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【旅レポ】 この世は諸行無常すぎる。 【鬼怒川廃墟群】

 おすおーす!
夏の暑さで肌荒れがとんでもないことになっているふわりです!
今回の旅レポは「怖い」と感じる人も居れば「切ない」と感じる人、はたまた「美しい」と感じる人も居る・・・

廃墟です!!!


 場所は栃木県日光市鬼怒川温泉。
バブルが弾けて経営が続けられなくなったホテルが解体されず、そのまま20年ほどの時を経て廃墟となってしまい、今や廃墟好きなカメラマンの聖地みたいになってしまった場所です。

ではでは、レッツゴー!!!

・・・

 まずは周辺の情報から。

周辺マップ

 廃墟を目的として来る場合は、二つオススメの駐車場があります。
 一つは湯の街公園駐車場で、もう一つは滝見公園駐車場。どちらの公園もすぐそばに橋が架かってて、渡った先に廃墟群が待ち構えてるっちゅーわけですわ。

 今回のふわりさんは1日目に湯の街公園に車を停めて撮影を試みたんですが、ものの見事に荒れ狂う大雨が降り注いだので一時撤退。
 2日目に滝見公園に行って、撮りきれなかった分の写真も収めるといった流れ。

1件目【鬼怒川観光ホテル 東館】

くろがね橋から撮る鬼怒川観光ホテル東館

 いきなりの終末感・・・。
湯の街公園から廃墟群へと向かうとまず初めに出迎えてくれるのが、かの有名な岡部ホテルグループが経営していた鬼怒川観光ホテルの東館です。
 なぜかグーグルマップでは【元湯 星のや】で出てきてしまう・・・というのは置いといて。

  《鬼怒川観光ホテルの簡単なヒストリー》
・1953年 鬼怒川観光ホテル 開業
・1955年 高度経済成長
・1981年 鬼怒川観光ホテルが東館、西館、別館になる
・1986年 バブル景気突入
・1991年 バブル景気崩壊
・2005年 鬼怒川観光ホテル西館 閉業
・2007年 鬼怒川観光ホテル西館 解体
・2008年 鬼怒川観光ホテル東館 閉業
・同年    リーマンショック
・2010年 大江戸温泉物語に鬼怒川観光ホテル別館を売却

【鬼怒川温泉】一大勢力だった「岡部グループ」
廃墟となるまでの歴史より抜粋

 簡単な時系列はこんな感じだそうです。
つまるところ開業した直後に高度経済成長があって、ドラクエでいう作戦「ガンガンいこうぜ!」と拍車がかかり、3館体制になった数年後にバブル崩壊。
 西館は解体できたものの、東館は今も残ってしまい廃墟として有名になった・・・という具合です。
 作戦は「バッチリがんばれ」にしておくべきやったな・・・。

 このあと撮影を試みた他のところも開業閉業のタイミングが少し違うだけで殆ど同じヒストリー。
 ちなみに鬼怒川観光ホテルの別館は大江戸温泉物語グループがリニューアルし、現役で営業中です。

外壁

 近付くとより廃墟感が増します。
一部の外壁は塗膜が剥がれてコンクリートが見えてたし、水膨れしてる箇所もちらほら。
 階段の手すりも錆びついてて、哀愁が漂ってました。

下り坂の上から見る東館

 ホテル自体が坂の途中に作られてます。
なんでこんな微妙な位置に作ったんやろ?と思ってしまうけど、戦略とかあったんだろか。それとも勢いのままに建てたんだろか。・・・あっ、ガンガンいこうぜ、だった。
 傾斜地に建てるメリットは眺望が良いとか、土地が安いみたいに確かにあるけど、結構な坂だったゾ・・・。

2件目【鬼怒川第一ホテル】

鬼怒川第一ホテル

 鬼怒川観光ホテル東館から少しだけ歩くと出てくるのが鬼怒川第一ホテル。
 あさやホテルの支店として1956年に開業。鬼怒川第一ホテルとしては1980年に施行し、1990年に増改築。
 当時は「鬼怒の八湯」と呼ばれる8つの湯が有名なホテルだったそうな。
 2006年に集団食中毒が発生して営業停止。そして2008年頃、静かに幕を閉じる・・・。

鬼怒川第一ホテルの全体写真 

 雨にはばかれて正面から撮影できなかったので、横からの写真。
 鬼怒川に面した部分は白い外壁で、反対側はオレンジの塗装。どうやらオレンジの塗装側が増改築した箇所のよう。

現役のバス停

 目の前にバス停がありました。
新しいので現役で使われてるっぽいけど、こんな廃墟の前で乗り降りする人いるのかいささか疑問。
 どのホテルもそうですが、当時は高度成長やバブルだったのもあって、団体客向けの宿泊施設だったようです。
 現在、経営が続けられているところは個人客やファミリー、カップルなどの少人数向けがカチッとハマったんだろなって。

内部を覗いてみる

 立入禁止のため中には入れませんが、頑張れば外から少しだけ中が見えます。
 写真だとわかりにくいですが、入り口にゴミなのかなんなのか、とにかく大きめの袋が無数に敷き詰められてました。

3件目【きぬ川館 本店】

きぬ川館本店 正面写真

 ここはかつて「かっぱ風呂」で有名だった場所であり、廃墟群の中で最大サイズ。
 1942年に開業し、増改築を繰り返し今の巨体になったものの1999年に倒産。鬼怒川廃墟群のなかで一番最初に倒産した場所で、経営者は負債額30億円と従業員を残して逃亡。というのが知られている話。
 そして現在も逃亡した経営者は行方不明のまま・・・キョワイ!(怖い!)

