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短編小説 : バブル期の日本・留学生からの眼差し - 海外編

「もしもし」

つたない日本語を喋る人から電話があったのは、留学を目前としたある日の週末だった。

大学四年となると、履修する授業がどんどん少なくなっていく。私の場合は専門の授業がすべて定員割れしてキャンセルとなり、大学に足を延ばすのは週に三回ほどになっていた。

せっかく大学まで行って何もしないよりも、他の学科の授業でこれからの勉強に役に立ちそうなものに単位を取らないという約束で聴講させてもらったり、それ以外は図書館での勉強やアルバイトに精を出していたりしていた時だった。

電話口の学生は、途中で英語に切り替えた。

「I’m an exchange student studying at the same university as you, and I heard that you are going to my university as an exchange student. Can we meet up somewhere? I can explain things about my university
僕はあなたと同じ学校に交換留学で来ている学生です。あなたが僕の国の大学へ交換留学で行くと聞きました。どこかでお会いできますか?僕の大学の事、説明できますよ」

電話口の学生は、奇妙なアメリカ訛りの言葉で続けた。

「I will be coming to campus on Tuesday, Wednesday and Friday. Which day will suite you?
大学には火曜、水曜、木曜に行きます。都合のいい日はありますか」

私は月、水、金と大学にいっていたので、水曜か金曜が良いと伝えた。

「Ok, how about Wednesday? The sooner, the better.
わかりました。じゃあ水曜でどうでしょう?早い方が良いもんね」

そう言ってアメリカ訛りの学生は電話を切った。

私は少し警戒した。何かの詐欺だろうか。まるでオーストラリア人かイギリス人がアメリカ人の真似をしてるような、そんな喋り方だった。

大学の事を説明してくれる、とはいったものの、そのころまでに私は交換留学先から日本に来ていた大学のスタッフの方から、ビデオや資料を使ったオリエンテーションを受けており、今更聞くことなど何もなかった。ただ、どんな人が日本に来ているのかは興味があったので会うことにした。

水曜日が来て、私は待ち合わせのカフェテリアに向かった。

電話では、どんな服装をしているか教えて欲しいと言ったが、「典型的なガイジンの見掛けだからすぐわかる」とぶっきらぼうに言うだけだった。

その日、カフェテリアの入り口には五人ほどの外国人の学生が座っていた。皆、一様に誰かを待っている様で、私が近づいていくと皆一様にこちらを見る。

「Ah… Who is an exchange student at this university?
ええっと・・・うちの大学の交換留学生は誰?」

一人の男子学生が不機嫌そうに一本の指を立てて立ち上がり、こちらに来た。額が禿げ上がり、白髪の様な薄い金髪にひしゃげた鼻の持ち主で、全体的に輪郭がはっきりせずぼやっとして見える人物だった。

少し離れた所に席を取り、実はもうオリエンテーションは済ませていて、大学の基本的な成り立ちやキャンパスの内部、近隣の町の事などは教えてもらっていると話した。

学生は不機嫌そうに言った。
「These people shouldn’t do such things… these people at the international department! We are the ones who should be explaining to you! Why do they always interfere?
そんなことやらなくってもいいのに・・・大学の国際課ってやつはよ!そう言ったことは僕たちが説明するべきことなのに、なんであいつらが干渉するんだよ」

「I've no idea
さっぱりわかんないね」

「Well, the reason why I called you is because I’m looking for a person who can teach me Japanese once back home. Could you be my teacher?
えっと、連絡したのはね、国に戻った後に日本語を教えてくれる人を探してるんだ。俺の先生になってくれる?」

「Oh, I’m afraid that is impossible. I will be on exchange programme, not to teach. I don’t think I can spare much time on something else. If you want to learn Japanese, why won't you talk to Japanese students there? I heard there are about 20 of them studying there now
いや、それは無理ですよ。私は交換留学に行くんです。何かを教えに行くわけではないんで。他の事に時間は費やせないですよ。もし日本語を勉強したかったら、向こうにいる日本人に頼んだらどうですか?二十人位の日本人があちらの大学で勉強しているそうですよ」

私は丁重にお断りをした。

自分の日本語は完璧ではないし、それよりも何よりも、私は勉強を優先させたかった。

自前で、授業にも出ることが叶わずに勉強してきた社会学と経済学と政治学。この三つがこの国でどこまで通用するか。それに、交換留学なので下手に低い点数でパスするわけにもいかない。一年間どっぷり勉強に身を浸したかったのも確かだった。

