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別解とベリーパイ

「Stay Tune in Tokyo Friday Night〜♪」

 

周囲に人がいないことを確認して口ずさんでみる。


たしかに今日は金曜日だが、今は夕方だし、ここは東京なんかじゃない地方都市だ。複雑に絡まった有線のイヤフォンが、かろうじて私の耳に繋がっている。ワイヤレスは便利だが、いつも無くしてしまうのでやめた。スマートフォンを買った時についてきた白の有線イヤホンを愛用している。あまり大きな音を出すと音漏れするが、駅までの一本道はあまりに人がおらず、気にせず音量を上げる。私の耳の中でYONCEが、屍のbad girlと歌う。あ、それ私だなんて思いながら寒空の下を歩く。


学生が行き交うスクランブル交差点で、ミニーちゃんのリボンがついたスクールバッグを持った女子高生とすれ違った。最近の女子高生のバッグにはたいていミニーちゃんがついているな、と思っている私のリュックにも、然るものがぶら下がっている。まだ夕方の16:30頃だったからか、金曜日だというのに人手はまばらで、私は交差点を滞りなく渡りきった。


今週は酷く疲れた。今週は、というかこの2週間は、だ。週末に模試があって土日の休みが抹消され、部活のオフもなく、寝る以外の時間を走り回っていた。


疲れた体はいつしか、甘いものを欲すようになる。たしか今日は母が遅番だったということを思い出して、なにかおやつを食べて帰ることにした。


地方と言えども駅前にはお店が沢山ある。私がいつも立ち寄るのは、とりわけスタバやドトールだが、この入試直前期は血眼になって勉強している高三生が占領しているため、行きづらい。どこに行こうか考えながら歩いていると、居酒屋やカラオケなど複数のテナントが入るビルに行き当たった。お店のラインナップを見ると、一つだけフランス菓子のお店があった。写真のケーキがとても美味しそうで、私はここに入ることを決めた。


そのフランス菓子のお店は1階にあると書いてあったのだが、どうにも見つけられない。表に面しているわけではないようだった。閑散とした居酒屋の前を通り過ぎ、裏の路地に入ると、そこにこじんまりとしたケーキショップがあった。


ガラス窓から中が丸見えの店内は、人の姿は見受けられず、ケーキの並んだショーケースだけが光り輝いていた。いっしゅん準備中なのではないかと思案したが、扉には「営業時間 11:00~20:00」と手書きで書かれている。20:00までやっているケーキ屋があるのかと驚きつつ、静かに扉を開けた。


チャラランと言っても、シャラランと言っても物足りないような、綺麗なすずの音がなって扉が開いた。


店内は明るく、かすかに聞こえる程度のクラシックがかかっていた。ショーケースにはケーキやムース、マカロンなどが規則正しく並び、照明の光を受けたフルーツが光り輝く。店内は、甘い生クリームの匂いで満たされていた。


冷蔵庫の音だろうか、ヴーンという重低音が響いていて、キッチンの奥からお皿のカチャカチャという軽快な音が聞こえている。奥に誰か人がいるらしかった。


「すみませーん」


 キッチンの奥に向かって呼びかけた声は、冷蔵庫の重低音に負けてしまう。


「おねがいしまーす」


もう一度さっきよりも大きな声で呼びかけると、お皿の音がやんで、ハコック帽を被った店主らしき初老の男性が出てきた。


「食べていかれますか。」


「はい。この、クリームチーズとベリーのパイと、、オリジナルブレンドをお願いします。」


「はい。650円です。ここにお金入れてね。」


 レトロな雰囲気の店内からは意外なことにも会計はセルフレジ形式だった。会計のあと、店主が食べ物を席まで持ってきてくれるらしく、窓に面したカウンター席の端に座った。待っているあいだ、今日図書室で借りてきたばかりの本を読む。コーヒーの香りが漂ってきて、しばらくしたら店主がコーヒーとケーキを持ってきた。


