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内向性がだいばくはつ

 あまり、自分を言葉で定義づけてしまうのは好きではない。
 ときに自分に対するバイアスが、制限や言い訳になったりするからだ。

 とはいえ、今日はすっかり疲れてしまった。気がつけば仕事中に、机に突っ伏しもしないで首だけ落ちて眠りこけていた。器用である。子どもがときどきそういう寝方するよね。
 見ようによっては死体である。そんなことはないか。
 理由は明確で、慣れない営業さんとずっと行動をともにしたからだった。気を遣われることを察知して逆に気を遣う、という感じで、ぐったりと疲れてしまうのだ。
 どちらも悪くないのに勝手に疲弊しているのが申し訳なくて、よけい消耗してしまう、というのもお決まりのパターンになっている。


 noteをはじめて、いろんなnoterさん(というのだろうか)の内面をおよぐ言葉を見させてもらうようになり、内面の言葉というからにはなんとなく、勝手に、内向というか内省寄りの資質を持った方々が多いのだろうな、と思っていた。

 でも、そこにもやっぱりたくさんの、自分と違う人がいて、自分とは違う柔らかさを持っている人、自分と似ているようで違う軸。私にはないような、キラキラした中高生時代を送ってるなあってニコニコ眺めたくなってしまう人(皮肉じゃなく、そういう人の話ってどこか素直で、普遍を普遍的に受け止めるバランス感覚があって、とてもすてきだと思う)、そうじゃなく自分の道を選んできた人、いろいろで。

 そして、認められたくて求められるものを察知して書くことが出来る人、そういう自分を迷いながらも受け入れていけるさわやかな強かさを持つ人。
 なんだか偉そうに言っても、つきつめれば私も同じ欲求を間違いなく持っていて、だからこそ、そういう潔さは強さだなって思う。


 さて、内向的な私の願いと外向的な誰かの願いは、ときおり食い違うことがある。
 ちがう人間だからね、と一言で片付けようにも、やっぱりどこまでも手探りで、会話して、覚えて、互いに想像して……っていうことを積み重ねていかないと、いろいろと難しいこともある。

 たとえば私は、基本、「放っておいてほしい」人。強要されなければなんだってよいのだけど、なかには「放っておかれたくない人」もいて、そしてそういう相手とって、私のようなタイプは会話や付き合いの取っ掛かりがなくて困るものらしい。
 私が言葉で言ってほしいことは、相手にとっては察してほしいことだったり。

 「あたりまえ」ベースで考えるのではなく、自分とは全く違う感覚の人がいることをもっと早くに知っていて、いや今も、もっと広く認識されてるといいよねって思う。
 感覚的なもの、言語化するのが難しいことほど、人は知らず知らずのうちに「自分が正義」と思ってしまいがちだ。私も「言葉という明確な手段があるのに言わないことや、明確に言ったことに対して責任を持たないほうがおかしい」とバッサバッサ切り捨てていた。

 それじゃ勿体ないと思い始めた最大の理由は、そこは本質じゃなく手段の違いで、そのハードルを超えたらお互いにめちゃくちゃ面白がれるかもしれない、と思えたから。
 そう思えたら不思議、別に挙動がわかりさえすればいくらでも譲れてしまう自分がいることも知った。うんうん、あなたはその伝え方なんだね。じゃあそういうふうに受け取れば大丈夫だね。というふうに。

 切り捨てたって損を実感することはない。だってそれは知る前のことだから。
 でも、目の前の素敵な言葉たちをながめていると、本質じゃないところで逃しちゃうのは勿体ない! と思うのです。


 そうそう、「違うタイプの人」と関われてよかったな、と思えたエピソードは、ちょうど数時間前にもあったのだった。
 あることでものすごく落ち込んでいる友人がいて、彼も私も基本は文字でのやり取り、踏み込み過ぎない交流を好むから、まずはメッセージを送って。
 その時ふと、「外向的な」友人たちならこういうときは電話をするだろうな、そして私も軽やかに境界を踏み越えてきてくれることを嬉しく感じるだろうな、と思った。
 そして、いつもはしない電話をかけた。おかげで声が聞けたし、聞かせることができた。

 自分と違う人との交流をあきらめないこと。
 その人たちからのやさしさをたくさん受け取ったぶん、自分が人にしてあげられることの手段や、受け止める器や、いろんな引き出しがふえていく。
 もちろん、内向的な私を否定することもなければ、無理に合わせることも無いのだけど、お互いに、あまり構えずに受け入れ合えたら、そのぶん自分の世界も広がっていくんだなと思ったできごとでした。

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