 ここは増改築を繰り返してるうちに複雑な構造になってしまったみたいで、ちゃんと許可取って廃墟探索しに来る人は中で迷子になるみたい。
「登っていると思ってたらいつの間にか降りていた」なーんて話もあるんだって・・・キョワイ!

きぬ川館本店の全体写真

 写真右下の円形型の場所がかっぱ風呂。
かっぱ風呂は、その名の通りかっぱのオブジェから温泉が流れてきていて、風呂から見える景色は絶景だったそうな。

ズームで撮ったかっぱ風呂

 一般的には時間で男女入れ替わりの湯が普通だと思うんだけど、ここは男性専用のお風呂だったみたい。女性のお風呂は狭いんだとか。なんなら外の景色なんて楽しめない造りなんだとか。
 時代背景とか踏まえて、当時は男尊女卑が当たり前だったんだろうけど、なんだかね。
 つーか、こういうところに経営者の放漫経営が見え隠れしとんぞ!!!

寂れた建物

 とにかくここが一番ボロボロです。
ただ、窓ガラスが割られているとかそういうのはあまり見られなかったかな?

 ちなみに経営者が逃亡したあとは、次に紹介する元湯 星のやが一時的に管理していたらしいです。最後は管理しきれなくなって放置になったみたいだけど。

4件目【元湯 星のや】

元湯 星のや

 なんと1925年から創業。大正時代から長い間、鬼怒川の地で細々とやってきていた名館。
 始まりは1918年。とある男性が川釣りのために川辺を歩いていると、平らな岩の隙間から湧出する源泉を発見したのが始まり。
 2010年に閉業したけど、根強い人気のある旅館だったんだって。

鬼怒川側から見る全体写真

 噂によると、この旅館に電話をかけると繋がるらしくて「ご予約ですか?」と聞かれるらしい。
 そしてそれを断ると怒ったオーナーに呪われる・・・って誰が言い出したんだろうか。
 この旅館の当時の利用者たちのコメントを見ると接客、景観、湯、どれにおいても星のやに勝るところ無し!!って感じっぽかったけど。

最上階の窓

 なぜか窓が開いてました。
それ自体は普通のことだと思うんだけど、なんだかちょっともの悲しいと感じてしまった。なんでやか〜。
 荒らされているような雰囲気もそこまで無かったし、過去に利用していた客のブログとか読むと内装が見れるんですが、普通の旅館って感じ。

 ただ、日本百名湯には「渓谷の眺めは見事」「昨今、これだけの大温泉地でこんなぜいたくな湯を持つ宿はそうない」と絶讃のコメント。

 ぐぬぬ・・・。営業してる間に行っておきたかった場所のひとつに殿堂入りしたゾ・・・。

5件目【鬼怒川秘極の湯 風】

入り口写真

 正式名称:復興御宿ふっこうおやど 富双江葉大馬ふそうこうようおおま 鬼怒川秘極きぬがわひごく かぜ

 なんとも長い名前ですが、東日本大震災のときに最も被害を受けた福島県の「富岡町とみおかまち」「双葉町ふたばまち」「浪江町なみえまち」「楢葉町ならはまち」「大熊町おおくままち」「南相馬市みなみそうまし」それぞれから一文字を取って名付けたのが由来。

鬼怒川側からの全体写真

 元々はおおるりグループの「ホテル沢風」だったようですが、復興御宿グループに買収されて2014年頃からさっきの長い名前になったんだと。

 ロケーションとしては、鬼怒川公園駅前で最高だったはずですが2020年に閉業。
 ホテル沢風時代から客足は伸びてなかったってことなので、買収したところもなかなか難しかったんだろうなぁ。

放置されたタンクローリー

 放置車両とか乗用車のイメージしかない・・・。
まさかこんなところにローリーが放置されているなんて思わなんだ。なんでこれが放置されるのか理解しがたい・・・。

投げ込まれた封書

 ボカし入れてます。
もう郵便物とか入り口の隙間から投げ入れられててね、これ意味ある?
 明らかに営業してないのに投げ込む必要性がワカラナイ。配達員は配達が仕事だとしてもだよ・・・。

・・・

 最後はフォトギャラリーで締めくくります。ウス!最後までお読みいただきアザシタ!

フォトギャラリー

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