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連載小説:室町時代劇:我が子

「絹母ちゃん、行ってきます!」

松太郎が大声で叫んで出かけて行った。今日は四つ辻で軽業を見せる日だ。
何日も稽古に励んで、やる気に満ちた松太郎は、妹の梅を従えると、龍兄さんと私の夫の幸と一緒に出掛けて行った。

私と幸の家に松太郎を息子として迎え入れたのはもう十年も前になるだろうか。

忘れもしない、信長公が京に火を放った年の事。あの時は大勢の人々が京の都から焼け出され、この京丹波まで火傷や傷を負いながらも逃れてきた。

聞く話によると、松太郎は道端で母親と一緒に倒れている所を、今私たちがお世話になっている芸人一座の座長のおやじさんが救ってくれたそうだ。

そこに松太郎の父親はおらず、母親だけが酷い火傷でこと切れていたそうだ。松太郎の母は傷を負いながらもこの京丹波まで逃げてきた所までは分かっている。母親の遺体には、松太郎の出自が分かるようなものは無かったという。

あの日、一日中避難してきた人々のために炊き出しをして疲れていた私の元に、おやじさんがまだ生まれてひと月にも満たないような松太郎を抱いてきたときは心底驚いた。

「絹、すまないがこの子に乳をやってくれまいか。町の辻に倒れていた女の子供らしい。女はもう息も絶えていて、寺に運んだばかりだ。放っておくとこの子も命を取られかねない」

ひと月前に娘の梅を産んだばかりの私は幸いながら乳の出も良く、おやじさんの言うがままに赤子を受け取ると、ちょうど張っていた乳をあてがった。
赤子は弱々しくも確実に乳を吸い、私はこの子が途中で寝ないように時々かかとをつまみながら、赤子の腹がくちるまで乳を吸わせた。

赤子が十分に乳を吸ったのか、満足そうなげっぷと共に健やかな寝息を立て始めた。おやじさんは安堵したかのようにため息をついた。

「いや、絹がいてくれて本当に良かった。避難してきた人を沢山見たが、親に死なれて一人ぼっちになっていたのはわしらが見る限りだとこの子だけでね。親の素性が分かるものが無いか和尚さんが調べてくれるそうなんだが、悪いがそれまでこの子を預かってくれないかね」

私は夫の幸と顔を見合わせた。狭い一部屋の長屋だが、夫と私と娘の梅以外にもこれだけ小さな赤子ならば置いておくには十分な場所がある。私は思わず口にだした。

「もちろんですとも、おやじさん。親御さんの素性が分かるまでいくらでも預かりますとも。安心してくださいな」

おやじさんが帰っていくと、幸が小さな声で訊ねた。

「無理はないのかい。梅だけでも世話が大変なのに。仕事にも障りが出るんじゃないのかい」

「でもこの子を外に放り出しておくわけにはいかないよ。ほらごらんよ。梅と同じ顔をしてぐっすり寝ている。この子を今更放り出すのも不憫だよ。こうなったら乗りかかった船だよ。この子達二人をそろって面倒を見ようじゃないの」

「そう言ってくれるかい。お前は親切だね。それじゃお前さんが精を付けられるよう、おれも頑張って仕事をして美味いものを買ってくるよ」

松太郎の親や親戚に辿lり着けるものは、結局見つからなかった。たとえ見つかったとしても、私は松太郎を放すことなどできなかっただろう。

毎日仕事場であるおやじさんの家に二人の赤子を連れて行き、やれ腹が空いた、やれ退屈だから遊びたいと泣き声を上げるこの子たちの面倒を見る。二人のはちきれんばかりの笑顔を見るたびに、私はいきなり二人の赤子の親になったことを後悔するどころか、むしろ楽しんでいた。

この芸人一座には、昔から子供たちが居た。おやじさんが路肩でぽつんとしている子供たちを気に掛ける性分で、ひと月に一度は小さな子供たちが家に連れてこられた。

大概は親と喧嘩した子供たちで、その日のうちに親が迎えに来ることが多いのだが、中には数日家にいてから、どこかで仕事を見つけてもらって出て行く子もいれば、そのままここの家の子供になるのもいる。