その後、学生とは他愛もない事を会話し、そして日本語の授業はできないと改めて念を押した。そして自分の国に戻ったら大学にいる日本人学生に頼んでみて欲しいと告げて、その日は終わった。

そうこうしているうちに日本を離れる日が迫って来た。私はアパートを解約して荷物を倉庫に預け、埼玉の祖父母の元に身を寄せ、残りの日々をアルバイトと勉強に費やした。

出発の日が来て、祖父母に最寄りの駅で別れを告げると、私は早朝の列車で成田に向かった。そして友人が探してくれた格安航空券の往復切符を胸に抱え、留学先の国に行く飛行機に乗った。

空港に降り立ち、用意していた軽いジャケットを羽織った。九月の残暑の残る東京と、すでに秋も深まっているその国では寒暖の差が激しい。重く雲が垂れ込める空の下、私は市内に向かう地下鉄の駅まで荷物を引いて行った。

大使館で住所登録を済ませてユースホステルで一泊すると、私は大学のある駅へ向かう電車に乗った。

見事な位何もない、線路の脇には羊の群れが草を食む草原が広がるだけの駅に降り立った。ここで一年頑張って、日本に帰ろう。そう決めて、私は駅から大学までの一時間ばかりの道のりを、荷物を引きずりながら歩いた。

大学の入り口はかなり急な長い坂になっていた。坂を上がる間、重い荷物を持った手がしびれてくるほどだった。坂の傍にはアヒルの泳ぐ池があり、ヒナが親の後をついて泳いでいた。

寮のあるカレッジは大学の南の端にあった。石畳の通路を、荷物を縛り付けたカートをごろごろ言わせながら歩いていくと、遠くに目指すカレッジが見えてきた。

寮の入り口で到着を伝えると、部屋番号と鍵を渡された。そして毛布を余分に一枚持っていくかどうか聞かれた。この寒さでは、夜間はもっと冷えるだろう。私は毛布をもらい、自分の部屋を目指した。

寮は大きく、男女共通のフロアになっていた。20部屋程が両脇に並ぶ長い廊下があり、私の部屋は端から二番目だった。小さな四畳半ほどの部屋にはベッドと机と椅子、それにヒーターが取り付けられていた。私は羽織っていたジャケットを脱ぎ、荷物を置いて、ベッドの上に腰を掛けた。足が棒のようになっている。

その時、ノックの音がした。

「こんにちは!説明会の時に会ったよね?!」

明るい声で話しかけてくれたのは美奈子だった。留学先のオリエンテーションで知り合った彼女は、今年の四月からこちらでの生活を一足早く始めていた。

「さっき廊下を歩いているのを見て、もしかして、と思ったの。こっちには今日着いたばっかり?」

「いや、大使館での住所登録があったから、昨日着いたのよ」

「そっか、じゃあこっちには列車でついたばっかりだよね。あっちにキッチンがあるんで、お茶でも一杯どう?」

美奈子の誘いをありがたく受けた私は、台所まで付いて行った。

台所は広く、中には七人ほどの人達が談笑していた。オリエンテーションで顔見知りになった人たちが多く居て、その他にもインドネシアから留学してきた生徒さん達もいた。この人たちは大学院に進学する予定だという。

「会えてよかった!これから半年くらいだけどよろしくね。新学期が始まったらどこのカレッジに住むの?」

「ウインダミアだよ。社会学と経済学が専攻の人はあのカレッジになるみたい」

「そっか~。私は言語学やるんで、このままここのライダル・カレッジ所属になるんだ。自分の部屋が何処になるかまだわかんないんだけど」

「研修もあと一か月だもんね。研修後もよろしくね」

そのキッチンにいた人たちは皆親切だった。

留学生は、誰しもが一か月の講習を受けることになっていた。一か月間、私たちはなぜか大学院に進学する生徒さん達と席を共にして勉強した。レポートの書き方や資料の読み込み方、メモの作り方、この国に来た外国人が、上手く周囲に馴染めない時の相談センターの事などを四週間かけて学んだ。

四週間はあっという間に過ぎ、一週間の休暇の後、私たち留学生はそれぞれが所属するカレッジで生活をスタートさせた。

そんな矢先、日本であったアメリカ英語を話す学生から連絡が入った。

「Hi, I looked for you! Look, we have to talk. Can I see you today, at 18:00 ?
やあ、探したよ。話があるから今日六時に会える?」

