菜の花

秋田住まい、30代女性。大学卒業後は7年、社会福祉法人で生活支援員や職業指導員として務…

菜の花

秋田住まい、30代女性。大学卒業後は7年、社会福祉法人で生活支援員や職業指導員として務める。その後、介護や教育の業界へ転職するも‥離転職を繰り返すように‥。2023年の夏に軽度知的障がいと診断された事により、障がいが背景にあった事が発覚。現在は気持ちを整理する為、お休み中です。

最近の記事

  • 固定された記事

現在投稿をお休み中との事ですが、少し自分の気持ちや原点を見直す為‥しばらくお時間を下さい🍀 いつも読みに来て下さり、ありがとうございます。

    • しばらくぶりの投稿

      お久しぶりです。障がい者雇用での就職が決まってから、気持ちが慣れるまで色々とバタバタしていました。 また、少しずつですが思った事を色々と書いていこうと思うので、改めて宜しくお願いします。 早いもので、4月ですね。 こういった季節の変わり目や、環境が変わったり‥不慣れな状況が続くと、自分の場合、いつも以上に疲れやすくなったり、体調を崩したりする事が多くて、“よし、やるぞ!”と意気込むも束の間‥(笑) 張り切り過ぎて、後々しんどくなってしまう事があります。投稿出来なかった理由の

      • 苦手な事

        私には、未だにどうしても苦手なものがある。 それは、“恋愛”だ。 障がいと気づくまで‥自分なりに、人並み!?までとはいかないが、恋愛はしてきた。 でも、数年‥数十年の片思いはあるけれど、実際交際となると、どうしても上手く関係を築けなかったのです。 結婚の話まで出たとしても、結局は自分で自分を苦しめてしまったり‥最後の最後には、ただの口約束だけで、浅い付き合いで終わってしまう恋愛を繰り返すようになっていました。 それから‥異性に対して恐怖心や不信感が出るようになり、まともに顔見

        • 穏やかな日常

          まず始めに、障がい者枠での就職活動も無事に終わり、気持ち的にも落ち着いたので‥またnoteを再開していこうと思います。 ここまで辿り着くまで、約1年。活動期間は約5ヶ月! この1年間は自分にとって、本当に山あり谷ありで色々な事がありました。人生って、いつどうなるか分からない。 診断前は、自分が障がい者だなんて思いもせずに‥けれども、苦手な事や失敗も人より多くて‥生きる事が不器用な私が、ここまで這い上がる事が出来たのは、いくら苦しくても、辛い現実に突きつけられても‥常に前を向き

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        現在投稿をお休み中との事ですが、少し自分の気持ちや原点を見直す為‥しばらくお時間を下さい🍀 いつも読みに来て下さり、ありがとうございます。

          自己意識改革!

          自分の事を理解出来るようになり、私は今後の働き方について意識改革を始めてみた。 それは‥“自分の特性に合う環境で、出来るだけ長く心の安定を図りながら無理せず働く” 今までは、好きな事を仕事にして収入が安定していて‥頑張って周りから認められる人材になりたいと、20代までは真っ直ぐに色々な事に挑戦し続けてきました。でも、自分が描いていた理想の私には近づく事が出来ず、悔しい思いばかりのアラサー生活になってしまいました。 でも、私は“生きている” 周りと比べられる事も、たまにあるけ

          自己意識改革!

          人間関係の難しさ

          hspって何? 前の記事で、“hsp”についてお話したと思いますが、自分は昔から‥とにかく色々な事に敏感でした。 苦手な音・光や環境、周りが大丈夫だと思うような感覚でも、大丈夫じゃなかったりする事が多く、周囲に上手く合わせられない場面が沢山あり、日常生活でも疲れやすく‥現在も苦労する事が多々あります。 なかなか‥周りの人に、“自分はhspだ”と言い出せずに、今でもどのように伝えたら理解して貰えるのかなあと、気持ちとの葛藤の日々です。さて、本題に移ると、まずhspとは簡単にい

          人間関係の難しさ

          hsp気質【エンパスかも】

          感情のメルトダウン もう一つの特性として、今まで生きてきて‥人と関わる度に、よく苦しくなってしまう事がある。身近のコミュニティーでいうと、SNS(Twitterやインスタグラム等‥)です。ネットの世界とは言えども、画面越しには一人の人間がいる訳ですよね。 顔の知らない人‥知り合い‥共通のコミュニティに所属する仲間だったり、ネット上でもある程度付き合いがある方もいる。 Twitter、インスタグラム等で‥相手のネガティブな感情や攻撃的な内容のツイートや投稿等を多く目にする度、

          hsp気質【エンパスかも】

          最近投稿出来てなかった‥💦 なかなか書く内容が定まらず、現在思考停止中です。すみません。 でも、また書こうという気持ちが戻ってきたので‥今後もまた、不定期ですが色々と発信していこうと思います。

          最近投稿出来てなかった‥💦 なかなか書く内容が定まらず、現在思考停止中です。すみません。 でも、また書こうという気持ちが戻ってきたので‥今後もまた、不定期ですが色々と発信していこうと思います。

