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1,000キロ超の距離を繋ぐ。7月の、幸福すぎた、10日間。


『突然DMすみません!
物々交換、してもらえませんか?』


7月20日。月曜日。11:00頃。仕事中。
一息ついたとき。


幸せすぎる7月は、こんな突拍子もないメッセージを見たことからはじまった。


最近SNS上で知り合ったAさんからのメッセージ。
Aさんは、わたしの街から直線距離にして約450キロのところに住んでいる。

私が欲しいものは、『Bさんが自分と向き合うためのエールになるような、笑顔になるような、心地よいhanaさんの詩を作っていただき、hanaさんからBさんにプレゼントしていただくこと』です。


Bさんとは、これまたSNS上での共通の知人であり、仲良くさせていただいている。AさんとBさんは、以前から仲良しである。Bさんにはこのほど、ちょっとしたお悩みがあるそうだ。

めちゃくちゃなお願いですみません。でも、Bさんが自分と向き合って納得できる答えが出せるように、応援できることを考えたら、私の100回のエールよりhanaさんと詩のお力が一番かなと思っています。


Bさんを応援したいというお氣持ち、プレゼント形式は問わないこと、納期はできれば7月中。丸投げでごめんなさいと書かれていた。


残り日数、10日。
まじか。


瞬時に残りの今月のノルマを脳内再生。いついつはこの記事の納期、そしてここまでやってあるし、あとはこれとこれを明後日までに片付けて、これはまだ余裕があるから入れ替えて…そしてそして…


無理ではない。たぶん。やってみないとわからない。


ていうか、ぜひ、書きたい。


断る理由なんてどこを探しても見つからなかった。
いつでも探している山崎まさよし並みに見つからなかった。


まずは快諾のお返事だけ済ませ、その日の仕事に集中。いやしかし、仕事をしていても、頭の中では『どんなふうに詩にしようか。どんなふうにプレゼントしようか』という無限発散思考の大波小波。時々やって来る大波を、どうどう、と鎮めて、仕事に集中(…したかどうかは定かではない)。


わたしの詩でいいのかしら…という恐縮は拭いきれないが、いただいたご縁。こんなに美しい想いを届けるお手伝いをさせていただけることは、とても光栄なことだ。だから、スケジュールだけ軽く確認して、迷わず引き受けた。


仕事の合間合間によぎる考えを捉えてピン止め。すると見えてくるのは、そっくりそのまま、ご依頼をお引き受けはできないな、だった。


わたしひとりで詩を書くことは簡単だけれど、Aさんからのご依頼だ。Aさんの想いを乗せたものでなければ、意味がない氣がした。


だから、こう提案をさせていただいた。

『AさんからBさんへのエールの糸を、hanaが織り込んで詩を書いた』という形で、言葉を紡がせていただきたいです。エールというのは鼓舞するような力強さを感じるエールもあれば、そっと手を引くようなエールもありますよね。どんなふうにエールを贈りたいのか…それをお聞かせください。あなたの100回のエールを、想いを、込めたいです。


もちろん、Aさんの想いを聴いても、仰った通りに言葉を使うとは限らないし、最終的にはわたしのイメージで作られる。ご依頼主のAさんもそれを望んでおられる。だけれど、それでも “共作” としたかった。


わたしの言葉はあくまで、お手伝いで脇役だ。
主役は、想い。


このようなやりとりがあって、翌日の夕刻にはなんとテレビ電話でお話をさせていただくことに。







”神様が喜ぶこと” というのは、ことが進むのが、速すぎる。













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これまでのメッセージだけのやりとりで、Aさんへのわたしなりのイメージというのは出来上がっていたのだが、お電話をさせていただいて、想いを伺ったことで、Aさんのイメージの “答え合わせ” ができたような氣がした。


人に対する、純粋でまっすぐなリスペクト。そこには濁った羨望も嫉妬もなく、ありのままが好きで、応援していて、見守っているよという愛情を持てる人。


まるで…清らかな小川。
爽やかでいて、穏やかでいて、人を休ませ、人を潤し、さらさらと静かに、でも確かに寄り添い流れている、小川。


ぼんやりとしたイメージが、輪郭を持って明確になったため、Bさんへの詩のご依頼なのに、翌日にはAさんへの詩ができてしまった。なんてこった。


でもそこからは、速かった。Aさんの詩からさらに着想が湧いて、Bさんへの詩はすぐに出来上がった。


あとはどう形にするか…


この詩はBさんへの詩だ。Bさんが喜んでもらえる形にしなければならない。


…わけがない。
Aさんにも満足してもらわなければ、意味がない。


どうしたら、ふたりに喜んでもらえるんだろう?