この学生と関わり合いになりたくなかった私は、話を手短に済ませて欲しかったので、この電話で話を終わらせるように頼んだ。

「No…I don’t think I have any reason to see you. Why don’t you talk now, if you have something to say?
あなたと話す理由は無いと思うけど。言いたいことがあるなら、この電話でいったらどう?」

「I’m thinking about setting up a Japanese-international society, so I can meet Japanese students. I want you to help setting it up. There is a Japanese society here, but it is for Japanese Master and Doctorial students only, and they didn’t let me in
日本国際会というサークルを立ち上げようと思ってるんだ。そうすれば俺が日本人学生と合えるし。設立に協力してほしいんだ。日本人会っていうのがあるけど、日本人の大学院生用だとかで、入会を断られたんだ」

日本国際会というサークルを立ち上げる。その手伝いをしろという訳か。私は即座に断った。サークルをやるなら、自分のやりたい趣味の様な事が出来れば充分で、設立スタッフになって無駄な時間を費やすのはいやだったからだ。

しかしその学生は諦めず、日に何度も電話を掛けてきては同じことを繰り返す。

私は答えを変えず、noを貫き通した。

それを押してもまだ食らいついてくる。使いっぱしりに使える便利な道具と見ているのだろうか。そのしつこさは呆れる程だった。

ある日、学生は趣向を変えてきた。

「Look, you don’t have to work hard on this. I will do most of the work, and all you have to do is get Japanese students involved
あのさ、一生懸命やれって言ってるわけじゃないんだよ。やるべきことは俺がやるし。やってほしい事は、日本人の学生を参加させてほしいんだ」

「Is that what you want? I see this society thing is for those who are studying Japanese language. In that case, I can ask some of the Japanese students here to become friends with the students learning Japanese.
そういう事やれと言ってるんだね?このサークルは日本語を勉強している人達のためのものなんだね?そういう事なら、ここの大学にいる日本人の学生に、日本語を勉強している学生と友達になってとお願いできるよ」

「That’s right. As I said, you don’t have to work hard on this. All we need is to get Japanese students involved, so that we can learn Japanese from them. 
そうそう。さっき言ったけど、本当に一生懸命になんかやらなくっていいんだ。日本人の学生に参加してもらうだけでいい。そうすれば、その人たちから日本語を学べるし」

この言葉を信じた私は、早速日本人の学生たちに呼びかけてみた。日本国際会なるサークルを立ち上げる。日本語を勉強している学生と友達になるのが目的だが、年に数回外部の人を招いたイベントをやらなければならないので、手を貸してほしい、と。

かなり多くの日本人学生が賛同してくれたが、やはり反対する人もいた。海外までやってきて、なぜ日本人同士でつるまなければいけないのか。日本語を教えている暇があったら、自分の勉強に集中したい、と。

自分の勉強に集中したいのは自分も同じだったので、私は会員がやるべきことを改めて伝えた。

週一回、あるカレッジのバーで日本語を勉強している学生達と合い、おしゃべりする時間を設ける。日本語を勉強している人達だから、沢山日本語で話しかけて欲しい。プライベートで日本語を勉強したいと言う人もいるようなので、出来る人がいれば教えてあげて欲しい、と。

プライベートで日本語を教えるのは、さすがに自分の勉強の妨げになるので反対する人が続出したが、週一回会うだけならいいよ、と言ってくれる人たちがでた。

しかし、このサークルがスタートして、私たちははめられたことに気が付いた。

サークルは会長という代表と、経理や書記などサークルとしての役割を果たすためのスタッフがいなければならない。私は会長をやってほしいと言われたのだが、それぞれの役割を日本人とこの国の学生が分担するのでなければやらない。仮に私が会長をやるなら名前を貸すからあとは自由にやってくれと頼んだ。

しかし、大学側からは実際に活動していることを報告しなければならないため、会議を開かなければならないと言う。

仕方が無く出てみた会議は、目も当てられないものになっていた。

まず、サークルの趣旨を理解していない人たちがスタッフになっていたことだ。日本への留学から帰ったばかりだという経理の学生は開口一番にこう言った。

「We are here to help Japanese students who are learning English. We are here for you to help you. So, what do you want to do with this society? Tell us what you want, and we will help you.
俺たちは英語を勉強している日本人の学生を助けるためにいるんだ。俺達は君たちを助けるためにいるんだよ。さあ、このサークルで何をしたい?何をしたいか言ってくれれば助けを出すから」

