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"コピペ"上手なお洒落さん。


春と言えば


暖かくて気持ちいい。


…ということは?

アウターで全てを覆い隠し
ある意味"手抜き"が
出来にくくなる季節でもありますな。    わっはっは〜(°▽°)

年代様々、
チャラめ~正統派まで
髪型、色は勿論のこと
服装、メイクも
マイナーチェンジと
リニューアルを駆使し

ちょこっとガラッと都度変化
気分と共に愉しみつつ
年齢を重ねる喜びを噛み締める。

"とある街の美容師" が語る
美容師目線のお洒落論。

喝を入れて欲しい人向けかも?
(´∀`*)ウフ。

山門文治さんの


【今、このnoterが面白い】にも
取り上げて頂きました♪

いつもありがとうございます
♪( ´θ`)ノ



以前書いた『お洒落って何?』
良かったら読んでみてね。



今回テーマは、

”コピペ上手”な
   お洒落さん


ここ数年、
上から下まで非の打ち所の無い 
それこそ
アクセサリーもヘアスタイルも

"その組み合わせ よくいるよね~"

と思わず
言っちゃわないけど
思っちゃう 

スマートに完成された
 『型  系』って 増えた様に思う。
(何もかもが二極化してるね)

それって実は目を引かないよね、

凄く素敵ー!!と
振り返りたくもないよね

って (どの立場よ)

知り合いの
美容師、
アパレル、
ネイリスト達とよく

”分析のすり合わせ”をすると
おおいに盛り上がる。

私を含めみんな 
"それぞれの立場"から見て

その人の個性が見えないのに
お話すると 
「あれ?」を感じるみたい。

不自然な完璧感”
その『型』が現す印象やイメージを
先に作り上げてしまうのと同時に
その人となりが垣間見れる
会話や動作から
そんな風に違和感を感じるようだ。

ところでちなみに

ご存知の通り(?)
ファッションに関して美容師は
ある意味
タチが悪いと自覚している。
(もちろん良い意味で)

何故なら
美容師は続けていく事で
作りたいものや方向性が
定まると同時に 
元々あった(強めな)個性がさらに
『世界観の表現』として
自然と強化されていきやすく
かつ
仕事=私服なので 
動きやすく操作性と共に
"こなれ感"が独特
になるからなのではないかと分析している。

どの業界でも同じ事だが それは
"美容師っぽい" と称されるように
それもある意味では
『型』であるのは間違いないのだけれど。

"タチが悪い"と愛を込めて表現した
その理由は以下の通り。

講習、講演、ヘアショーなどの会場内を見渡すと 

『型』は型でもほぼ

誰一人として"被りなし"

『型破りだらけの光景』は

当事者でそこにいてもまぁビビる

(なんなら正直結構コワイ笑笑)



『コピペ系』

そこでそんな視点、感性から
小生意気にも 
上から下まで"うん、あるある系"を 

『コピペ系』

と名付けてみた。
(失礼  m(__)m  )


勿論 「流行」はその都度(大抵)
オシャレだし いいね とも思う。

しかしそれは
流されるのではなく
上手く使いこなすべき
"商売"であり"商売"だ、
ということを忘れてはいけない
とも伝えたいし、

やるならトータル、
ガチでやり切ってくれ
とも思う。
(半端が一番ダサい)


言い訳のようだが
そんな冷静さをもつ美容師がいなくては 作るものも右向け右となり
それこそ皆んな同じになってしまうからだ。
振り切りたい覚悟が
お客様側に無ければ
キマらない"スタイル"は多い。
(それを覚悟させるのはこちらの腕次第かも知れないね)



しかしここまでの
動画、画像時代ともなると
その影響力は半端なく強い。
半端なく。


多くの人が「流行」を取り入れたくなるのは当たり前。
美容室で作る髪も同じこと。

過去勤め人の時代
時期や店舗の種類によっては
毎日毎日
同じスタイルや色を
連続でオーダーされることも当然あった。

ワタシのポリシーが出来たわけ

それが嫌で、苦しくて
その路線から一線を画す道
覚悟を決めて長年かけて作ってきた。
(自分で言っちゃうけど( ´θ`)ノ)