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デジタルで共有するのではなく、何かしら形にして贈りたかった。手紙にするか?とか、アナログな方法を捻出しようとする頭は、『嗚呼、いつもと違う手段…デジタルにまみれて生きているのだなぁ』なんてのんきなことを考えたりもする。


むむむー。


悩んだわたしだったが、ふと思い出した人がいた。


もう半年ほどお会いしていない、連絡もとっていない、数回しか会ったことのない方で、不確かな記憶によるとたしか事業領域の広い、経営者のCさんだ。


たしか、印刷なども請け負っていたような…


専門分野外。それでも基本、何でも自分でやろうとする氣質のわたし。だが、これまでの経験で、進まない、わからないことにエネルギーを使うのは、ひたすら時間の無駄だとわかっている。観念して勇氣を出し、『お久しぶりです。突然のご連絡失礼いたします。実はご相談が…』と、超絶怪しそうな書き出しで、目的と現状を簡単に書き記して、メール。

詩を書いて形にしてプレゼント。素敵だと思います。私の知識内になってしまいますが、お力になれたらと思います。


すぐに懇切丁寧なお返事をくださった。少し急いでいる旨を伝えると、これまた翌日には電話でお話をさせていただけた。







”神様が喜ぶこと” というのは、ことが進むのが、速すぎる。







ご相談させていただいていろいろと案をいただいた。詩に合う写真と組み合わせて、冊子にしたらどうか、という話で方向性は決まった。詩のボリュームを伝えると、文字の大きさなども考慮して見開きA4サイズ3枚でちょうどいいだろう、とのことだった。冊子というほど仰々しいものではないけれど、そのイメージはあった。


けれど、わたしにはそのデータを作るツールがない。イラストレーターも仕事で経験はあるけれど、さすがに現場を離れた今、持っていない。


そうしたらCさん、作ってあげるよ、と…
詩のテキストデータ、写真、どんなふうにしたいかのラフ案などを送ってくれたら作ってあげるよ、と…







”神様が喜ぶこと” というのは、ことが進むのが、速すぎる。

そして、神様が協力してくれる。







お忙しいし、申し訳なさ過ぎたけど、ここは頼るしかない。
『きちんとお支払いします』と申し出たけど、『本当にいい。むしろやめて』と言われてしまった。

詩を贈るっていうことが素敵だし、応援したいからやらせてもらってるだけだから。それに今までにないケースだから勉強にもなるしね。きっかけに感謝です。








かっこよすぎませんか。


泣いた。


エールを贈るための詩。
これを創っているわたしもまた、応援されている。
回り回ってBさん、めちゃくちゃ応援されてるよ…


もう涙。


何度ありがとうございますと言っても、足らない。







”神様が喜ぶこと” というのは、ことが進むのが、速すぎる。

そして、神様が協力してくれる。

そしてそして、ありがとうが、足らなくなる。








仰せつかったデータをお送りして、翌日にはわたしが所望したデータを送ってくださった。お忙しいのに、お時間を作って、緊急対応してくださった。これはますます、わたしもなんとか間に合わせたい。


データを依頼主のAさんと共有、相談して、冊子ではなくこのまま綺麗に写真プリントして、写真詩にしようということになった。


そして再度、Cさんにその旨を連絡。綺麗に写真プリントできるデータに作り直していただいて、店頭へ行って写真プリント。


こうして、写真詩が完成した。
めっちゃ綺麗!!(自分で書くのもなんだけど)


写真プリントに至るまでにも、わたしの無知のおかげでいろいろあったのだけれど、Cさんが都度丁寧に教えてくださって、本当に本当に助かった。







出来上がった写真詩を見て、少し感動してしまった。自分の詩だし、感動するなんて変な表現かもしれないけれど、喜んでもらえるようにと悩み、神様の力を借りて、できることを精一杯やったからだ。


