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【短編小説】お宮参り

 子供が小さくなった。今朝のことである。
 子供というのは大きくなる一方だと思っていたが、近頃はそういうことでもないようだ。大きくなったり、小さくなったりしながら、結句は大きくなるのだという。そんなことになったのは、ここ10年くらいのものだろうか。私が小さなころはたしかに、子供はみんな大きくなるばかりだった。医者をしている叔母によれば、人間の進化、ということなのだという。
「つまりは、変わったのよ。進化というより、適応と言うのかもしれないけど。つまり、そういうものよ。人間だって何千万年もあるものなのだから、そりゃぁ少しずつ変わっていくわよ」
 少しずつ、と言うには劇的な気もした。小さくなるのは退化しているようでも、実はその方が最後には早く大人になることができるということなのだという。たしかに最近の子供は成育が早いようだが、それはそういうことなのだろうか。
 それで、私の娘も小さくなった。小さくなるのはいつものことだが、今度はずいぶん小さくなったのである。掌に乗るくらいだから、5センチメートルくらいのものだろうか。
「こんなに小さくなって、本当にまた大きくなっていくものかね」
 さすがに心配になって妻に言うが、
「大きくなるわよ。西片さんの家のお子さんだって、ずいぶん小さくなって、心配になったりもしたみたいだけど、結局はあんなに大きくなっているんだから」
 西片さんは、隣の隣の家に住んでいる画家の夫妻だ。日本画の世界では少し名が通っているようだが、家はさして豪邸と言うわけでもない。窓から大きな筆が見えているのが、それらしいだけである。息子さんはずいぶん大きい。まだ高校生だが、身長は2メートル近いだろうか。
「だから、何にも心配ないのよ」
 娘の服を干しながら、妻は少しも気にしていないようである。

 今では妻もこんな風だが、はじめて娘が小さくなったときにはずいぶん取り乱したのだ。
 娘が生まれて2週間くらいのことだったろうか。マンションに帰ると、夜だというのに電燈もつかず真っ暗になっていた。中に入ると、ベッドとクローゼットの隙間で、妻が娘を抱いてうずくまっている。ずいぶん沈んでいるようで、何を言っても生返事で事情がつかめない。娘はというと、沈んでいる妻の腕の中で、不安もなさそうに眠っていた。
 話を聞くと、娘が小さくなったのだという。たしかに明るいところで見ると、小さくなっている。朝出かける前に見たときの、半分くらいになっていらだろうか。昼過ぎに寝かしつけて、小一時間昼寝をしている間に、こんなにも小さくなったのだという。
 小さくなるというのは聞いていたが、実際に小さくなると、これまで一生懸命に夜も寝ないで育ててきたのが無駄なような気がしてしまった、と妻が話した。このまま小さいまま成長しないんじゃないか、明日にはもっと小さくなってしまうんじゃないか、と泣くので、そんなことはない、きっと大きくなると言って慰めたのである。             それが今では、真反対になっている。毎日娘が小さくなったり大きくなったりするのを見て、妻ほうがいつのまにか私よりも慣れてしまったのである。                                                                    「こんなに小さくなってしまっては着せる服がないわ」                                                                          まるで冷静に言ってから、使っていない布きんを出してくる。布きんをちょうど良い大きさの三角に切ると、裸の娘をそれでくるんでしまう。

