AIと人間のはなし
「AIが人間に取って代わることはあると思う?」
「ないと思う、なぜなら、私はAIとは結婚できないもの」
昨日とあるニュース番組を見ながら、おうちの人に訊かれた時、咄嗟にそう答えたのにはちゃんと根拠がある。
「えー、そういう話?」
おうちの人、心なしかつまらなさそうな反応である。そういや、「ショートサーキット」とか大好きだもんな。ロボットが感情を持って人と交流するハートフルな映画。うんうん。私も好きだよ。
そんなおうちの人を後目に、ゲストの脳科学者が「感情労働は、まだAIが代わりにすることはできない」ということを言っていて、そうそうそういうことなんだよな……と納得感を深める私。
「感情労働」は、近年注目されている新しい概念で、社会学者A・R・ホックシールドによる言葉です。
相手(=顧客)の精神を特別な状態に導くために、自分の感情を誘発、または抑圧することを職務にする、精神と感情の協調が必要な労働のことをいいます。
感情が労働内容にもたらす影響が大きく、かつ適切・不適切な感情が明文化されており、会社からの管理・指導のうえで、本来の感情を押し殺して業務を遂行することが求められます。
(カオナビより)
その番組ではキャビンアテンダントが例に出されていた。ものすごく平たく言うと、感情労働というのは人の感情を扱う仕事、ということになるだろうか。
仕事が奪われることと結婚できるかどうかという話は一見飛躍しているようで、私の中ではきっちり繋がっている。要するに、人の心の機微が求められる仕事は人間にしかできない、と、今のところは考えているわけである。
とはいえ、AIには学習能力がある。表面的な仕草や振舞いから相手の感情を汲んで対応を変える、という意味では、人間が学習するプロセスと変わらないような感じもする。
にもかかわらず、決定的に違いがあるように感じるのはなぜなのか、考えてみた。そして、ひとつ気がついたことがある。
AIってたぶん、たぶんだけど、「ストレス」なく仕事をすることができるのだろう。そこが最も大きな違いなのだ。
ストレスを感じないものが、人間に共感したり、寄り添ったり、同情したりすることはできない。直感的にそう感じたのだと思う。
ストレスを感じたり、傷ついたりするから、人は人に惹かれて、感情を重ねたり愛し合ったりすることができる。
そしてたぶん、人の感情を扱う、人の感情に繊細に寄り添ってサービスをする多くの仕事に必要な情報は、「ストレス」不満や不快を知った人間でなければ蓄積できない種類のものだと思ったのだ。
これは意外な気づきだった。
人間が人間として感情をわかちあうには、ストレスを感じるという機能が不可欠なんだと思うと、ちょっと感慨深いものがある。
いつか、ストレスのアルゴリズムも愛も共感も「学習」するAIが出てきたら? その時はもう、それはひとつの生命として扱う必要があるのだろうなと思う。
クローン技術と同じように、この先へ進んでいいのかどうなのか、あるラインで倫理観が問われることになるんだろうな。と、ぼんやり想像している。
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