かくいう私もおやじさんに拾ってもらった一人だ。細かい事は覚えていないのだが、道を歩いていて心細くなった時におやじさんが声をかけてくれ、家に連れてきてくれたことは覚えている。当時うちの座にいた兄さんや姐さん達が迷子だと思って、町中を巡っては私の親を探してくれたそうだ。

結局私の親は見つからず、私はこの芸人一座の子供になった。今は子供たちを育てながら座員が出し物で着る衣装や小道具を作り、たまに人手が居なければ四つ辻での出し物に唄い手として出かける。

梅も松太郎も大きくなるにつれて四つ辻の出し物に出る様になったが、自分の子供たちと出し物が出来るようになったのは、何とも嬉しく、何とも誇らしいものだった。

小さなころから私の背中で唄を沢山聞いて育ったせいか、松太郎も梅も唄が好きだった。
私が清やおふくろさんとそろって針仕事をしていると、早速子供たちの催促がはじまる。

「唄」子供たちから一声がかかると、私か清が威勢よく謡を始める。

小さい頃は、梅も松太郎も私たちの歌をよく真似した。ある程度大きくなってくると、朝の勉強の合間に自分で好きな唄を唄うようになった。

今もそうだが、子供たちは小さい頃から一日の仕事が終わって、おやじさんの家の土間で、皆でくつろいでいる時が一番好きなようだ。

龍兄さんが鼓で拍子を取り始めると、清や吉丸兄が唄を唄い始める。それに幸の笛も加わる。皆でどれだけ楽しく唄った事だろう。夜遅くまで唄や楽が続き、大人たちが芝居の話をし始めるころには、子供たちはもう眠たくて、二人とも寝てしまう。大きくなるにつれて重たくなっていくこの子たちをおぶって家に帰るのは、心がとろけるような温かさを味わうものだった。

松太郎にこの子の出自を話したのは、五年前。松太郎が五歳の時だった。一座の座長の嫁のおふくろさんと一緒に、松太郎に分かるように、あまり残酷ではないように話した。

それまで松太郎は私や幸を実の親だと思っていて、梅も実の妹だと思っていた。話を聞いて、松太郎は混乱したようだ。それはそうだろう。自分にもう一人親がいて、そちらが産みの親となれば混乱するのも無理はない。

しばらくすると、私達家族は、近くにある長源寺に出向き、そこで眠っている松太郎の母親の小さな墓に詣でるようになった。

「松太郎、あんたが産まれたのはこの母さんのおかげだからね。しっかり修行して、母さんに恥ずかしくないようにするんだよ」

松太郎は始め納得していないようだった。

お寺のお坊さんにも松太郎に言ってくれた「産んでくれた母さんも、育ててくれた母さんも、二人とも松太郎を守ってくれているよ。いつかご恩返しできるように、今やるべきことをしっかりおやりなさい」と言う。

そのうち、徳二兄さんが二人を四つ辻に連れて行ってくれて、兄さんの奏でる鼓にあわせて軽業をしたり、幸の笛と一緒に唄を唄う様になった。それに合わせて舞うのは、一座随一の舞手の小雪だ。

小雪は唄や楽にぴったり合わせながら、まるで樹の化身か空の雲の化身になったかのような、見事な踊りを見せる。唄、楽、舞の三つが重なって大きな出し物になるのが、子供たちは面白くてたまらなかったようだ。

そんな風に過ごしていた松太郎だが、時々姿を見せなくなることが増えた。夕方のほんの少しの間なのだが、呼んでもいないことがある。

おやじさん曰く、松太郎は自分の母親の墓を詣でているようだった。母親の墓前で、小さな声で今日やったことを報告しているとのこと。会った事も無い母親であれども、松太郎が安心して話が出来るのはそこだったのだろう。

松太郎と梅が十歳になった頃から、私や幸は行儀作法に厳しくなるようになった。十歳を超えると旅に出かける一座に加わって各地を何日もかけて回ることになるのだが、その際行儀が良くなければならない。

