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争わない



私が競争があまり好きでない、というか得意でない。

負けず嫌いのくせに勝負事になると、必要以上に緊張をして、自分の100%を出せることはまずない。調子がいいと何とかなるのだが、調子なんてものはそう長く続かない。そんな運任せで勝負に勝てるほど、世の中甘くない。緊張してたても、自分を出せる人間がチャンスを物にするのだ、と自分の過去から学んだことだ。

高校野球の挫折以降、勝負事はなるべく避けるようにして生きているのだが、それは争うタイミングで勝てるだけの、勝負勘も度胸も持ち合わせてないのも、もちろんある。が、それ以上に競争が引き起こすのはコモディティ化なのことも、面白くない点だ。

競争が激しくなるほど、その分野はどんどん一般化し、普通になっていく。私のような凡人は、初めに他より優れているポイントがあったとしても、争いが増すことで、それがいつの間にか普通になっていく。本当に才能があるだけは突き抜けられるが、それ以外の人間はみるみるうちに普通に堕ちていく。

だからこそ、凡人には一人勝ちを狙うしか道はない。まだ誰も手を出していない領域に手を出すしかない、そこで一番になるしかない。争ったら勝てないからだ。争ったら勝てない。競争において勝てる武器は凡人には、持ち合わせていないのだ。


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だが一人勝ちするためには、武器は必要だ。それは一体何か、日々考える。武器を持たざるものの武器とは何なのか。高校時代の恩師が、引退時に「どの分野においても一番になれ、エースになれ」と言っていた意味が今になってわかる、気がする。


凡人の頭でも、一つ思いつくことがあるとすれば、まだ誰も手を出していない領域を見つける力と、その領域で誰よりも続ける忍耐力ではないだろうか。言わば「視点」と「継続」だ。

この点は就活時によく自分自身のアピールポイントとしていたところなのだが、これは他人が持っていない力などではなく、ただそこくらいしかアピールしている人が少なく、目立つことができなかったからだと、最近気がついた。


「経験」や「スキル」で勝負したところで、勝ち目なんてない。凡人が体験するであろう出来事や、身につけられるスキルしか、私の手の中にはないからだ。上を見れば星の数だけ、半端ない人達がいるし、下を見れば砂の数だけ、大したことのない人達がいる。だから結局、凡人は凡人らしく中心らへんを漂うしかない。

だが同じような経験でも、違う「視点」で捉えることはできる。これは誰にでもできることでありながら、個性を出せる。そして続けることも、誰にでもできることではあるが、面倒だ。三日坊主なんて言葉があるように、「継続」はなかなかできることではない。半年持てば、ほぼ差別化できる。この2つが、私が考える「武器を持たざる者の武器」だ。




まず、まだ誰も手を出していない領域を見つける「視点」。俗にいうブルーオーシャンなどといった格好のついたものではない。誰もがやりたがらないこと、やっても成果が目に見えないこと、時間がかかること。資本主義において相性の悪いもの、とでもいうのだろうか。そこを見つけ、パイオニアになること。ここにチャンスがあると考える。日本だけかも知れないが、この世界の多くの人は「一番目」になりたがらない、前例がないからだ。

メディアや世間で簡単にはバズらないものを見つけらるのは、才能を持った天才ではなく、持たざる者の凡人にあると信じたい。目立つ人は目立つものを見つけるのが得意なように、目立たない人は目立たないものを見つけるのが得意なはずだからだ。目立たないもので「一番目」になることにこそ、凡人にとってのチャンスがきっとある。



そして、成果の目に見え方が分からない場所での「継続力」。継続において障害になるのは、何でやっているのか意味を見失う「モチベーション」の点や、もっと簡単にそこにたどり着ける方法があるのではないか、といった「短期的解決の模索」などが挙げられよう。

だが「継続」において、大事なのはそこではないと最近思う。継続しなきゃ見えない世界があるのだ、それこそ長期的な視点、とでも言えるのだろうか。日記を5年続けて思ったのは、長期的な視点で物事を考えることができるのは、「継続の価値」を知っている人だけではないか、ということだ。


日記なんて書き続けても、正直意味なんてない。成果なんて特にない。ただ目に見えて変わっていくものはある。積み重なっていく自分の過去と、出来事の言語化する能力の成長だ。凡人の成長は見つけにくい、他の人の方が早く伸びるからだ。その競争のフィールドにいても、自分の弱さだけが目につき、みるみる自信をなくす。

だからこそ、成長の可視化は凡人にとって、ものすごく重要なのだ。そしてそれは自分で作るしかない道はない。自分が成長していく過程を目に見える形にしなければいけないのだ。それは小さな争いの中で生まれるものではなく、創作の中にある、と私なんか思う。


自分だけの物差しで自分の成長を測ること。それは別に日記に限った話ではない、絵でも音楽でも体を動かすでも、何でもいい。自分の変化を、自分で気づけることが大事なのだ。続けてることでしか見えない景色があるとすれば、それは自分の成長を自分で認めることができるようになること。これは何にも変えがたい、凡人の最強の武器ではないだろうか。



そして続ければ、続けるほど、ちょっとやそっとじゃ追いつけなくなる。かまいたちのネタのポイントカードの件と同じことで、今から始めたとしても前に始めていた人には、なかなか追いつけない。私はもう日記を書いて5年ほど経つのだが、今から始めてもここまで追いつくのに5年かかるし、5年後には私は10年目になる。

だから何かやりたいことがあるなら、始めるのべきタイミングは今しかない。


「思い立ったが吉日、その日以降は全て凶日。」


これは、トリコという漫画に出てくる名言だが、「継続」においては、核心とついていると感じる。世の中の他の出来事は、日記のようにそんな単純な話ではないかも知れないが、「簡単には追いつけないものを継続している自覚」を持つこと、これがもたらすのは、「余裕」だ。「長期的余裕」とでも言えるのだろうか。

武器の持ってない凡人にとって、「余裕」を持てることは、何よりの自信になる。世の中は結局、「自信」なのだ。何をするにしても「自信」を持っている人は魅力的に映る、そういう場所に人も、仕事も、お金も集まる。

「自信」は「余裕」が生み、「余裕」は「継続」が生む、と思っている。例え金メダルを持っていなくとも、どこかですごい賞を獲っていなくとも、そういう継続しているものをひとつでも持っていれば、他人と比べられることがあっても、ある程度余裕や自信を持っていられる、と最近身をもって感じる。「他人は他人、自分は自分」と納得できる効果が、継続にはあるのだ。


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まだ誰も足を踏み入れていない領域で、継続するためには、自分で物差しをつくり、それで成果を測らなければならない。それをできるのは「継続」したことがある人と、目立たないものを見つけることができる「視点」を持っている人、その両方を兼ね備えなければならない。

そして、それは「競争」の中で見につくものではなく、「創作」の中で見につくのだ。何度もいうが、凡人こそ争ってはならない。いつまで経ったとて、それは「どんぐりの背比べ」でしかないからだ。

争わないなんて、弱くて臆病に聞こえるかも知れないが、あえて戦わないことを選ぶということは、ものすごい勇気のあること、とも言えるのではないだろうか。何より、凡人にとって差別化する一番のソリューションは「争わない」ことだと信じ、これからも凡人として生きていきたい。



ただ。

もしこれと同じ方法を、天才はすでに気づき、動いてるのだとしたら、これ以上の喜劇はない。




天才になれなかった全ての人へ




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