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令和元年は、イージーモード元年。徹底的に自分の機嫌を取ります。

「これからの人生のうちで、今日が一番若い日」

とはよく言ったものだけど、
そうはいっても、節目というのは一定の気分の切り替えやけじめをもたらす。そこに、リズムを作ってくれるものだなと思っている。
新年度そして新元号に先立って、いろいろと自分自身を振り返ってみた。


音楽の道を志している私は、去年の自分の誕生日である11/5から、「Project 1 year」というものに取り組んでいる。
その名の通り、2018年の誕生日から2019年の誕生日までの一年間かけたプロジェクト。
夢に向かってただこつこつとやってみた結果、一年間でどれだけの変化が自分の身に起きているだろう。それを確かめてみよう、という実験だ。

令和元年を迎える5月は、ちょうどその折り返し。
11/5までは約半年の計算になる。

……実のところ、
このプロジェクトに真剣に取り組んでみての半年近くで得たものといえば、ほとほと、自分の特性を思い知ったことと、思っている以上に多くのことを課しすぎて身動きが取れなくなっているということだった。

最初の数か月、まずはやりたいこと(音楽制作)をやるよりも先に、生活をきちんと整えよう、と考えた。
だけど、その「まずは」が、とんでもなく大変だった。

不規則な睡眠をなんとかしようとして睡眠導入剤が手放せなくなったり、
行動を「決めごと」や「義務」にしたら、却って自分を追い詰めたり、
型を決めればやるかと試してもすぐ逸脱しようとしたり、
そういう自分を「責任感がない」「いい加減だ」と責めて、自己嫌悪に陥ったり……。


正直、ことごとく、うまくいかなかったと思う。
そんな中、自分についてひとつ分かったことがある。

めちゃくちゃダメと思われるのを覚悟で言うと、

私はどこまでも、意に沿わない事はできない人らしい。


思えば、これまでずっとそういう自分と戦ってきた。小中高、大学そして社会人と。
ギリギリ、社会人としてであれば意に沿わないこともできたのは、
自分のMPをガリガリ削りながらもそこが「自分が主体ではない場所」であり、意識的に歯車に徹したからだった。

自分に決定権があることとなれば、全く、全然、頭も体も働かないどころか謎の拒否反応が出る。熱が出る蕁麻疹が出る咳が出る。

やっている人から見れば甘えなのだろうと思う。
けど、ただ「やる」、たったこれだけを守る、ということが力技では絶対に無理だということを、この半年、本気で向き合ってみて実感した。
(この半年の目標はまさに「決めたことを愚直にやる」というものだった)

むしろ、これまでの人生でここまで粘ってトライしたことがなかった。この再発見は新発見である。

うんうん。有意義じゃないか。

「気分で行動を決めない」

このプロジェクトをスタートする前に、あちこちでそのような文言を目にした。
うむうむ、たしかに!
そう納得して始めたものの、いざやってみるとどうしても、気分やモチベーションを行動から切り離すことができない自分がいた。

なぜなら、私は気分やモチベーションで心が燃えているときだけ生きていると感じて、それ以外の時間は残念ながら心が死んでいる、たすけて、と感じてしまうタイプの人間だったから。

その感覚を思い出すたび皮膚が粟立つのを感じる。
癇癪とか、ヒステリーに近い感じかもしれない。
とにかく、しんどいのだ。

にもかかわらず、(このプロジェクト以前から)私は自分に対して
「こうあらねば」
「これをやらなければ」
そして
「これくらいできなきゃ」
ばかりを課してきた。
喜びが一瞬後には枷になる、そういうことを「やりがい」「達成感」の正しい感じ方だと信じて、そういう人間になれる日を夢見てきた。

今、この心の癖を無視して自分に「しなさい」を求め続けたとして、私にとって人生は一生ハードなままだし、やり遂げたところでやっぱり、幸せにはつながらない気がする。
まるでブラック企業のような人生が、この先も続いていくだけだと思う。

「よかった。私、だめじゃなくなった」

と思うために、そこまで頑張れない。
だから、行動を180°変えてみることにした。

私は令和元年、徹底的に自分の機嫌を取ります

自分の機嫌を取って、自分を操縦する方法を学んで、自分の気分を「生」に振れさせて、そして夢を叶えます
ヘタレと言われたって構うもんか。自分褒めます。褒めてくれる人探します。肯定してくれる人と付き合います。

存在肯定込みのダメ出しならなんぼでも聞けるのも、自分で知ってる。

あなたのこともまるっと肯定します。褒めます。てか、これはもうずっとやれてる気がするから、そういう気持ちを自分に向けてやりたい。

半年かけて人生を超イージーモードにしてやるんです。付き合ってくれる人、募集中。


……でもひとつ、この無理なプロジェクトを首の皮一枚であきらめずに続けてきてよかったと思うことがある。
それは、見守ってくれる人たちがいて投げずに済んだということ。
投げずに済んだから、一歩一歩、自分の本当の課題に近づきつつある今日がある。

どぉんと上昇するつもりが、掘って掘ってこんなに海抜を下げることになるとは思わなかったけど。
ひとりだったら、この沼に膝まで浸かったあたりで諦めて、これまでいた陸地に上がっていたと思う。
投げないということだけは、後半戦も守っていきたい。
仲間と友には、感謝しかないです。本当にありがとう。

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