これが第一声だった。
私はこのサークルを企画した、今は会長職に収まっている生徒に向かって言った。

「Hey, you lied to me. I heard that this society is meant for the students who are learning Japanese, and Japanese students are to be there to help. I’m not getting involved with this if the purpose is different
ちょっと、あんた嘘ついたね。私はこのサークルが日本語を勉強している学生のためのもので、日本人の学生はその手助けをするって聞いてるけど。サークルの趣旨が違うんなら関わり合いになりたくない」

私は立ち上がって部屋を出ようとしたが、何人かの学生に止められた。
私は改めてこう言った。

「Look, it’s YOU who need to tell us what you want us to do. Otherwise, what’s the point in getting many Japanese students together? If they want to learn English, they could just stick with their college friends. It’s totally meaningless if they got together once a week for English lesson
あのさ、何をやりたいのかを言うのはそちらじゃない?そうでなければ日本人の学生を一か所に集める意味がない。日本人が英語を学びたいっているなら、カレッジの友達と一緒にいれば済む話じゃない。週に一回の英語のレッスンのために日本人を集めるなんて意味がない」

学生たちは何も言わなかった。これは私の言っている内容への無言の抵抗の始まりだった。

実際、バーで集まって日本語で地元の学生たちに話しかけても、誰も日本語でしゃべろうとしない。日本語を耳では理解できても、発話が出来ないため、返事が英語になってしまうのだ。地元の学生の日本語よりも日本からの留学生の英語の方がはるかに上手いため、会話がいつの頃か英語中心になってしまう。

美奈子もこのバーでの集まりに参加してくれていた。積極的な彼女は次々と地元の学生達に日本語で話しかけて行く。誰も返事が出来ないのを見てとった彼女は、即座に英語に切り替えた。

私は嫌がられるのを覚悟の上で「日本語で喋ってね」と促したが、結局プライベートレッスンを頼む学生は現れず、地元の学生はついに日本語を話さなかった。

日本語を学んでいるのに、せっかく日本人と合っても一言も日本語を話さない。

日本人でも英語を学んでいて、英語圏の人と会っても、一言も英語を話さない人もいる。どこに行っても感覚は同じなのかもしれない。

週に一度のボランティア。私はそう腹を括ってこのサークルに関わった。

そんな日があった翌週のこと。私が自室で勉強をしていると、ノックの音がした。出てみると、会長の学生が立っていた。

「I have a Shukudai at Japanese class. Could you help me?
日本語のクラスの宿題をてつだってくんない?」

「if it is not a massive reading or writing.大量に書けとか読めとかじゃなければ」

私は彼を部屋に入れた。見ると、日本語と英語で書かれたA4サイズの紙を持っている。

「I want you to do this homework この宿題、やって」

やって?

「NO. I’m not doing it. It’s yours. If you have questions, maybe I can answer
やだね。やらないよ。質問があるんなら、答えられるかもしれないけど」

ここで私は日本語に切り替えた。

「この宿題のどこが分からないんですか?」

「全部」

「じゃあ、宿題をやらないで先生にこの紙を渡してください」

「I can’t. It’s my degree….できない。単位に係わることだし・・・ 」

「そんなの私には関係がありません。勉強をしない人は、いつまでたっても日本語ができないままです。そんなに日本語を勉強したくないなら、クラスを辞めてください」

「What? I don’t’ understand えっ、何?分からないよ」

「日本語で言ってください」

「あなたの言っていることが判りません。」会長は言った。

「If you don’t study, you’ll never learn Japanese. If you don’t want to study Japanese, you can quit the class or course or whatever. 勉強しなければ日本語を永遠に学べないよ。日本語を勉強したくないんだったら、日本語のクラスだか単位を取るだかをあきらめればいいじゃん」

