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エッセイと詩を同時に書いちまえ『心芽』

またもや少し時間があいてしまった。
仕事が忙しいのは良いことではあるけれど、自分で何かを書きたいと思いながら、書く時間を取れないというのも考えもの。

枕元に置いてあるノートを開いて、ふと浮かんだ言葉を書き留める程度のことはできても、まとめる前に眠くなって寝る。動物的な欲求が際立ってきている気がしないでもない。

スマホのアプリで睡眠時間などを記録できるものがある。それによると、一昨日の睡眠時間は8時間56分だった。平日に寝る時間としては多いのでは? と思ったりもした。でも、だいたいそのくらいっぽい。
ショートスリーパーの人がどうやって生命維持しているのか、そのメカニズムが不思議でならない。

やりたいことが多い人間としては、睡眠時間が短くても健康に支障を来たさないのであれば、短い方がいい。
一時期、3時間睡眠だか4時間半睡眠だかに挑戦をして、あえなく敗北を喫した経験があり、意志力だけではどうにもならないことがあると知った。
継続するには仕組みが大切で、システム化すればうまく回り始める。そんなようなことをビジネス書などで読むが、睡眠に関して(自分の場合)は、仕組み化したところでおそらく無理だろう。

何がなんでも、それこそ死んでも絶対に成し遂げるぞ! みたいなものがあれば寝ないでもすむのだろうか。いや、違う。睡眠時間を削りたい、という話をしているわけじゃないな。継続の話か。

最近わかったこととして、「note書きたい」と思っても書けないときはあり、その時には二種類のストレスを感じる。ひとつは、毎日続けていたことが途切れってしまったことへの未達成感。もうひとつは、書こうと思えば何かしら書けるけれど、睡眠を削りたくないという葛藤。

何のためにnoteを書いているのかを考えたら、発散と修練の場だということに気づき、「書かなければならぬ!」というような使命感がどのタイミングで出たのかとともに、そもそもそれいる? という自分への問いかけの結果、書けるときに書けばいいや。そっち方が心に余裕が出るし。との結論に至った。

なんだか勝手にストイックな方向に走り始めて軌道に乗ってしまったものだから、そこから外れることへの抵抗感が無意識化にセットされていたのかもしれない。
とはいえ、可能であれば毎日書けると楽しいだろうなと思うし、文章を書くことがひとつのリラックス状態を生む工程でもあるので、バランスを取りながら続けていきたい。

この数週間で、「もっと楽に生きろ」と自分に言えた気がして、それを受け入れた自分もいる気がする。

ちょっとスッキリした。

久しぶりに100文字の世界でも書いて終わろう。

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『心芽』

いつのまにか凍っていた心の
端っこを割ってみたら
綺麗な虹が顔を覗かせた
鮮やかに輝く7色の種に
自然と涙がポタポタ垂れる
やがて溶けはじめた心を
養分に新しく芽吹き
柔らかな音階をなぞるように
あたたかさが広がった
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