旅芸人の一座はどうしても周囲から低く軽く見られがちだが、そんな時にずるずるとしていれば、猶更「旅芸人は行儀もへったくれもない」と言われかねない。

また、運があればお武家様のお屋敷に上がって芸を披露する機会も出て来る。そんな時に相応しい行儀作法が出来ていなければ、お招きくださった家にも恥をかかせることになりかねない。

そんなある日の夕餉の後。松太郎が膳を片付けずに囲炉裏の間から歩き去ろうとしたのを見た私は、いつも通りに注意をした。

「松太郎!食べ終わった膳は台所に自分で下げなさい!いつも言っているでしょう」

松太郎は答えず、そのまま歩き去ろうとうとした。

「松太郎!片付けないと明日の朝餉は無しだよ!それでもいいのかい?」

すると、なぜか松太郎は堪忍袋の緒が切れたかのように言い返した。

「何だよ、絹母ちゃんなんて俺の親じゃないんだろ?本当の親だったらそんなことは絶対に言わないよ!」

いきなり周囲がしんとなった。

私は呆然とした。松太郎が実の母の存在を知っているのであれば、いつかこんなことを言われる日が来るのではないかと思ったことはあった。だが実際に本人から言われると、心に大なたを振られたような鈍い痛みを感じた。情けない事に涙がにじみ出てきた。

見ると、幸と吉丸兄さんが、何も言わずに松太郎を渡り廊下へ引っ張っていった。

おふくろさんがそっとささやいた。

「大丈夫かい?」

「はい、ただ少し驚きまして。いつかはあることだと覚悟をしていたんですが、こんな形で来るとは思っても見なくて」

「あとは幸と吉丸に任せた方が良いよ。あんたはここで待っていておあげ。なに、すぐにでももどってくるさね」

おふくろさんの優しい言葉に、私は耐えきれなくなって涙をこぼしてしまった。

実の子ではない。梅の様にお腹を痛めて産んだ子ではないが、乳を含ませ、襁褓を変え、楽しい時は一緒に笑い、むずがるときは何とかしてその原因を見つけようと頭を絞ったあの小さかった子が、ついにこの言葉を発する時が来たと思うと、なんともやりきれなかった。

三人は長く話していたようだった。半刻もすると、松太郎がいてもたってもいられなくなったかのように母屋に戻ってくると、私の目の前に正座し、頭を深く下げて謝った。

「母ちゃん、ごめんなさい!さっき言ったことは二度と言いません!」

私は涙をぬぐいながらこう言った

「いいんだよ、松太郎。あんたの母さんは近くのお寺で眠っているものね。あちらの方も大事にしているのが良く分かるよ。産んだ母さんを大事にするのはとてもいい事。ただし、今生きているあんたは、産みのお母さんに恥ずかしくない人にならないといけない。どうだい、膳は片づけられるかい?」

松太郎は自分の膳をつかむと台所に行き、その日は清と一緒に皿洗いを手伝った。

その日、おやじさんの家の土間でいつもの通りに車座になり、唄や笛、鼓で楽しい時間を過ごしたときだ。ぐっすり寝込んだ松太郎と梅を見ながら、吉丸と幸が先ほどの松太郎との一件を話してくれた。

「さっきはすごかったよな」吉丸が笑いをこらえながら言った。

「いつもは仏様の様に優しい幸兄さんが鬼の形相になって。しかも「松太郎!母ちゃんになんてことを言うんだ!つべこべ言わずに謝って来い!」って怒鳴っただろう?俺、あんなの初めて聞いたよ。幸兄さんもやっぱり人間だったんだね」

「あの後、どうされてたんで?」私は聞いてみた。

「松坊に聞いたんだよ。どうしてあんなことを言ったんだい?説明できるかい?とね。」
すると、
「おれには産んだ母親がいるし、その母親ならもっと優しかったかもしれないし」とこうきたのさ。そこでこう言ってみた。