          分かりづらい特性

          1.大丈夫じゃない‥ いつも決まって私は、“大丈夫?”の言葉に対し、断る事もなく‥“大丈夫です”と、何ともないフリをしながら周囲に合わせる事に必死でした。 自分が出来ない事でも、“何かを伝えたいけど何をどう伝えたらいいか分からない” “出来ない人だと思われたくない”“こんな事で分からないのは、恥ずかしい事”だと、健常者として働いていた時は、常にそのような事を思い込んでいました。今、思えば‥変なプライドが少なからずあったのかなあと‥(笑) 過去に成功体験が少なかった為か、自然

          分かりづらい特性

          障がい者として生きる事

          1.初めての知能検査 退職を繰り返すようになった私は、自分に自信を失いかけていました。 夕飯の支度を母に手伝うようになり、思うように出来ない事が浮き彫りになっていました。料理の時、“一つの事しか集中出来ず、あれもこれも手が回らない” 頑張ろうと、何度も手をかけても‥母のように、“出来て普通の事” “当たり前の事”が‥どうしても私には、上手く出来ませんでした。 その様子を傍で見守ってくれていた母から、 「あんた、やっぱり何かあるんじゃない?このモヤモヤをはっきりさせる為、一緒

          障がい者として生きる事

          新社会人

          1.福祉の世界へ 大学卒業後は、祖父から紹介された地元の某社会福祉法人へ入社し、1年目から重度の知的障がい者更生施設へ“生活支援員”として配属されました。そこの施設は、約100名位の利用者さんが入所している施設で、24時間シフト制で回している職場でした。 早番・日勤・遅番・夜勤の交代制で、休日も不定期。当時は義務マニュアルがあり、ほぼ1日の流れがルーティン化され‥決まっていたので仕事は大変でしたが、やりがいはあったと思います。 当時、苦手な職員もいましたが‥3年も経つと、自

          新社会人

          大学生活

          ここからは、福祉系の大学に進学した大学生になった私のお話です。 1.福祉系を選択した理由 小学校時代、同じ学年に一人支援級の子がいました。ちょっとだけ、小学生の頃のお話に戻ります。当時、母親と行きつけの大型スーパーセンターへ買い物に行った時に、その支援級の子が1人でお店の中を泣きながらうろうろしていたのを今でも鮮明に覚えています。 「お母さん、お母さんどこ?お母さんいない。」と何度も繰り返しながら‥。 私は見て見ぬふり等が出来ない性格で、一緒にその子の母親を探しました。そ

          大学生活

          中学生~高校生時代

          1.中学生のわたし 中学生になると、中間テストや期末テスト‥学力テスト等があり、各教科の内容も難しくなっていきました。 やはり私の中で、数学が苦手でした。 理科も、ボルトの計算等‥数学や算数の要素が入ってくる問題等全て、苦手でした。 当時、テスト期間になると一夜漬けになってしまう事もしばしばあり、苦手な教科のテストの点数はいつも低いもので、3年間テスト期間中は、本当に憂鬱な気持ちで過ごしていました。 先生や両親からもよく“努力不足”だと言われ、3年生になると今まで通っていた

          中学生~高校生時代

          学童期(小学校時代)

          続いては、小学生の頃のお話をしていきますね。ここまで御覧になってくださっている方々はありがとうございます! 1.算数の時間 私は小学校中学年ぐらいまでの計算は得意な方でしたが、唯一図形問題や時計の問題、分度器やコンパスを使用する授業が大の苦手でした。小学校3年生になり、初めてコンパスを使う時、周りのクラスの人達は皆、スムーズにコンパスや分度器を当たり前のように上手に使いこなしマスターしている中‥私だけ一人、コンパスを使いこなす事が出来ず、毎日のように居残りで練習させられて

          学童期(小学校時代)

          幼少期のわたし

          おはようございます!今日は、自分がどのように幼少期を過ごして来たのかをお話していこうと思います。 幼少期(保育園時代) 保育園時代の頃から、顔にコンプレックスがあった私は、一部の子達からイジメにあっていました。生まれつき、そばかすが顔中にあり、ずっと悩まされていました。そんな事もあったので、遊びの時間は、周りに溶け込めずいつも先生が弾く電子ピアノの側から離れない子どもでした。当時の先生は、溶け込めない私を否定せずに、ピアノを弾かせてくれたり、先生の弾くピアノに合わせて歌っ

          幼少期のわたし

          自己紹介

          初めまして。秋田県のとある田舎に住む、《菜の花》と申します。 生まれつき軽度知的障がいを抱えており、昨年の6月末にWAISの知能検査を受けた事で発覚しました。 私は幼少期の頃から中学時代まで、ずっと同級生の人達からイジメを受けて来たりと‥生きづらい思いを沢山してきました。 ここで、自分の経歴をご紹介します。小学校・中学校・高校は普通学校を卒業、隣県の私立大学まで進学、大学卒業後は地元の某社会福祉法人で7年間、障がいを持つ方々の支援に携わってきました。その後は教育や介護の業

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