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短編小説(5):出立

物心つく前から俺は寺で育った。しかし俺は退屈をしていた。

寺にはめったに外から人が来ない。「悲田院に行きたいものなどいないだろう」と聞くが、俺には何のことだか分からない。時々赤ん坊が来ることもあれば、小さい子供が来ることもある。この子たちはそのまま寺で育って、ある程度大きくなると俺たちと寝所を共にして生活する。

たまに会う人がいるとしても寺に用事で来る人ばかりで、話すこともままならない。といってもそれは御用聞きか、法事か何かの用事で来るどこかの召使いくらいだ。馬で乗りつけるものもあれば、牛車でやってくるものもいるが、姿が見えるのはほんの少しの間。烏帽子を被っていることくらいしか分からない。

寺の塀の向こうには、もっと大きな世界が広がっているに違いない。高い塀を通して聞こえてくるのは馬の足音、犬の泣き声。人々の足音。牛車のきしむ音。それを聞くと俺は我慢ができなくなってくる。

外に出たい。俺の居場所はここではない気がする。

周囲の連中はなぜか取り澄まして、将来は僧になると言っている奴らばかりだ。

言葉遣いもなぜか公家風と言ったところだろうか。坊主のしゃべり方と違う。気取ったしゃべり方が俺は気に食わなかった。

俺たちの唯一の共通点は、家族がいなくて寺に預けられて生活をしているということ。たったそれだけだ。周りの連中とはうまくやってはいるものの、なんとなく馬が合わない。

ここでは着物も小ざっぱりとしたものは着せてくれるが、塀の外の人たちはどんな着物をきているのだろう。子供は?大人は?年寄りや俺よりもう少し年上の人は?女は?男は?何もかもが謎だらけだ。

俺は外の世界が見たい。寺だけではない、もっと広い世界が見たい。


世話をしてくれる坊主によると、俺は今年で六歳になるという。六年もの間、坊主の経を聞き曼荼羅を見続けた。おかげで観音経はそらで言えるようになってしまった。五歳になった頃からは勉強と称して写経に励み、教本を開いて漢詩や唄を勉強する日々。勉強が嫌いというわけではないが、絵草紙でみるこの世の中ではなく、本当はどうなっているのかが知りたい。人はどんな所に住んでいるのか?何をやっているのか?絵草紙にでてくる遊びとは?紙を見るだけでは分からないことだらけだ。

小さい頃に、坊主にどうしてここから出てはいけないのかと尋ねたが、「ここより良い所は他にない」とはぐらかされた。ここより良い所がないのなら、なぜ塀の外から俺と同じくらいの子供の笑い声がするのか。そもそもこの寺で子供が笑っているのをほとんど聞いたことがない。行儀作法を指導する坊主に叱られるからだ。


そんな窮屈な生活をしていたある秋の晩。厠に立った時、寝ずの番の坊主たちが交代するのを見た。塀の裏口が手すきになっていた。その時、四つ時を知らせる鐘が鳴った。

これを逃すわけにはいかない。

翌日の夜、俺は布団の中で寝ずに過ごして夜が更けるのを待った。そして三つ時の鐘が鳴ってしばらくたった頃、厠に行くふりをして布団から出た。

廊下でこっそり待っていると、四つ時に寝ずの番の坊主が交代した。その時だ。寝ずの番が閉め忘れたのか何なのか知らないが、俺は塀の裏口が開いているのを見た。


気が付けば裏口から外に飛び出し、右も左も分からないまま素足で駆け出していた。

途中、何度か硬いものにつまずき、転んだ。膝から何かぬるっとしたものが出てきて痛かったが、俺は断じて誰にも見つからない所に行きたかった。

じきに朝日が昇ってきた。そんなことには気にかけず、俺は駆け続けた。道はでこぼこし、上りや下りが沢山あった。

何度か休んでもうひと駆けすると、家が沢山ある所が見えてきた。これが草紙で言う町というものだろうか。小さいのか大きいのか分からないが、遠くから見ても人が沢山いるようだ。俺はその中へ入っていった。


これだけ大勢の人を見るのは初めてだった。大人でも、大きな人もいれば小さな人もいる。子供もいれば年寄りもいる。寺の年かさの連中と同じくらいの男達もいれば、同じ年恰好の娘たちもいる。来ている着物も皆まちまちだ。これが世の中なのか、と思った。

道端では頭に布巾を巻いた女達が道行く人に野菜を勧めていて、その隣では何か奇妙な格好をした男が人形を操っている。何人もの人が大きな声で唄っていたが、よく聞いてみるとその唄っている人たちは物を売っているのだと気が付いた。魚。野菜。豆。水。菓子。他にもよくわからないものをそれぞれの売り子たちが、全く違う声音でものを売っている。いっぺんに聞くと頭が痛くなってくるが、一人一人の呼び込みの唄を聞いていると心地よくなってくる。おれは魚売りの唄を聞いた後、野菜売りの唄を聞き、最後に菓子売りの唄を聞いた。

菓子売りは菓子を勧めてくれたが、この場合どうすれば良いのか分からなかった。菓子売りからそのままもらってしまって良いのだろうか。菓子売りからは、菓子が欲しければ金をよこせ、と言われたが、金など持っていなかったのでそのまま立ち去った。