「でも母さんは、いつもは優しいだろう?膳を下げるなんて今まで松坊はちゃんとやっていたじゃないか。それがここの所どうして変わったんだい?」

そうすると松坊はこう言ったね。

「文句を言われるのが気に食わない。膳を下げるのも面倒くさい。それを母ちゃんがわざわざ俺に言うのも気に食わない」

松坊も大きくなったな。こんなことを言い出すなんて。俺、思わずため息が出たよ。
そしたら幸兄さんがこう言ったんだよ。

「松太郎よ、母ちゃんがなぜお前を自分の子供だと思ってお前さんを育てているかわかるかい?」

「分かんないよ。母ちゃんしか面倒を見られる人がいなかったんだろう?」

「そうだ。でもそれだけじゃない。母ちゃんは、三歳の時に一人ぼっちで泣きながら歩いていた所をおやじさんに見つけてもらったんだ。

母ちゃんは自分の母親の事も父親の事も覚えていない。そんな母ちゃんだからこそ、親と死に別れたお前さんを不憫に思ったんだ。母ちゃんはお前に乳をやり、梅と寸分たがわずお前さんを自分の子供だとして育ててきたんだ。そんな母ちゃんにあんなことを言ったら、悲しむに決まっているだろう?

今から母ちゃんの所に行って謝ってきなさい。そして二度とこんなことを言うんじゃないぞ」

松太郎は口もきけない程驚いてたよ。絹姐さんの生い立ちなぞとんと知らなかっただろうしね。多分、親の事を知らないなら、自分と一緒じゃないかとおもったんじゃないかな」

その日、私は松太郎をおぶって帰った。十歳ともなるともう体も大きいし重い。変わろうかと何度も言ってくれる幸には悪かったが、あと一年も経てば私が松太郎を背負って歩くことなどできなくなるだろう。心地よい重みと、眠った子のぬくもりを背中に感じながら、私は一歩一歩足を踏みしめて家路についた。

今、うちの一座は新しい出し物で揉めている。小雪が作った舞があまりに素晴らしく、吉丸兄や保名がどうしても小雪に舞って欲しいと言っている。

それなのに、当の本人である小雪は龍の舞ではなく、弁財天の舞が舞いたいと言っている。

小雪の言っていることは誰にも判らなかった。せっかく舞えるのに、なぜ舞わないんだろう?

次の日、松太郎や梅、福吉兄や花が四つ辻での出し物から帰ってくると、ちょうど小雪が吉丸達と舞の稽古をしていた。幸も龍兄さんもいる。

花と福吉が稽古を見て行くよう呼ばれた。私は松太郎と梅に、見つからないようにと言い、こっそり縁側の端から稽古の様子を見た。

楽の音がなり、小雪がゆっくりとお白州に出て来る。

その舞は迫力という言葉だけでは片づけられない、凄まじく力の籠った舞だった。こんな怒りの舞は今まで小雪が待っている所を見たことが無い。

振りかざした腕の動きの強さ。

爛々とした怒りに満ちたその眼。

何より、周囲の空気がまるで怒りの炎に包まれているような迫力。

白い稽古着を着た小雪がまるで赤い炎に包まれているかのようだった。

これを舞わないなんて、小雪も何を考えているんだろう。
何か事情でもあるのだろうか

その日は稽古も遅くまで続いた。稽古には幸も参加していたので、私は梅と松太郎をつれて、先に家に戻った。

筵を床に敷いて寝る準備をしている子供たちに私は声をかけた。

「明日も四つ辻の出し物があるからね。身体をうんと伸ばしてからゆっくりお休み。起きた時には父ちゃんも帰っているからね」

二人とも言われた通りに体のあちこちをうんと伸ばしてから横になったようだ。
明日は四つ辻で軽業も唄も披露する忙しい日だ。

私も筵の上に横になった。しかし、先ほどの小雪の舞が脳裏に焼き付いてなかなか眠りにつけない。

炎の中にいるような怒りと悲しみを込めた舞。

あんなに丹力のある舞が小雪に舞えるとは。
いつもは花や山の木々の美しさを現わす舞をを得意としているあの子が、人間の、しかも力強く叫ぶような舞を舞っていた。

何かあったのではないだろうか。

小雪も幼い頃おやじさんにうちの座に連れてこられて、座員になった一人だ。子供の頃から妹の様に良く知っている間とはいえ、あの子にも何か人に言えない事があるのかもしれない。

そんなことを考えながら、段々夢うつつになり、私は眠りの中に落ちて行った。


( 続く) 


本作品は,シリーズ物の第四作目です。

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眠れない夜に

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