やりきったことが、心地よくて、幸せだった。





誰かのために懸命になれる、幸せ。





AさんもCさんも、誰かのために行動してる。
これを贈られる、Bさんも。


かっこいい。
誰かのために自分の持てるものを何の躊躇もなく差し出せる人は、それだけで存在が愛だ。


恵まれています。
こんな人たちに囲まれて、わたしはただただ恵まれています。


嗚呼。
言葉が溢れて、定まらない。







嗚呼。














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実は、Cさんにはもう一枚、データの作成をお願いしていた。
Bさんへの詩より先にできた、Aさんへの詩。


AさんとBさん、お揃いのフレームも用意したので、氣に入ってもらえたら、おこがましいけど、良ければ飾って、たまに愛でてほしい。


7月中に届けたいと思っていたBさん。
Bさんに届いたのは、7月31日。


ぎりぎり間に合った!


Bさんから連絡があり、とても喜んでくれた。


Cさんにもご報告。どれだけ伝えても足りないありがとうを、精一杯お伝えさせていただいた。


数日遅れてAさんにもサプライズの詩が届いて、『届きましたよ!』とご連絡が。


安堵。感謝。喜びの無限ループ。







わたしは幸せだ。






Bさんの住んでいるところまで、わたしの街から直線距離にして約600キロ。
Aさんの想いが約450キロ離れたわたしを中継し、Cさんのご協力を得て、さらに約600キロ先に届ける。






1,000キロを超えた、想いだった。













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人と人との繋がりって、一体なんだろうか。


有形への価値観が揺らぎ揺らいでいる昨今。無形のものへ想いを馳せる時間が、長くなっているのは確か。


日本のどこか遠くに、未だ見ぬ人が大勢いて、ステキな人もまた大勢いる。いろんな想いを抱えて、生きている。自分のこと、家族のこと、友人のこと、仕事のこと、いろんなことを、考えて考えて考えて。想って想って想って、暮らしている。きっと、当たり前のことだ。


そんな、きっと当たり前に生きている、450キロ離れたところにいる会ったこともない、ステキな誰かに心を動かされたのは、わたしだ。


未だ見ぬ誰かの想いが、人の心を動かすのに距離なんて関係ないのだ。Cさんは会える距離にいるが、半年と会っていない。だけど、届いた。応援したいと思ってくださった。これとて、心が動くきっかけは、どんな関係性かという客観的に測れるもので決まらないと教えてくれる。そして、わたしの元から600キロを旅して、想いは届けられた。


距離って、なんだろうね。


有形の価値って、なんだろうね。


繋がりって、なんだろうね。


会ったことがなくても、こんなに親しみを持てる人がいる。尊敬できる人がいる。想ってしまう人がいる。それは、歴史に名を遺した偉人でもなんでもなく、同じ地球のどこかで自分にできることをして、ただただ誰かの幸せを祈る、日々を当たり前に生きている、誰かなのだ。





幸せって、なんだろうね。


豊かさって、なんだろうね。


愛って、なんだろうね。





わたしは2020年7月、最後の10日間。
幸せで、豊かだった。
愛をたくさん、もらった。






何ものにも代えがたい、貴重な経験をさせてくださった、Aさん、Bさん、Cさん。そして1,000キロの距離を運んでくれた運送会社の方々にも。写真屋さんにも。


本当に本当に感謝いたします。心からありがとうございました。














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ちなみに、Aさんに欲しいものを教えてくださいと言われた。あとから考えると、こんな経験をさせていただいてもう十分、物々交換だったのに。おこがましくも、ハンカチをリクエストした。ちょうど買い替えたくて探していたから…(笑)。


どんなものが良いですかと尋ねられても伝えるのが難しく(だって、何をいただいたって絶対に嬉しい自信があったから)、本当に少ないヒントで、とてもステキなハンカチを選んで贈ってくださった。しかも3枚も!めちゃくちゃステキだったので会う人会う人自慢している。


ありがたく、毎日使って、夜は手洗いしてアイロンをかけている。


この時間はなんだか、ほんわかする時間になっている。








幸せは、まだまだつづく。







flag *** hana



今日もありがとうございます♡






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