会長はしばらく思案した。

「じゃあ、この問題がわかりません」

そう言って、一問目を指さした。

「どんなことが判らないんですか?」

「全部」

「じゃあ、あなたは日本語ができない、ということですね。そのまま先生に言えばいいじゃないですか」

「でも、分からないんです」

押し問答が続いたため、私はその宿題をじっくり読んでみた。

日本語で書いてある短い文章について、自分なりに理解したことを書く問題だった。

会長は、この宿題の内容が理解できていない。このことを日本語教師に伝えるために、私は頭を巡らせた。そして、宿題の用紙にこう書き込んだ。

「この宿題は、日本人が書きました。会長は自分でこの宿題をやっていません。会長はここに書いてある日本語が分からないそうです。叱ってください」

この一文が書かれた宿題を持って、会長は意気揚々と部屋を出て行った。本人が後で見直して内容に気がつき、怒鳴り込まれればそれまで。連絡が無ければ、そのまま日本語の教師に現状が伝わるだろう。

その後、経理の学生も私の部屋に来て同じ質問とやり取りを繰り返した。こちらの生徒も日本への留学から帰ってきたばかりだが、先ほどの会長に輪をかけて日本語ができず、読むことすらできないようだ。

私は先ほどの会長の宿題に書いた文をそのまま経理の学生の宿題に書いた。

その日は、二人とも私の所に怒鳴り込んでくることは無かった。

結局、日本語の先生がその文章を読んで、宿題は仕切り直しになったそうだ。

その後も、経理の学生は私の部屋を訪れ、宿題をやってくれとせがんだ。

ばかばかしくて付き合っていられないので、今度は宿題の用紙にこう書いた。

「先生へ。日本語を勉強している学生たちが、自分の代わりに宿題を代わりにやれ、と、何度も私の所に来ます。授業の内容が難しすぎるようです。授業の内容をもっと簡単にするか、生徒たちに授業の単位をあげないか、どちらかにしてください。私は非常に迷惑をしています。日本人の学生より」

この一文を書いた後、日本語を勉強している学生が私の部屋に宿題を持ってくることは無くなった。恐らく教師が何らかの措置をしたのだろう。

それでも日本語を学ぶ学生たちの奇妙な行動は続いた。行動というよりも、日本人に対するものの見方が偏っているのだ。

ある日経理の学生が私の部屋を訪ねてきたので、紅茶を出した。すると彼は不機嫌になり、「Don’t you have tea from Foderingham and Masson?」と尋ねた。フォダリンガム&マッソンと言えば、この国でも超高級なお茶の専門店だ。私はなぜそんなことを聞くのかと尋ねた。

「My host mother in Japan has always served me tea from Foderingham and Masson. She has always bought me expensive food and drink. Some of the Japanese students here have tins of tea from Foderingham and Masson as well. Why don’t you be a proper Japanese and serve Foderingham and Masson 's tea?
俺の日本のホスト・マザーは、いっつもフォダリンガム&マッソンの紅茶を入れてくれたよ。ホスト・マザーはいつも高級な食べ物や飲み物を買ってくれた。ここにいる日本人学生の何人かも、フォダリンガム&マッソンの紅茶を持ってるし。ほら、ちゃんとした日本人らしくフォダリンガム&マッソンの紅茶を入れろよ」

私はそんな高級茶葉をロンドンに買いに行く予定も無ければ買うつもりもないと答えた。日常的に飲める紅茶があれば十分だと。

すると経理はこんなことを言った。

「Shxt. I thought Japanese always serve expensive stuff. I thought I’ll be treated like a king
なんだよ。日本人って高級なものでもてなしてくれるもんじゃないの。王様の様に扱ってくれると思ってたのに」

「That is something that I don’t do. Now if you don’t mind.
そんなこと絶対にやらないからね。それじゃ。」

そうして、私は部屋のドアを開け、経理君に外に出る様に促した。経理君は一瞬戸惑ったように見えたが、しぶしぶ部屋の外に出た。私は扉を閉じると鍵をかけ、勉強するにはやはり図書館かカレッジの自習室を使うしかないと改めて思った。

日本に留学していた生徒も、日本に留学をしたことが無い生徒も、一様に「日本人はお金がある」と言い張って譲らなかった。確かにこの国の高級紙と呼ばれる新聞にでさえ、日本人のビジネスマンの景気の良さや、日本による海外での不動産投資の活発さや、派手な接待のことについてのニュースが飛び交っていたが、全体的にその景気の良さを茶化すような文面が多かった。

私は、日本に留学していた生徒まで「日本人は金持ちで、たかれる良いカモ」という発想を持っているのが残念でならなかった。この人は日本で一年間、何をやっていたんだろう?