 妻の母が来ることになっていた。近くの神社で、お宮参りをしようというのである。
 昼過ぎになって妻の母が来たのだが、小さくなった娘には驚いた風もない。あら、これじゃ神主さんも見えないんじゃない、と言ったりしては、ニコニコしている。妻を育てたときにはまだ子供は小さくなったりしなかったはずなのだが、妻にしても、妻の母にしても、女性は呑み込みが早いのだろうか。
 神社までは歩いて5分もかからない。私はスーツを着て、妻はワンピース姿になる。妻の母は妻の祖母から譲り受けたという着物を着ている。
 娘をどうするかということになった。妻は手に乗せていくつもりだったようだが、妻の母が反対した。風に飛ばされたりしそう、と言うのである。
「これに入れて行けばいいんじゃないかしら。ほら、布をギュッとつめたらベッドみたいになるでしょう」
 妻の母が出したのは眼鏡ケースである。眼鏡ケースに布を詰めて、その中にためしに娘を入れたりしている。眼鏡じゃないのだから、と妻は不満そうにしたが、妻の母は譲らない。
「掌に載せていくなんて、無防備で不安よ」
 しばらく言い争っていたようだったが、予約の時間がせまる。最後には眼鏡ケースに入れて、手に持っていくということに落ち着いた。ふたを閉めては暗くてかわいそうだろうということで、ふたは開けたままにする。妻の母はそれも不満そうであったが、神社につくまでには気にならなくなったようである。
 神社にお参りし、境内で写真を撮った。妻の母は祝着を用意していたが、こんなに小さくなっては使いようがなかった。眼鏡ケースに入れた娘を妻の母が持って、撮影した。祝着はくるくると丸めて、私が小脇に抱えた。
 いよいよ祝詞をあげもらうことになる。まずは社務所で受付をし、そこから拝殿に案内された。神主が遅れて入ってきたが、思いのほか若いようだ。すり足で、変わった歩き方をする。
 妻の母が娘を持ち、私と妻が両脇に座った。娘は相変わらず、眼鏡ケースに入っている。神主が神妙な面持ちであいさつをしてから、正面に座る。
「かわいいお子さんですな、女の子でしょうか?」
「えぇ、3か月です」
「そうですか。最近ではお子さんは小さくなった方がいいと言いますな。どうやら、その方が大人になってから大きくて健康になるということのようですが」
「そうですか、それはよかったです」
 妻の母が神主と話す間、妻はずっと下を向いていた。
 作法を説明されたあと、神主が祝詞をあげはじめた。妻も私も頭を下げて聞いていると、妻の母が突然声を上げた。妻が小声で注意すると、妻の母が、だって大きくなったから、と言うのである。
 たしかに、娘が少しだけ大きくなっていた。体が10センチくらいになって、眼鏡ケースからもう少しではみ出しそうである。どうやら、神主が祝詞をあげ、祓具を振るたびに娘が大きくなっていくようである。神主が二、三度と祓具を振るたび、娘がむくむくと大きくなっていく。
「こんな風に大きくなっていくのね」
 妻の母が感慨深げに言った。たしかに成長しているが、こんなにように目に見えて大きくなるものだろうか。
 祝詞の声が大きくなった。祓具を振る回数も増え、佳境に入る。祓具を振るたび、やはり娘は大きくなっていく。眼鏡ケースからもいよいよはみ出てしまい、母は持ちにくそうにしている。妻が、あっ、と声を上げた瞬間に、娘が眼鏡ケースから落ちてしまった。ドン、と小さくない音がして、娘が泣き声を上げた。25センチくらいになった娘を妻が娘を拾い上げてあやす。娘は頭を打っていないだろうか。
「大丈夫かしら」
 妻の母が心配そうに言ったところ、妻が大声を上げた。
「だから、眼鏡ケースになって入れなければよかったのよ」
 神主がまだ祝詞をあげていた。妻をいさめようと声をかけたが、瞬間に、妻の母も言い返した。
「だって、こんな風になると思わないじゃない」
 妻に負けない大声である。神主が祝詞をあげている前で、またふたりが喧嘩をはじめてしまった。小声で二人をたしなめるが、お互いに頭に血が上ってしまって、声がどんどんと大きくなっていく。妻は目に涙も浮かべている。
 こんなときでも、神主は相変わらず祝詞をあげつづけている。こんな修羅場になってしまったらやめてもいいはずだが、途中ではやめられないものなのだろうか。祝詞が続くなか、妻と母が大きな声で言い争い、ますます娘は泣いている。私はどうしようもなく、小声でいさめてみるが少しも効果はない。妻と母の声はますます大きくなっていく。とりあえず、娘を妻から取り上げてあやしたが、一向に泣き止まない。神主はどう思っているのだろうか。妻の声と娘の泣き声に合わせるように、祝詞の声はまだ大きくなっていく。祓具もしきりに振っていて、ばさばさと盛んに音がする。そのたびに娘がまた腕の中で大きくなっていくが、はたして子供の成長というのは、こんなものなのだろうか。

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