江戸期の「やまと絵」……狩野派や琳派の花鳥図 @東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)の平成館にて、特別展「やまと絵ー受け継がれる王朝の美ー」が、12月3日(日)までの会期で始まりました。
もちろん特別展は素晴らしいのですが……同じくらいにというか「それ以上にすごいじゃん!」と思う人も少なくないんじゃないか? という特集展「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」が、同じトーハクの本館で展開されています。過去noteでもしつこいくらいに記してきましたが、その特集展の展示替えが、先週行なわれました。また数度に分けてnoteしておきたいと思います。
■「やまと絵」って何?
「やまと絵」とは、外国……特に中国大陸から伝わった唐絵や漢画の影響の少ない、日本独自色の強い……つまりは「日本っぽい」絵の総称です。
具体的には、絵巻や屏風、扇子などに描かれた、源氏物語や伊勢物語などを画題にしたもの、または日本の花鳥風月を描いたもの、日本の年中行事……各種の祭事や催事を描いたものが、「やまと絵」と呼ばれています。
今回は、その中でも花鳥風月を描いた作品をnoteしていきます。
■四季花鳥図巻 巻下 酒井抱一
特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」の前期の《秋草図屏風》に続いて後期でも、江戸琳派の祖とも言われる酒井抱一の作品が展示されています。いったいトーハクには、いくつ酒井抱一作品が所蔵されているんだろう? というくらい多いのですが、トーハクのご近所さんだったというのもあるんですかね。
《四季花鳥図巻 巻下》は、江戸時代の文化15年(1818)に描かれました。2巻のうち、今回展示されているのは、秋冬の花鳥が描かれた巻下。
解説パネルには「限られた天地を操ってモチーフを描き連ねるリズミカルな描写が見事です」と記されていますが、パッと見て「あっ!きれい!」って思ってしまうほど分かりやすい絵なこともあってか、特に外国の方が見入っていました。
下の紫の花は、パッと見て「カラスノエンドウかな?」とも思ったのですが、カラスノエンドウは秋というか初夏っぽい感じがしますし、葉っぱの形も異なるようです。秋と言えば……萩の花でしょうか……。あまり身近に咲いていないので、こういう図巻は、花の名前などが載っているとうれしいのですが……そこまですると、展示の準備をするのが大変すぎますよね……。
こちらの白い花も、いわゆる蝶形花ですので、白い萩ですね……きっと。
青い花は、言うまでもなく朝顔。現代では、こちらも夏の花というイメージですけど、まぁ秋にも咲いていますしね。秋の季語でもあります。
オレンジの花は、一瞬、ナガミヒナゲシかとも思いましたが、あれは帰化植物で、江戸時代にはまだなかったはずです。それに花の近くに葉っぱがあることからも、違うのでしょう……季節も秋ではないし……。
いずれにしても江戸時代の“秋”の代表的な花が並んでいるはずなので、「撫子(なでしこ)」なのかなと。わたしの身近なカワラナデシコは、夏真っ盛りの時期に咲いているのですが、昔は秋の七草の一つにも数えられているので、撫子=秋でした。さらに、花びらの裂け具合も、カワラナデシコのようにザクッと裂けてはいなかったようなんですよね。
この中で分かるのは……あっているのか分かりませんが……イヌタデです。ほかは……ムクゲっぽいのがありますけど、こんなに下の方に咲くものか? というね……むずかしいですねぇ。
これは分かりやすいですね。水引です。まさにこんな感じでヒュルっと伸びていますよね。写真で撮ろうとすると超絶難しいですけど、絵で一つ一つの花を描いていくのも、根気が必要でしょうね。
ざっくりと「菊」といった感じでしょうか。キク科の植物はおそろしく多いので、細かくは分かりませんが……。
見終わってみると、知らない花ばかりで……ガクッ……。
■伊年印(俵屋工房)《四季草花図屏風》
《四季草花屏風》は、今年の3月にも展示されていました。半年が経って、また展示されるということは、「やまと絵」の標準的な形態ということなのでしょう。
伊年印というのは、俵屋宗達の工房である「俵屋」が使っていた印章です。屏風の右下にちょこんと捺されているのが分かります。