それは
トレンドを追うのではなく
"違う(似合う、ハマる)
  タイムライン"を発見させて

"お客様自身のトレンド"を作り
サポートし、
輝かせ楽しませること。


くせ毛を活かし、ダメージさせず
健康的で自然な髪質、
美しさを作ることに定評を頂戴するポジションに

お陰様でなった今
その今だから言えるけど。


当時 美容師としての自我
芽生え始め 
誰かの作った作品を
(猫も杓子も的に)
(似合ってないのに)
"模倣させられる"というのは
本来 提案型DNAを持つ私には
苦痛と疑問でしかなかった。

だから早く経験値を上げるため
アホみたいに数をこなした経験も
結果、良かったのだけど。

業界内外にある大きな流れと
その在り方

疑問を抱き始めていた頃だった。

悔しい、なんて感情とは少し違って
全く全然 そんなんじゃ無くて。


選ぶお客様達にも 
もちろん当然 罪は無く。

違って当たり前の髪質や骨格に
無理をさせ 
願っても届かない
その『型』が正解だと思わせる
発信と盲信、その大きなうねり。

そんな渦中でも

もっと自由でいいし
自分をちゃんと楽しんで欲しい

と願う作り手として

『型』の連続オーダー、
量産系に埋もれそうになること
"作業的" にならざるを得ない毎日は

まるで自分が自動販売機にでもなった様で本当に息が苦しかった。

そんな作業をする為に私は美容師になったんじゃない。

"何やってんだろう?自分…"って 
落ち込んで立ち止まりたくなる事もあった。

だけど当時は会社員。
(美容師の多くも"サラリーマン"だよ?)

その中で立場もあったから
数をこなす事も
やりたい事をやる時のために力をつける経験だと割り切って。
(事実 力がなければ数をこなす事もそのスピードも指名数は維持できない)

頭でそんな風に割り切ったって

帰りの車でエンジンを掛けるのも
躊躇するほど精神も肉体的にも
疲弊しきっていた時期。

ただ真っ暗な車の中で席を倒し
目を閉じて心の痛みをやり過ごすしか出来なかった。
その時は。

だから
必ず私の顧客になってくれる人には
自分の素材を好きだと心から言わせる事が出来る技術を作ると誓った
ってワケ。


ところでちょっと
話題を変えたいと思います。

それって"本当に"
便利なサービスかな?

数年前の例の"流行り病"の頃、
ファッションスタイリストさんたちも大変だった様で

お洋服のコーディネート、
商品をプロの目線で組んでくれるというサービスのアプリが話題となりましたね。
(今どうなってんのか知らんけど)

質問に回答するだけで
いくつかのパターンで
コーディネートされた組み合わせが手元に届くそう。
(金額、サービス、内容は各アプリによるらしい)

「考えなくてもいいから楽」
「センス良くコーデが完成」
「飽きたら次を気軽に選択」


アンケートや広告にはこの様に記されたものが殆どで
実際使った方もそのようなお言葉を仰っていたのが印象に残っている。

タイパ・コスパ重視派 にとって
特に魅力的な言葉が書き連ねてある
ことは、理解できた。

まぁ便利だよね。

でもそれって。

長年 髪を作る側からファッション等も様々眺めつつ

それに付随する
"ご意見、お悩み、ご要望"を 
伺っておりますと。


貴方らしさ って"そこ"には
あるんでしょうかね???


だってそこ、なんだかんだ
結構求めてません?

といつものように
心の中で突っ込むよ。


良かったらこれも読んでみてね。


お料理に例えてみよう

※ここでは個食、
出来合い惣菜ではなく
家庭料理を例にしますね。

家庭の味 と称されるものも
時代と共に変わり
全くそれは合理的でスマートで
良いと思っていますが

誰もが忙しく過ごす日々、
そんな日常に普通に作るご飯って。

その日の感情やテンション、状態が 
そのまま味に反映されることって
ありませんか?


家族を想って(自分の為にも)
引き継ぐ味や受け継ぐ温かみなどは
やはり
”それぞれの単位に
   違いのあるもの"
でありますし

またそれが 
"懐かしい"  "落ち着く" などの
感情面を揺さぶる味となるのではないでしょうか?

それが一生懸命作ったものであれば
美味かろうが不味かろうが
"魅力”と言えないはずがありません。


魅力とは?