「あっちのテーブル席じゃなくていいの?あーまあでも一人だし、ね。」


なんて微笑みながら言われて、私は苦笑する。


「この席に座る人は、よく本を読んでるよ。まあおばちゃんばかりなんだけど。」


私は微笑みながら手に持った本を見せる。店主もにっこりと笑う。そうして、ゆっくりしていってね〜と言ってまたキッチンの奥へ消えていった。


私は、温かいおしぼりで手を拭き、小さくいただきますを言う。そしてコーヒーを一口嗜んだあと、目の前のベリーパイに手をつける。上に透明なフィルムのようなものが張っていて、数秒迷ったあとそれをペリペリと剥がした。フォークを入れるとパイは固く、かなりとるのに苦労した。パイ生地がパラパラと落下しながらも、口に運んだパイはとても美味しかった。


そしてしばらく食べていたら、ふとある考えが私の頭をよぎった。先程剥がした透明なフィルム、どう考えても表面の美味しいところを持っていきすぎているような気がする。まさか、そのまま食べるやつだったのではないか。


恐る恐るフィルムを小さく欠片にして食べると、口の中で一瞬にして消えた。さらに大きなかけらを口に運ぶ。やはり一瞬にして溶けていき、口の中には甘酸っぱい香りがほのかに残った。


驚きつつパイを食べていると、店主がやってきた。店主は生クリームと立派な苺が2つのった小皿を持ってきて、こだわった生クリームだから良かったら食べてと言って私の前に置いた。


 店主の粋な振る舞いに驚き、お礼を言って一口食べる。口の中で上品な甘さが広がり、苺は甘くて酸っぱい。青春みたいな味がした、と言うとおめでたい女だと思われるだろうか。とても美味しいと伝えると、店主は深く笑いジワの入った顔をさらに綻ばせた。


「この、パイの透明なフィルムみたいなのは食べられるんですね。」


無知な質問で笑われないかと懸念したが、店主は優しく答えてくれた。


「これはね、ゼラチン。動物性のコラーゲンなんだよ。どうせ包むなら、美味しいもので包みたいでしょ。女の人はコラーゲン欲しいって言うしねぇ。」


それから店主は、いろいろ話をしてくれた。どうにも、話好きのパティシエらしい。


「学生時代は、勉強は嫌いだったけど、数学と化学と物理は得意だった。」


「私が1番苦手な三教科です。」
私はこの前、数学のテストで赤点を取ってしまった。理系科目は大の苦手だ。


「数学は特に誇れるぐらい得意だったよ。数学は、自分の知っている解法を組み合わせたり、新しい解法を生み出したりするから。新しいものを作るのが好きなんだ。」


学生時代に思いを馳せる店主はとても楽しそうな顔をしている。


「パティシエの仕事も一緒。いつまでも新しい、さらにいいものを作ろうとしているんだ。それが楽しいんだよ。」


そんな話をしていると、1人のお客さんがお店に入ってきた。


「じゃ!」と言ってレジに行こうとする店主を呼び止めて、私は


「あの、ここで、数学の勉強してもいいですか。」


と聞いてみた。店主はやはり微笑んで「ゆっくりしていって」と言って行ってしまった。


私は生クリームと苺を食べきって、今日解けなかった模試の問題を開く。数学はずっと苦手で、ずっと逃げてきた。でも、今なら逃げないで向き合える気がする。


先程来たお客さんは誕生日のホールケーキを買って帰っていき、その後私は1時間ぐらい数学を勉強した。


18:00ぐらいになって若い2人組の女性客が入ってきた。お揃いのケーキを注文し、テーブル席に座る。


私は母の仕事がそろそろ終わる頃になったので、席を立った。ご馳走様でしたとショーケース越しに店主に呼びかけると、店主はまた変わらぬ笑顔を向けてくれ、片手をあげた。



外に出ると空は暗くなっていて、来る時に閑散としていた居酒屋は大学生やサラリーマンでいっぱいになっていた。駅前のスクランブル交差点は、向かってくる人と肩がぶつからないよう気をつけなければいけないほどにごった返し、華金にみな浮かれていた。


私も、例によって浮かれていた。というか、フワフワした多幸感に包まれていた。口の中にはまだ、甘酸っぱい味が残っている。


いいお店を見つけた。今度は親友を連れていこうかな。いや、やっぱりひとりで行って数学の勉強をさせてもらおうか。またテストで赤点取ったら困るし。



人生にはいくつもの別解がある。



(2024年1月21日金曜日――――――別解とベリーパイ)


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