【タイムリーな話題】サッカー・カタール・ワールドカップ「日本vsドイツ」について、熱狂させられ、こころ動かされてしまったことを、あれこれ、、、

サッカーって、人を熱狂させる要素が多くあって、御多分に漏れず私も、今回のカタールワールドカップ初戦「日本VSドイツ」でこころを持っていかれた一人である。

思うことが多々あったし、せっかくの4年に一度のお祭りなので、記録として、つらつらと書き綴ってみたいと思う。


4年(+45分)かけての逆転劇に大興奮

前回ワールドカップから洩れなく追っかけてきた日本代表の試合。 
ここに至るまで、正直、私が知ってる限り、「過去一試合内容が面白くないJapan」だった。

4年と45分間(前半)はずっと面白くなかった。

と、思っていた。

だけどなんだ?!
この一戦(後半)で全部吹き飛ばしてしまった。

あの前評判の高い、優勝候補、控えでもスター選手揃えたドイツ代表に勝ったのだ。
それも僅差の大逆転で!


「音消してサッカー観戦」~わたしの観戦スタイル~

今回の観戦スタイルは『無音』で観ること。

情報が、必要な分だけソツなく入ってくる感じ。
余計な情報は入ってこない。

実況・解説者のごく個人的な感想を聞くより、自分の反応を楽しんでみようと試みた。
他人の声に反応するよりも、自分がどう反応するか、そちらを主にしたいと思ったのだ。

内に意識を向けていると、外の情報がより鮮明に入ってくる。
これは「瞑想」で得た『意識の置き方』で得た感じ。
五感が鋭くなるのだ。

と、思ったのもつかの間、あっという間に画面に意識が持っていかれた。
こういう風にして、意識は持っていかれるのだなと思った。

そして、それに気付けない。
気付くのは後になってからだ。


試合に対して思ったことをつらつらと。。。

一日おいて、興奮冷めたときに、ふと、思ったことを。
サッカード素人なので、内容はその程度ということで、、、
私個人のメモ程度。


「走る」ことの効果を見誤っていたドイツ?、、、わたし。 

ただ走る、こと。
ただ足が速いだけの選手を集めた?
高さは要らないの?

戦術的に走ってない、とか
無駄な体力を、とか
、、、とか。

でも、ひたすらにボールを追っかけてると、周りが変わっていく。

興味ない観客が、「勝たせてやりたい」と思うようになり、
それが拡がり、
まさにスラムダンクの山王戦。

後半、『場』が変わった。

それが選手にも伝わる。
「相手選手」にも伝わる。

「望まれてない?」
「勝っちゃだめなの?」

選手本人の自覚は無い。
知らないうちに、個々の中で起こっている。

でも、それは確実に「判断」を鈍らせる。
身体の自由、思考の自由の障壁になる。


「走る選手」だけを集めたのは、「戦術」なんだ。

「上手さ」に上手さで対抗するよりも、
「強さ」に強さで対抗するよりも、
突出した「速さ」でそれらを凌駕する。

一見、論理的に見える「戦術」を上に置きがち。

そこまで認知が及んでいなかったドイツ、いや、わたし。
自分やチーム以外にも、ましてや、ピッチ外の観客にまで…影響を及ぼす。
こっちのほうが大きいんだよなぁ。。。


「戦術」って何のためにあるのか?

すべては相手の『虚』を突くため。
『虚』を創ると言ってもいい。

そこを見誤ってはいけない。

『五輪書』
日本には既に教科書がいっぱいある
なんだっけ、「拍子」「先手(先の先、後の先,,,)」

『虚』は、相手には見えなくても、自分は見えてないといけない。

ドイツは自らの型にハマって、日本が予想外のことし出したら混乱した。
柔軟に対応できなかった。


認知の錯覚を利用した?

前半と後半の落差
ミドルプレスとハイプレス

前半と後半、人が違うんじゃないかってくらい、内容がガラッと変わった
でも同じ人。
「在り方」が変わった?
戦術やフォーメーションによるものなのか?
それなら前半でもできただろ


ドイツはどうしたら良かったか?

やっぱりドイツのようなメンタルで挑むとこうなるんだ
戦術(あたま)に依存しすぎたな。

日本相手なら、その圧倒的なフィジカルで勝負してたら良かったんだ。
日本がスピードで勝負してくるように。

単純にポンポンゴール前にハイボール放り込めば、もっと楽して勝てたんだ。

過去に幾度となく見てきたぞ、
アジアのレベルでさえハイボールの処理にあたふたする日本代表の姿を…

「重さ」や「高さ」は、「戦術」では対応し難いんだ。

こういう絶対に負けられない戦いだからこそ、そうするべきだったんだ

足元で繋いで圧倒してやろうと、エゴが出たか?

策士、策に溺れたな。

理想を追うと、追求しすぎると、周りが見えなくなる。
情報を『認知出来ない領域』が出てくる。

そしてそれに気付くことができなくなるという…


試合に翻弄されたわたし。。。

ものの5分で「監視するもの」が居なくなった

前半、憤りを感じて、翻弄され、
後半、逆転劇に興奮。

まったく「外界の現象」(試合)に振り回されっぱなし。

こうやって自分を「監視する者」が居なくなった。

当初の意気込みはどこへやら。。。

サッカーにこころを奪われた日だった。
結果、日本が勝ったことにより、たまたま素晴らしい体験になったが、
意識やこころがここまで持っていかれるのは本意ではない。

だが、やっぱり、
ワールドカップ観る興奮よりも断然素晴らしい感覚だと心の底からさとる。 


「強いものが勝つのではない 勝ったものが強いのだ」ベッケンバウアー

Twitterで目にした文言。

「起こったことがすべて正しい」に似てて、ベッケンバウアーあらためて好きになった。


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