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「『何も考えない』ようにしよう」としても上手くいかない
正解は、「気付いたら何も考えていなかった」だ。
「何も考えないようにしようとしてる自分」が居ることを発見する
そのとき、なにか変化がある。その変化を感じる
自分の場合は、頭の中が涼しくなる #瞑想実践
【タイムリーな話題】サッカー・カタール・ワールドカップ「日本vsドイツ」について、熱狂させられ、こころ動かされてしまったことを、あれこれ、、、
サッカーって、人を熱狂させる要素が多くあって、御多分に漏れず私も、今回のカタールワールドカップ初戦「日本VSドイツ」でこころを持っていかれた一人である。
思うことが多々あったし、せっかくの4年に一度のお祭りなので、記録として、つらつらと書き綴ってみたいと思う。
4年(+45分)かけての逆転劇に大興奮前回ワールドカップから洩れなく追っかけてきた日本代表の試合。
ここに至るまで、正直、私が知って
『夢中』は、新しい「価値基準」の提案でもある。
今は(本当は誰でも)衣食住が安価に手に入るようになり(先人のおかげ)、生きる上で「競争」など不要なはず。
頑張って、努力して積み上げたものが一瞬にして崩れ去るこの世界において、「夢中かどうか」を価値基準の一番上にする。
メンタルを安定させるために、依存先を複数持つことはオススメしません。
どれかがダメでもどれかが良いからメンタルが安定する
むやみに増やすと消化不良を起こします。
大切なのは自分と縁があるかどうか。
まず縁のあるもの一つをやる。
そこから同心円状に、縁を拡げていく。
これが正解。
「勝ち・負け」に『価値』を置きがちな世界だと分かっていて、その上で人生を「プロレス」として観れるか。。。
それに巻き込まれず、演じる。
自分も「プロレス」を。
予定や計画を立てるよりも、
今「夢中かどうか」に重きを置く。
予定なんて、認知できない「縁」によって変わる。
ただ夢中でやる。
そしたら、成果はいつも最大、結果は早く出る。
我に帰ったときに、望む方向に軌道修正する。
楽だし、楽しい。
だってずっと夢中でやってるから。
一度『夢中』を体感すると、
日常の自分が、いかに偏ったフィルターを通してこの世界を観てるか分かる、気付く。
それは「自分じゃない」?
いや自分なんだけど、もっと「ちゃんとした自分」も居るっていうのを知ったから、そこに戻れば良いって気付ける。
毎朝、毎夜、『夢中』に戻る。
1回でも『夢中』を体感し、しっかり認知できたらもう大丈夫。
夢中は「至高の体験」だから、必ずそこに戻ってこようとする、してしまう。
ドーパミン(興奮・快楽)よりも、セロトニン(安心)よりも上にあるものだから。
毎日が同じことの繰り返し・ルーティンだと感じるのは、
感性が鈍い状態だから。
本当は同じ瞬間などない。
「慣れ」てしまうのが人間。
「慣れ」は大敵。
えも言われぬ「危機感」をことばにしてみると、、、
なんだか最近よく聞くのは、「稼ぐ能力」とか「頭良い(悪い)」とか。
学校のお勉強ではなく、生まれ持った「(論理的)地頭」みたいなもの。
支配が「力」→「知」に変わるだけで、支配構造は結局変わらない。
あぶれた者に希望はあるのか?
『夢中』になって我に返ったとき、認知量が最大になるけど、、、
何を「認知」するか、何に「気付く」かは、人それぞれ。
生まれ持った『縁』があるし、育った環境、出会う人・情報、これらもまた『縁』。だからみんな違う「認知」。
認知は自動の「反応」、選べない。
「人生をプロレスとして観れるか?」
これがひとつのテーマ。
結局みーんな、「ドーパミン(興奮・快楽)」か「セロトニン(安心)」を追っかけてる。自分も。
「よーし、自分もそのプロレスに参加するぞー」って、なれるかどうか。