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noteは私を積極的にしてくれた

noteを始めたのが今年の8月。紆余曲折あって、私は子育て中の専業主婦から、Webライターになった。

大げさかもしれないが、noteを続けていなければ、私は年の瀬まで家事育児に奔走するだけの生活を送っていただろう。

note書き納めに、幼少期から消極的と言われ続けてきた私が、noteで積極的になっていった経緯を振り返りたいと思う。併せて過去記事もいくつか挟んでいきたい。

私に育児の話は向いていなかった

当初、私はnoteで、HSPの話題を中心に投稿していくつもりだった。

具体的には、HSPで子育てをしているお母さんや、HSPで生きづらさを感じている人へ、自分の体験・考えたことを通して少しでも不安やつらさを和らげられたらと思い、記事を投稿していた。

だが、ある時いただいたコメントが消えた。詳細は不明だが、前日に投稿した育児関係の記事に落ち度があると思い、投稿を消した。この出来事は、最初に「人に伝えるための文章」について考えるきっかけとなった。

別の育児記事を再度投稿したものの、どうもしっくりこなかった。親として発信するにふさわしくない、どこか苦しげな内容になってしまうのだ。

そもそも、私は育児において誰かの力になれる余裕はなかった。悩みの渦中にある当事者では、当初の目標は難しかった。

「Webライター」の導線が通った

それからしばらくは、音楽やHSPの話題を細々と投稿していた。

この記事を書くにあたってある診断をしたところ、「勉強して個人で仕事を始めよう」とアドバイスがあった。当時はそういう適性があるのだなと心に留めておく程度だった。

実のところ、同時期、私は仕事について悩んでいた。

息子が幼稚園児なのと、新型ウイルスの感染リスクと隣り合わせの状態なため、今すぐ働かなくてもいいとは言われていた。だが家計を鑑みると、私も働かなければいけないのは息子を産む前から分かっていた。

いずれ働く時、私は何を生業としたいのか? ひとつ言えることは、自分の仕事で、取引先なりお客様のよろこぶ姿がはっきりと見えることがしたい。ポストに投函して、それきり何の音沙汰もない手紙。前職はそんな仕事だったからだ。

そこで、私は以前から抱いていた、「文章を書く仕事に携わりたい」願望を思い出した。noteである方の記事を読み、Webライターの仕事に興味を持った私は、関連書籍を読んで「自分もやってみよう」と決意した。自宅でも仕事が可能で、クラウドソーシングも出産前に一時期取り組んでいたため、この仕事なら勉強すれば現状でもできると思えたのだ。

それが10月末のことだった。以降、私の身体には今までになかった導線が通り、それを軸にして全てが回り始めた。noteも名義を変え、アカウントを取得した当初は全く考えていなかった方向へ舵を切ることとなった。

人に伝えるための文章

私は文章を読むのも書くのも好きで、人生の半分以上趣味で小説を書いてきたし、中学生の頃はクラスの皆がおしゃべりしている一方で、ノートに黙々と考えていることを書いている偏屈な子どもだった。

自分の思いばかりを文章にしてきたため、「人に伝えるための文章」が上手く書けず、早々に壁にぶつかった。

noteもライティングの糧になればと、一時期毎日更新を試みて、己の力量不足を知った。ネットから、書籍から、学ぶ日々が続いた。妹に「図書館で本を借りてまで勉強してるの?」と驚かれたが、単に気になる本を全部買える訳がないからだ。それに読む人はもっと読んでいる。今までなら手に取らなかった、スッと頭に入らない本にも食らいついた。

私が読んだ中で、最も血肉になったのはこの本だった。

押しつけがましくならず、聞こえがいいだけの言葉に頼らず、読者に寄り添える文章を書く。まだまだ伝え方は磨かねばならないが、読む前に書いた記事を丸ごとリライトしたいと思うようになった。一部の記事は時間をとって直したい。

Webライターの仕事は、基本的に家事育児を優先し、息子が幼稚園などに行っている間こなしている。仕事名義で始めたTwitterにもたくさんのライターさんがいて、ツイートを読み仕事量や作業時間の違いに焦ることもしばしばだった。

悩む私に、家族は温かく、時に現実的なアドバイスをくれる。「自分のペースでいいんだよ」。「まずは目の前の仕事をこなさなきゃ」。

実家の祖母にも仕事を始めたと話をしたら、今から仕事をしておけば後にきっと実になる、いつか大きな仕事ができたらいいねと、弾んだ声が返ってきた。

さらに、Webライターを始めるきっかけとなった方に、先日お礼を伝える機会があった。その方は駆け出しの私にも、「お互い頑張りましょう!」と声をかけてくださった。書かれる文章同様、温かいお人柄に深く感謝すると同時に、身体に通った導線は揺るぎないものに変わった。

私は私の歩幅で、自ら選んだ道を切り拓いていく。さまざまな人の支えで、私の覚悟が決まった。

過去を振り返り、新しい仕事への挑戦をつづったエッセイは、note公式のTwitterにいいねをいただき、最もたくさんの方に見てもらえた記事だった。

noteは自分を発揮できる環境だった

冒頭で述べた通り、私は度々「消極的だ」と評されてきた。しかし、それは無作為に集められた集団生活や、気が進まない物事など、自分を発揮できない環境で下されてきた評価だ。

noteに記事を投稿し始め、Webライターの道へと進んだ。今も小舟で大海原に揺られている。どう工夫すれば渡っていけるのか試行錯誤している。

消極的なのが一概にマイナスだとは言いたくないが、私が積極的になれたのは、自分が心から進みたいと思った道を見つけられたから。自分を発揮できる環境下であれば、人は自然と積極性を出せるのだ。

差し出す文章は希望あるものを

そんな私が今思うことは、「差し出す文章は、希望あるものにしたい」

未来が不透明なこの時代に「希望」など、素直に受け容れ難い、それこそ不透明で信じられないものかもしれない。

だが、今もたくさんの人が活路を見出そうと一心に働いている。今あるものを守ろう、大切にしようと懸命に生きている。

誰かの助けになるのは難しい。だからせめて、明るい灯の宿った言葉を、文章を綴りたい。
読む人が少しでも明るい方を向けるような発信をしていきたい。

そんな風に思えるようになったのも、noteと、noteを始めてから出会ったたくさんの人たち、そしていつも支えてくれる家族や大切な人たちのおかげだ。

新年も積極性を発揮し、細く長くこの道を歩んでいけるよう、一歩ずつ踏みしめていきたい。自分自身も、楽しみながら。

◇◇◇

今年は記事をお読みいただき、真にありがとうございました。

新しい年がよい年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。


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