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ある一日。

あの、見てくれますか。これ、舞台本番の日にお友達がくれたお土産。

それぞれ、
ドライフラワーの小さなリースとお手紙、
素敵なブックカバーにメッセージカード。

ふたりらしさがぎゅっと詰まっていて、一生懸命選んでくれたことがわかって。

多分なんだけど、これをくれたときの言葉なんかから推定してなんだけど、
きっと、いわゆる「贈り物するの大好き! 選ぶのが楽しみで仕方ない」っていうタイプとはまた違うんだと思う。

「食べ物にしようかと思ったけど、好みがわからなかったから。お花だと枯れちゃうと思って」
そう言ってドライフラワーのリースを選んでくれていて、気遣いのプロセスが私かと思うほど似ていた。

逆の立場だったらきっと、嫌いなものだったとしてもその気持ちが嬉しいし、困ったりもしない。それがわかっていてもなお、あれこれ考えて悩んで選んでしまう。

でも、そうやって悩んでくれた気持ちや、くれたときの表情や、一緒に過ごした時間が込められているのが、贈り物なんだよね。

なんだかそれだけで、贈り物を選ぶのが実は苦手な私に勇気を貰える感じがした。


そしてもうひとり。
きっと質のいいものを選んで置いてあるお店なのだろうな、と思わせる、セロハンと薄紙の包みをあけると、私の好きなティールっぽいグリーンの差し色があしらわれたブックカバー。

今日、この記事を書こうとしてあらためて見て、そのテキスタイルのタイトルが
「ある一日」
だったことに気づいた。

一昨日、お芝居を観に来てくれた仲間たちとともに、
やわらかな愛が漂うような時間を過ごした一日と、

今日のような、何も出来ずにもがいて耐えた一日が、

「ある一日」という言葉で束ねられて、大きな流れのなかに溶けていくのだという気がした。

今日がすごくしんどい一日だっただけに、沁みた。ちょっと涙が出た。

贈り物も文章も音楽も、もしかしたら似ていて、
贈り手の意図とは違うところで人に響いたり、
そのものだけでなくそれにまつわる物語が愛されたりするものなんだな。

勝手に受け取ってごめんよ。
私からもときどき、自分本位に贈らせてね。


そうそう。
presentって
「贈り物」
の他に
「今」
って意味もあるんだね。

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