やはり絵草紙に出てくるのは本物の世界ではなかった。混み合った往来を行き来する人々をかき分けるときの人の熱気。人の匂いや魚の焼ける匂い、お香の匂いなどの様々な匂い。物売り達の呼び声の種類の多さや、着物の色のなんと豊かな事か。

世の中があまりに匂いや音や色に溢れていて、俺は一瞬めまいがした。


疲れたので家の軒下に座って一息入れることにした。

これから何をしよう。

隣には垢にまみれて真っ黒の袈裟をつけた年寄りの坊主が座っている。

坊主といっても、縮れた髪が長く、ぼさぼさの髭まで生えている。目の前には大きな古い鉢が置かれていた。

坊主の目の前の鉢には、通りすがりの人々がぽとりぽとりと食べ物やお金を落としていく。

食べ物が落ちてくるたびに、坊主は何か低い声で唸った。よく聞いてみると、経の一部を言っているようだった。

そうか、食べ物を手に入れるにはこういう方法もあるのか。

真似をしてみよう。


そう思ったとき、「ぼうや、何をしている?」とあるおやじから声をかけられた。

見つかった、と逃げようとしたが、おやじに手をつかまれた。

ここは大人しくして、逃げられる時を見計らおう。

総髪を後ろで結って山吹色の着物を着たおやじは、俺に色々な質問してきた

「どこの子だい?」
「・・・・・・」
「名前は?」
「・・・・・・」
「家はどこだい?」
「・・・・・・」
「家族は?」
「・・・・・・」
「誰かを待っているのかい?」「・・・・・・」

全部俺が知らない質問ばかりだった。逆に俺が誰かに聞いてみたくなる質問だらけだった。 

物心つく前から寺にいて、父も母もいないと聞かされ、仏が親代わりだとして育ってきた。名前はあるが、それも坊主がつけたもの。本当の名前があるのかさえも分からなかった。生まれた家がどこにあるのかも分からないし、そもそも親が生きているのかも知らなかった。


俺が答えないでいると、「叔父さんはこれから飯にしようと思うんだ。一緒に付き合ってくれないか」と言う。

そういえば腹が減っていたことを忘れていた。


おやじは俺を飯屋というところに連れて行った。入り口をはいると、威勢のいい女がおやじに話しかけてきた。

「いらっしゃい!おや、また新しい子が入ったのかい?」

「違うよ、新入りじゃない。また道端でぽつんとしている子を見つけたのでね。腹が減っているようだから、うんと食べさせてやろうと思ってね」

「そうかい。今日は良い魚が入っているよ」

「それじゃ塩焼きを貰おうかな。あと何か温かいものを」

「あいよ。いつのも場所、空いているから座っておくれ」


おやじは「うどん」という食い物と魚を注文した。

女が熱い湯気の出る椀と皿を二つずつ持ってきた。皿には焼き魚が乗っていた。焼き魚は見たことがあるが、うどんという食い物は初めて見た。何やら白くて長いものが沢山汁の中に入っている。

「美味いぞ。元気が出るまでうんと食べていいからな」おやじがそう言ってくれた。

おれはおやじと同じくらいの量のうどんと焼き魚を食べた。店の女がなぜかこちらを見ているが、俺は気にしない。


美味かった。自由になって初めて食べた飯だ。

多分これまで食べてきたどんなごちそうよりもうまかった。


満腹になった時、おやじはまた「家はどこか」という。

そんなものはない、と返事する。

家族は、と聞く。

そんなものもない、と言う。

帰る場所は、と聞く。

そんなものもない、と返す。

するとおやじは「じゃあ、うちに来ないか」と言った


天からの助けかもしれない。でも寺に連れ戻されるかもしれない。俺は迷った。

そこで、おれはおやじがどういう人か探ってみることにした。

「おじさんの家は?」
「ここから三つ辻を言ったところの大きい家だよ」
「寺なのかい?」
「寺?面白い事を言う子だね・・・寺じゃない、普通の家だ」

普通の家が分からない自分が癪に障る。

「家族は?」
「おっかあとおっとうが一人ずつ。嫁が一人。子供は五人だ。家にはもっと人が沢山いる」

そんな大きい家に住んでいるなんて、どんなお貴族様なんだろう。

「どんな仕事をしてるの」
「仕事は旅芸人だよ。しばらく前に巡行が終わって、家に帰ってきたところさ。うちの一座は大きいからね。他に二つ、巡業に出ている連中がいて、家の中は少し広くはなっている。これで全員帰ってきていたら、おじさんはお前さんを家に連れて帰れないところだった」

旅芸人?初めて聞く言葉だった。

良く分からないが、寺の者ではないらしい。俺はおやじの家に行ってもいいと言った。

食事が終わって店を出ようとすると、支払いということをしなければならないという。

俺が困っていると、おやじが茶色の小さな丸いものを店の女に渡して「この子の分は俺持ちで。また夜に若い衆とくるよ」と言い残して店の外に出た。俺はあわてておやじの後を追った。


腹いっぱいだけど、うちまで翔れるか?おやじが聞くのでもちろんだと返す。

じゃあ行くぞ、とおやじは走り出した。

大人とはこんなに早く走れるのか。

悔しいので俺は足の動く限り早く走った。


どんな所へ行くのか想像はつかないが、とにかく俺は寺の塀の外にでた。そして行くところが見つかった。おやじが誰なのかかまだ見当もつかないが、いい人に違いない。悲田院だかなんだか知らないが、あそこでなければ極楽ではなかろうか。

これからが俺の人生の始まりだ。



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