの物売り少女

           サイゴンの路上の物売りは、陽気で実にしつこい。我々のような外国人観光客相手に、絵葉書や観光用の市内地図を、どこまでも追い掛けてきては執劫に売ろうとする。  大半が女性で、歯が抜けたお婆さんから、まだ小学生といった幼い子どもだっている。旧大統領官邸近くにある中央郵便局付近の露天では、それと同じものが、彼女たちが売る値段よりも安く買えるので、当然ながら旅行者にはあまり人気がない。それでも私が売るものは違うのよと言わんばかりに、押しつけるように買ってくれとしつこくせがむ。  ア

          サイゴンの物売り少女

          むかし中国の田舎を旅していた時

           むかし中国の田舎を旅していた時、広州市からバスに長時間揺られ、初めて訪れた不慣れな場所で、二時間かけ安宿をようやく探しあて、宿泊票に名前を漢字で記入したら、おもむろに受付の不愛想な小姐(女性)は、親から頂いた私の立派な四文字の名前である、仮に私の名前を「花家伸男」だとすると、その「男」の字だけ〇で囲むではありませんか!  確かに中国では三文字の名前がほとんどですから、彼女は私の名前を三文字の「花家伸」だけで、「男」を性別と勘違いし、事務的に〇で囲ったわけですけど、それに名

          むかし中国の田舎を旅していた時

          むかしシンガポールを旅していた時

           むかしシンガポールを旅していた時、私が定宿として利用していたゲストハウスは、シンガポールの目抜き通りから、さほど離れていないベンクーレン通りに沿って集中する安宿の中のひとつ。地上十六階の高層雑居ビルの中にあるこの宿に、今日もドライヤーで吹き付けるような熱風がマラッカ海峡からやってきては、朝からムッとさせます。  ひと部屋二段ベッドが六台、十二人寝られるドミトリーで格安ですがプライベートは保てません。自分の部屋のように着替えも何もかも、皆がいるその場所で行い、貴重品だってそ

          むかしシンガポールを旅していた時

          むかし中国の大理を旅していた時 其の2

           むかし中国の辺境の街、大理を旅していた時、移動だけで五日間とまさに難行苦行の末、辿り着いた大理の街のその歴史は古く、いにしえから交通の要衝と栄えた都で、大理古城や城壁が残り歴史を色濃く感じさせてくれる街でもあります。  週一度のバザールが今日アルヨ~と、宿の人が親切に教えてくれました。マーケットではなくバザールという響きに、すかさず反応してしまい、バザール、要するに青空市場ですが、なんともシルクロードの交通の要衝を連想させ、まさに旅情を駆り立てる言葉じゃないですか、これは

          むかし中国の大理を旅していた時 其の2

          むかし中国の大理を旅していた時 其の1

           むかし中国の辺境の街、大理を旅していた時、そこまで辿り着くのに、広州市から立すいの余地もない席無し鈍行列車に三日間揺られ、やっとの思いで雲南省の昆明に着き、それからさらに夜行バスで峠を幾つも超え、車中で一夜を過ごすと、やっとこさ目的の街、大理に着きました。  大理石の大理です。ちっとも珍しくもない大理石をわざわざ見る為に、正味五日間の陸の移動をしたわけでなく、中国に行ったらまず大理を目指せ、行ってきた旅行者すべて異口同音に口を揃えるので、それじゃあ行きますかねえと、難行苦

          むかし中国の大理を旅していた時 其の1