冬休みが近づき、経理君はスコットランドの旅行を立てていると言った。日本人を集めてスコットランドを回ると言う。

「それは良かったね。楽しんできてね」

「You are coming, right?  あんたも来るでしょ?」

「No, I’m not going いや、行かないよ」

「But you must come! いやいや、来なくちゃ! 」

「Why??? 何で???」

「What if the Japanese students don’t understand my English? They do speak English, but I’m not certain if they can understand me perfectly. I want a Japanese who understand English 俺の英語が日本人学生に伝わらなかったらどうすんだよ?皆英語を話せるけど、俺の事を完璧に理解できるのか確証がないんだ。日本人で英語を分かっている人にいてもらいたい」

「But you are learning Japanese. It’s a good chance to learn Japanese, with so many Japanese around you. Good luck でもあんたは日本語勉強してるんでしょ?日本人がいっぱいいる環境で日本語を勉強できるいいチャンスだよ。頑張って」

「But YOU MUST COME!  いや、だから来いって!」

この状況が一週間以上続いて、私はノイローゼになりそうだった。

あごで使えそうな人間を見つけると、獲物に食らいついたワニかの様にしつこく自分の意見を押し付けてくる。このしつこさには辟易してあまりあるものがあった。

最終的には私が折れ、親からお金を工面してもらい、私と数名の日本人学生はスコットランド旅行に出ることになった。

私たちは、努めて経理君に日本語で話しかけた。彼は日本語を理解している様だったが、頑として日本語で話すことは無かった。

旅行から帰ってきて、経理君は一言こういった。

「The Japanese don’t learn anything! They didn’t speak a word of English, even though I was with them! 日本人ってなにも学ばないじゃん!俺がいるのに英語を一言も話さないなんて!」

結局彼は自分が手柄になりたかったようだ。日本語を勉強しているのに、日本語を使いたがらない。むしろ日本人に英語を教えている自分に酔っている。そんな気がしてならなかった。

月日が流れ、春休みが来た。このタイミングで、自費留学で来た人たちは日本に帰らなければならない。私は美奈子や、バーでの日本語レッスンに協力してくれた人たちと別れを惜しみ、最後の時間を一緒に過ごさせてもらった。

約半年間、日本から留学してきた人達には、バーで行われた週に一度の日本語を話す企画に参加してもらった。皆、忙しい中に時間を調製して参加してくれた。しかし最終的に地元のの学生達が日本語を話すことはなかった。

むしろ彼らは、「俺たちが日本人に英語を話す機会を与えてやっているんだ」という態度を強くしていった。このサークルが始まった当初から懸念していた事態が現実になってしまった。

春休みが明けて三学期が来た。試験目前となり、周囲もピリピリとした空気が流れ始めた。

三科目を取っていた私の試験は三日間連続して行われた。試験結果はすぐ出るので、結果票をもらったら即日本に戻ることになっていた。日本に戻ったらそのまま大学を卒業して、就職すると決めていた私は、最短のタイミングで日本に帰れるよう準備を始めていた。

その時、ふらりと経理君が私の部屋を訪ねてきた。ちょうどフライトのリコンファームをしようと外に出ようとしていた私は、そのまま経理君を廊下に立たせて、外の公衆電話に向かった。

「What are you going to do now?  何するの?」

「I’m going to reconfirm my flight 飛行機のリコンファームだよ」

「I’ll do it for you 俺がやってやる」

「Excuse me? えっ?」

「I’ll do it for you. You are a Japanese, and I will do good thing for a Japanese 俺がやってやる。あんたは日本人だろ。俺は日本人に対していい事をするんだ」

「I don’t understand 何言ってんのか分からない」

「I see the Japanese as a feeble child, who can’t do anything without me. In fact, many of the Japanese students couldn’t do their thing without me. Now I’ve got your passport here, so give me your flight ticket 日本人って、俺がいなきゃ何にもできない子供の様なもんだろ。実際、日本人の学生の中には俺がいなきゃ何もできなかった奴らがいたし。ほらパスポートはもらったから、航空券も寄越せよ」

彼は私のパスポートの端を握っていた。

「Let go of your hands 手を放しな」

私は真剣に経理君に言った。こんな強引なやり方があるのだろうか。殴ってやろうかと思ったが、目の前で薄ら笑いを浮かべている経理君の気味の悪さに怖気が立った。

「I said let go of your hands! I’ll call the guard!  手を放せって言ってるだろ!ガードマンを呼ぶよ!」

大騒ぎをしているのを聞きつけたカレッジの老ガードマンが駆けつけてくれた。

自分でリコンファームできる案件なのに、強引にパスポートを取られそうになっているのを説明したところ、経理君はこそこそとその場を立ち去った。

ガードマンからは、「このくらいの事は自分で対処できるようにならなければだめだよ。自分の力でいやな事はいやだと言える様にならなくては世の中やっていけないよ」と諭された。私は自分の力の無さを恥じた。やっぱり殴っておけばよかった。後悔が残った。

