義経ゆかりの太刀 箱根神社所蔵 薄緑丸
2019年12月28日〜2020年3月1日に春日大社 国宝殿で開催される安綱・古伯耆展の見どころ予習。
第三回は 箱根神社所蔵の「太刀 無銘 薄緑丸」です。
平家物語 剣巻によると「薄緑」は元々「膝丸」という名前の太刀でした。第二弾で紹介した「髭切」とつがいで打たれ、髭切と同じく何度も名前を変えています。
「膝丸」は「髭切」と一緒に源氏の宝刀として受け継がれてきましたが、源為義が所有した時に婿の引出物として贈られ、髭切と離れ離れになります。
源義経と「薄緑」
「薄緑」という名前は「膝丸」が源義経に贈られた時、春の山にちなんで付けられました。(義経は為義の孫。)
当時、源氏は平家との戦に負けていましたが、義経はこの太刀を持って平家を討つため挙兵します。
源氏のスーパースター義経は末っ子ですが戦の天才。相棒の武蔵坊弁慶と共に次々に戦で勝利を収めていきます。
(源平合戦 歌川国芳/ 浮世絵検索より)
しかし、弟の活躍に源氏の頭領である兄の源頼朝は自分の地位が脅かされるような警戒心と不信感を募らせます。(義経にそんな気は無かったのですが…)
元は仲の良い兄弟だったのに、源氏の勝利が確定すると頼朝は義経を朝敵としました。
「平家物語 剣巻」によると、義経は兄に許してもらうため鎌倉に会いに行ったり、手紙を出したりしますが、話しすら聞いてもらえません。
仕方なく都に帰る途中に立ち寄った箱根神社で、兄弟関係の修復を祈願して「薄緑」を奉納します。
しかし祈願の甲斐無く兄から追われることになった義経は吉野山から北陸道を通って奥州まで逃げたのち奥州平泉で自害することになります。
「薄緑」はその後、箱根の別当から曾我十郎祐成に渡され曾我兄弟の仇討ち経て源頼朝のもとに渡りそこで「髭切」と一具に戻ったとされています。
箱根神社の「薄緑丸」
今回の安綱・古伯耆展では箱根神社所有の「太刀 無銘 薄緑丸」が展示されます。
「薄緑」と呼ばれる刀は何振りか現存しているのですが、義経と所縁が深い箱根神社の「薄緑丸」を見れるのがとても楽しみです!
「薄緑」という太刀
源氏の宝刀という知名度のためか、何度も名前を変えているせいか「薄緑」と呼ばれる太刀も複数存在します。
曽我物語や平治物語、吾妻鏡などにも「薄緑(膝丸)」と思われる太刀が登場しますが、物語によって刀工や来歴、逸話が変わります。(髭切も同様)
現存する刀では「京都 大覚寺の薄緑」と「箱根神社の薄緑丸」が有名ですが「薄緑」=「膝丸」なのか、箱根神社の太刀が義経の「薄緑」なのか、はたまた大覚寺の太刀がそうなのか・・・もしくはすでに失われた刀が「薄緑」なのか・・・
千年も昔のことなので今となっては分かりませんが、刀が受け継がれて来たからこそ、私たちが義経や薄緑(膝丸)の物語について考えられることに感謝して、しっかり鑑賞したいと思います。
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