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144. まだ実現していなくても、実現しているかのようにふるまうことだ。〜ラリー・エリソン〜

みなさんこんにちは。


今回は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクル・コーポレーションの共同設立者でもあるラリー・エリソンさんの格言について紹介します。


ラリー・エリソンとは

1944年、ニューヨークに19歳の母の元に生まれ、
生後9ヶ月で叔父と叔母に養子として引き取られました。

母は愛情深く、父は非常に厳しかったそうです。

高校時代は秀才でしたが、無愛想で、
イリノイ大学2年生の時に母が亡くなり退学、
シカゴ大学に入学するも3ヶ月で退学しカリフォルニアへ移住しました。

この頃にコンピュータに触れ始めました。

1966年、22歳でカリフォルニアへ向かい、
生活費を稼ぐために選んだのがプログラマーでした。

当時、サンフランシスコ湾ではテクノロジー系の企業が集まっており、
そこは後に「シリコンバレー」と呼ばれる場所になります。

ラリーは、プログラマーとして「アムダール」や「アンペックス」などの最先端企業を渡り歩きましたが、
本当に価値があると思う仕事に出会えず、
やりがいのない仕事がないのであれば作ろうと、起業を決心しました。


そこで目をつけたのが、「リレーショナル・データベース(RDB)」の開発でしたが、
当時は学術論文はあるものの、実用に耐えるものを作るのは不可能とされており、
周囲から「無理だ」「ダメだ」と言われていたそうで、
そう言われるほど燃えていったそうです。


1977年、仲間を集め「SDL社(現:Oracle)」を創業し、
自ら集めたプログラマーの「オールスターチーム」を率いて開発を続けました。

そして、1979年に最初のデータベース「Oracle2」をライト・パターソン空軍基地へ納入しました。

1983年にはOracleをC言語で書き換えた「Oracle3」をリリースし、
社名も「Oracle」に改名、
1986年には42歳で株式を上場、当時の売上は5500万ドル、
3年後には10倍の5億8400万ドルを達成しました。


しかし、1990年には初の赤字にもなり、
社員たちはボーナスを増やすために激しい売り込みで先々の売上まで計上してしまい、
未回収という事態になりました。

このマネジメントで倒産寸前にまでなり、全社員の10%にあたる約400人を解雇することになり、
この失敗からさらに事業を拡大しようと目指します。


ここからマネジメント陣を一新し、
データベース事業は強化しつつ、ミドルウェアやアプリケーションを始め、
企業向けのソフトにも守備範囲を広げていきます。

1994年にはDEC社を買収、
2000年代には競合他社も次々と買収、吸収していきます。

そして、企業活動の大半をカバーできるソフトや技術を持ち、
総合的なB2B企業としてMicrosoftに次ぐ巨大ソフトウェア企業に成長しました。


まだ実現していなくても、実現しているかのようにふるまうことだ。

RDBの開発に取り掛かった時から、自分が本当にやりたいことを見つけ、
一緒に仕事をしたいという仲間と共に起業をしていきます。

最初は誰からも無理だ、やめておけと言われていましたが、
言われれば言われるほど野心は燃えていき、熱中していきます。

社員たちがボーナスのために未売上のものまで計上してしまい、
未回収で赤字になった時にも、会社を立て直し、更に売上を上げることに燃えます。

そうやってできることに目を向けて、常に実現しているように振る舞っているからこそ、
結果が後からついてくるのだと思います。


最後に

今回は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクル・コーポレーションの共同設立者でもあるラリー・エリソンさんの格言について紹介しました。

常に最高の結果を求めるからこそ、その結果を手に入れるように、
既に手にしているかのように振る舞います。

そうすることで、結果を手にしている行動になり、
必然的に求めている結果を手に入れることができます。

そうやって、成功している人の行動や習慣を身につけることで、
行動や選択の基準が成功している人の基準になり、
結果、成功する確率も上がると思います。


僕も仲間と一緒に仕事も遊びも本気でできる人生にするために、
それを既にしている自分で行動していこうと思います。

最大限、求める人生を手に入れるために、
今できる最大限の行動を起こしていこうと思います。


それではまたどこかで。

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