この伊年印の《四季草花図屏風》は、量産されていたようで、解説パネルには「伊年印の草花図屏風は、江戸初期の宮廷における園芸愛好も手伝い多数の作品が現存している」としています。
山吹がブファッと咲いていますね。その下には、ナズナやスミレが咲いています……ということで、こちらは“秋”の図ではありません。
フジやアザミも咲いていますが……アザミは、色んな季節に咲いていますよね。アザミの季語は、春は「薊」、夏は「夏薊」、秋は「秋薊」と記すそうです。
撫子(ナデシコ)と野菊が咲いているので、このエリアは秋の花がまとめられているようです。そして左端にはアジサイ……順番関係なく描いているようですね。
《四季草花屏風》は、六曲一双なのですが、今回は右隻だけが展示されています。3月に展示されていた様子は、下記のnoteをご覧ください。
■秋草白菊図屏風
《秋草白菊図屏風》は、前項の俵屋工房の《四季草花図屏風》と同じく、戦前の宮内省の中でも宮中調度に関することなどを司った主殿寮から引き継いだ作品です。作者不詳ではありますが、宮中で使われていたものなので、相応の絵師による作品なのでしょうね。
解説によれば「ススキと萩の叢(くさむら)のなかに白菊が清雅に咲き、秋草の葉の緑と花弁の白が画面に華やかさを与えています」とあります。また菊の花は、胡粉という貝殻を砕いた絵の具を厚く塗って盛り上げて表現しています。
■槇図屏風 尾形光琳
地のいち面に金箔が貼られたうえに、シンプルに槇(まき)が描かれています。この、絹のキャンバスの半分くらいを、なにも描かない……そのうえ槇の全体も描かずに、上の部分だけを切り取って描くというのが、やまと絵っぽい感じがしますね。解説では「金箔の空間に爽やかな風が通り抜けるようです」と記されていますが……そういうことなんですかね。
また「もともと右方向に画面が続いていた作品を、現在の二曲一隻のかたちに切り詰めたものと考えられます」としています。だとしたら、右隻は、どんな風に描かれていたんでしょうか……また、どこへ行ってしまったんでしょうか。
左橋に「法橋光琳」とあります。尾形光琳が、優れた(元は高僧に、のちに)絵師や仏師に与えられた、法橋の位を授けられたのは、元禄14年(1701年)44歳の時です。ということで、それ以降に描いたものですね。
■扇面に描かれた四季
絵巻や屏風のほか、絵は扇にも多く描かれたました。落語家=噺家も、常に扇子を持っていますが、扇風機やエアコンのなかった江戸時代以前は、今よりも当たり前に、誰もが扇子を持っていたんでしょうね。そうした小物に、優れた装飾が施されたのも、当然といえるでしょうね。
狩野了承(1768~1846)という名前を初めて聞いたので、ネットで調べてみると、板橋区立美術館のサイトに、少し詳しく来歴が記されていました。
今の山形県酒田市に生まれ、後に江戸へ出て、深川の水場狩野家を継いだ表絵師です。同サイトによてば「画を鍛冶橋狩野家の探信守道に学んだせいか、やまと絵に巧みである」としています。
同じ時代に制作されたものでも、屏風の金箔は、色のくすみが激しいですけど、扇子の金箔は「金箔だねぇ」とすぐにわかるくらいキラッキラしていてきれいです。
その金地に、萩を中心とした秋の草花が描かれていて……風流だなぁと。
下の《鹿図扇面》は、同じく狩野派の栄川院……典信(1730〜1790)によるものと伝わっているそうです。こちらの方が狩野了承よりも先輩ですね。
この狩野典信さんは、12歳で、将軍の徳川吉宗にお目見え(ご挨拶)し、「栄川幼しといえども、はや衆人を越たり」と言われてそうです。ただし、自身が名手と慕う狩野探幽を超えたければ探幽が学んだ古画に学べとも言われたそうです。
Wikipediaの作品リストを見ると、その狩野探幽の作品の模写が、いくつか現存するようです。
この《鹿図扇面》は、くさむらの中を何頭かの鹿が群れている姿が描かれています。小さく描かれた鹿たちは、そのまま動き出しそうなくらいに生き生きと描かれているんですよね。上手……。
下の鶴沢探索さんは、狩野探幽の弟子が一家を立てた家の3代目。京都で活躍していたようです。《松島図扇面》は……やまと絵なのかな……という感じですが、いずれにしても美しい松島の景色が描かれています。
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