無事に飛行機のリコンファームを終え、数日後私は無事に祖父母のいる埼玉に戻った。

そこからまた東京でアパートを借り、荷物を倉庫から出すと、大急ぎで就職活動を始めた。

就職活動はその年の春、三月ごろから始まっている。留学で五月の途中で就職活動を始めた私は出遅れた形になった。慣れないスーツに身を包み、説明会に何度も足を向け、新しく買った大き目の黒い鞄は毎日企業のパンフレットで一杯だった。

そんな矢先、留学先の会長から電話があった。嘘をついたこの会長とはもう二度と会いたくない、と思っていた私は、何も喋らず電話を切った。
その後、私の留守中に何度も電話がかかってきたようで、留守電には何度も会長がメッセージを残している。一体何の用事があるんだろう。

一度会えば用事は住むだろう。私は電話を取り、会長の「会いたい」という要件を聞き、次の日三十分だけという時間制限を設けて会うことにした。その日の午後にはまた企業の説明会があったからだ。

大学を卒業しているはずの会長は、仕事もしていない様で、大学のベンチに堂々と腰をかけていた。

開口一番、彼はこう言った。

「You know… I’ve got blue eyes, and blond hair ほら、俺って青い目にブロンド・ヘアだろう?」

「I see you have grey eyes and white hair グレーの眼で、白い髪に見えるけどね」

「I’ve a typical Gaijin face 俺、典型的なガイジンの顔してるからあ」

「So? それで?」

「I think I can do a fashion model here ここでファッションモデルとしてやっていけると思うんだよね。」

「Why don’t you go and get career as a fashion model back home and come back here as a professional? 自分の国でファッションモデルとしてキャリアを積んで、プロとして日本に戻ってきたら?」

「But I don ‘t have to do that, you know…? I’ve got a typical Gaijin face, which every Japanese says “Kakkoii”. So, you see what I mean? You go and get me some agency that can hire me? でも、そんなことしなくってもいいんだよ・・・わかるっしょ?俺、典型的なガイジンの顔してるし、日本人は皆「かっこいい!」って言ってくれるし。だからさ・・・ほら、雇ってくれるエージェンシーを探せよ」

探せよ?

「Go find it for yourself, would you!? I’m looking for a job, too. I can’t spare my time to wipe your aXs 自分で探せば?私も就活中なんだよ。あんたのケツを拭いている暇なんてない」

「Do you refuse that!? What was the point in becoming your friends, if I can’t get a job here!?? I wouldn’t have stayed with you if I don’t get my return!
なんだよ、断るのかよ!ここで仕事が見つからないんだったら、何のために一年間お前と友達になんかなったんだよ!見返りが無いんだったらお前となんかつるまなかったのに!」

こうして、一年間のボランティアの幕は閉じた。後味の悪い幕切れだった。

日本語に興味があり、日本に興味がある人は恐らく世界には沢山いるのだろう。

しかし、バブルが弾けて数年後であっても、ある種の人達は日本人を金持ちでカモに出来る人とみなし、ある人は顎でこき使える便利屋とみなしていた。

たしかにバブル期の一握りの人は、金銭的に大変ゆとりのある人たちだった。しかし、それを全部の日本人をひっくるめてお金があってコネもあって、搾り取れるだけ搾ろうという発想の人がいてもおかしくはないような時期だった。

しかし、一年間サークルをやる、ということに見返りを期待されていたのには辟易した。海外で友情をはぐくむ人も大勢いると思う。しかし、海外で私を待ち受けていたのは、見返りを前提とした、怪しむべきボランティア活動だった。

こっちがこれだけしてやったんだから、見返りを用意して当たり前。そんな人と誰が友人関係を結ぶだろうか。

日本に興味がある人。私が経験した一年間のボランティアは、残念ながらそのような人たちを警戒せざるを得ない出会いとなった。同時に、留学先で出会ったのサークルの幹部に二度と会わなくてすむ喜びを噛み締めた。



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