見出し画像

「正解」ではなく「自分にとっての解」を持つ。

こんにちは、めぐみです。

つい先日卒業旅行で北海道に行き、羊ヶ丘展望台を訪れました。
(クラーク博士で有名なところです)

クラーク博士は札幌農学校の初代教頭を務めていました。そこでクラーク博士が打ち出した教育方針は、

Be Gentleman!「紳士たれ!」

頂いたパンフレットによると、

紳士とは規則を厳重に守るものであるが、規則に縛られるのではなく、自己の良心に従って行動するのである。

と書かれていました。

要するに、

自分の正義を貫け

ということかなと思いました。


最近、私は今更ながらこの本を読んでます。

まだ半分も読んでないですが、

「自分の正しいと思っていたことは、本当に正しいのか」

そんなことを考えさせられます。

そして同時に、答えのない問いに自分なりの解を持つことの必要性を感じています。


話は変わりますが、私は最近アルバイト先で店長の思いとアルバイトが感じていることに差異があることに複雑な気持ちを抱いています。
(どこのバイト先でも同じなんですかね?)

よかったらこちらの記事を読んでみてください。

店長の思いをアルバイトに伝えるべきか。

考えてたんです、最近。

でも正直、
考えなくても生きていけるし、
考えなくてもお給料もらえるし、
考えなかったことでバイト先に迷惑をかけることも無いんですよね。ぶっちゃけ。

伝えるか伝えないかに、答えはないし。

それでも考えるのは、繰り返しになりますが答えはなくても自分にとっての解を持つことは必要だと本を読んで思ったからです。

社会人になれば今以上に答えのない問は沢山あるし、決断することが増えると思います。

その問いに対して、逃げることも見ないふりをすることも出来ます。

だけどそこに向き合い「正解」ではなく「自分にとっての解」を出す。

その練習だと思って。



「自分にとっての解」

これを持てるように、色んなことに向き合えたらいいなと思います。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?