"人の心をひきつけ夢中にさせる力"

コトバンク

そういう訳で私は
ファッションも
髪型も(メイク等も)同様で

"自分の"心、
感情やテンションで
装うアイテムを選ぶこと

その人なりの
味わいとなる大事な部分を作り

思わず振り向きたくなるもの、

惹きつける"魅力"を作るのではないかと考えます。


魅力よりも欲しいもの?


スマホに向かって幾つかの質問に
スキマ時間に答えるだけで

お互い見ず知らずの人に見繕ってもらった
洋服やアクセサリーが自宅に届く。

気に入ったら買取(システムによる)、または
クリーニングもせずに送り返す。

気に入ればまた季節を変えても
それが繰り返される。

それはまるで夢の様に簡単だけど

"失敗もない"代わりに
工夫するという
"楽しみの部分を奪われている"

と思ってしまう。

そんな考えは"効率が悪い" と
非難されてしまう古い意見となるのかもしれない。

だとしても。

よくあるパターン、
よくある組み合わせは
制服の様に街に増殖していくのに

美容室で求められる意見の多くは
(少なくとも私が触ってきた数千人以上は)
"私らしく"
"自分に似合った" モノを
欲しがる傾向がどんどん強くなっている

それに伴い
不安や迷いを抱える人も
同じ様に増えた。
(だからnoteにも本音を書いている)

いくら"自分らしく"と言葉で言われてもファッションは全体だから、
型の着こなしを選ぶなら
髪はそこに合わせていくしかなくなるんじゃないか。
(相当上級者でない限り)

逆も然りだ。
だから 型が出来ていく。
(それはそれでいーんだけどもー)

自分らしさを求めるのなら

そこで言わせてもらうぞ。

他と差をつけたい、
私らしく在りたいと口にするなら
まず自分と向き合う勇気を持て。

自分らしく 輝きたいなら
その望みを持つ己を赦せ。

高望みをするのではなく、
出来ることから始めてみよう。

これら全て過去の自分が自分に
言い聞かせた事。

流行はビジネスだ。
お金もそうだが、
賢く使ってなんぼの世界。

お洒落になりたい、
自分らしくオシャレを楽しみたい
そんな思いがあるならば。

不安から(頑張って)
"追う"のではなく 

余裕を持って
"取り入れるスタンス"を
持ち合わせていた方が
心の安全にもいいと思う。

「安いから、何となく」と
手を出すのではなく、

「好きならば迷わず手を出す」
 心づもりで。

その方が
あなたの人としての魅力度は
間違いなく高まるだろう。

お洒落感がグンと増す
"ハズシ"などのテクニックは
経験がモノを言う。
ハズシやこなれ感こそ
付け焼き刃で真似たら大怪我する。

(多いけどだらしなく見えるだけ)


やはり好きで選んだモノだからこそ
確実にこなし成功率は高くなる。


無駄に"消費"するか、
価値ある経験を積むか


なりたい自分になるために
自分が決めれば良いと思う。

信頼できるプロを見つけるのも
話は早くなる。

センスは思考から、磨けるのだ!

安心感という魅力は何を残すか

だけれども
考えなくて済む『型』は
"浮かなくて済む"という現代人の多くが好む安心感も手に入る
(それは表向きでしょう?とも思うけど)

それはまるで食べ物で例えると

外食大手チェーンの
セントラルキッチン味、

大手ファーストフードの
セットメニュー
に見えなくはないだろうか?


バリュープライス
どこでも手に入り
考えなくても出てくるそれらは

家庭料理やレストランのシェフが作るものにあるであろう
目の前の人の為を想い込められる
"温もり"も"味わい"もない

代わりに
"インパクト"だけが強く残る
(飽きるが繰り返す)


空腹”の虚しさを満たすかの様に
次から次へと変わりゆく波の中で

満足感を探し求めるのも
決して悪い事であるはずもなく。

いつでもどこでも 
同じ見た目で同じ味、クオリティ
安心感。

それがその、"魅力"なのだから。


食べ物はその体をつくり、
選ぶものは思考が全て現れる。

誰かになろうとしても
誰にもなれない。
なる必要は うーん、
無いと思う。

だけども多様性の時代。

無機質なロボットに、なりたいのなら止めないけれど
ロボットになりたくないなら
自分らしさを求めるのなら

あなただけのその魅力
幾つだって、誰だって
今から磨くのも遅くは無いよ?

そんな風に思って書いたら
アツく長くなってしまいました。

それでも

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!


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