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小説 | 島の記憶  第33話 -海原-

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大海原はしんとして落ち着いていた。

波も小さく,ボートはその上をすべるようにして昼間の白い月を目指して進んでいく。

海は澄み,白い砂の沈んだ海底との間に透通ったターコイズブルーの色を朝日にきらめかせている。

タネロレが帆を操り,私は万が一潮の流れが強くなった時のためにオールを渡されていた。

「万事順調だね。昨日浜に帰って来た奴は一日半かかって岩まで辿り着いたようだな。俺達はその倍の速さで行こう」

「ありがとう。でも船は大丈夫?そんなに早さを出してボートが壊れたりしないかしら」

「なに、ティアが持ってきた帆が二重の役割をしてて,風をうまくとらえているよ。この調子じゃ浜が見えなくなるのももうすぐだろうな」

私は振り返って浜の方を見た。

大きな島はもうずいぶん小さくなり、私たちが出発した浜ももう島のどこにあるのかも判別できないくらい小さくなっている。

「タネロレもこんな風にして漁に出るんだっけ」

「ああ、神殿の用事が無い時はね。畑仕事も漁も何でもやるよ」

「道理で帆の扱いが上手いと思った。普段はどのくらい遠くまで行くの?」

「獲物がいれば遠くまで追いかけて行くよ。前回はクジラの群れがいるところまで行ったかな。クジラが潮を吹く所、見たことある?」

「ううん,見たことないわ」

「クジラだけじゃない。このあたりはイルカもアザラシも沢山いるんだ。ただし,今俺たちが目指している西の方角ではないんだよな。どちらかと言うと東の方角で見ることが多いよ」

「西にはどんな時に行くのかしら」

「カジキやマグロなど、大型の魚を追いかけて行くときに行くかな」

そう言ってタネロレは潮風に押され始めた船の方向を調整し始めた。

「潮の流れが強くなったな。月を目指すと言うよりも、もっと西に流されそうだ」

「あ,見て。遠くに雨雲が出ている」

私は指を指した。水平線のかなた遠くに三角形の雲がいくつか渦巻いており、恐らくその下はスコールになっている事だろう。

「俺達の進む反対側だな。多分海の上の事だよ。もしスコールが来たら、雨水をためて置けるように瓶の口をいくつか開けておこう。水はいくらあっても足りないからね」

私はボートの舳先の方にある瓶の城へ移動し、蓋を開け始めた。

ここからだと自分が作った帆の全体が見える。

淡い茶色の生地に赤い糸で織り込んだ私たちの文字。円の中心から外へ渦巻く様に書いた文字の中心には,私の島の神の像を織り込んだ。布を作っている間も神のご加護を得られるよう、いつか家に帰れるよう、毎日祈った神さまの姿。

それと一緒にボートで漕ぎ足したのは何とも心強かった。

きっと私の島に帰れる。島の皆に会い、タネロレを私達の遠い遠い家族の一人として紹介したい。母さんやおばあちゃん,兄さんや弟のカウリや妹のリアは生きているだろうか。

早く合って安否を確認したい自分がいる一方で、このまま海の上で舞い上がっている自分の気を沈めたかった。

島に帰れるかもしれない嬉しさはあるが,襲撃されて火を放たれた私の村を見るのの辛さもある。

今はどうなっているだろうか、村の皆は生きているだろうか。

そんなことを考えながら、早いスピードで進んでいくボートの上を移動し、オールがある方へと戻った。

「ティアは大家族だったんだよね?おばあちゃんとお母さん。そして叔母さんもいるんだよね,巫女の。他にも兄弟がいるって言ってたっけ」

「うん。ヒロという兄さん,カウリと言う弟。そしてリアという妹。それだけじゃない、村は皆私たちの親戚で、従兄弟や従姉妹も大勢。叔父叔母も大勢」

「皆さん,助かっていると良いな。あの白い肌の連中に目を付けられたのは気の毒だけど、うまく隠れたり逃げ出したりすることが出来ていればいいんだが」

「それをこれから見ましょう。浜辺に着いてくれればあとは人を探すだけ。村は浜辺から本当に近いの。タネロレの家から浜辺に行くのよりほんの少し遠いくらいよ」

「それじゃ近いな。大声を出せば誰かが気が付いてくれるかもしれない」

日が私たちの真上に登り、昼が来たことが判った。

私はココナッツのケーキを食べ,帆の操縦に手が離せないタネロレにもココナッツのケーキと干し魚を食べさせ、貴重なココヤシの水を飲んだ。

「これだけ食べれば元気が出るよ。夕刻になったら十字星を探そう。それを右に見ながら,だよね」

「そうね。昼間の月が満月で良かった。まだはっきり見えるわ」

「ちょうど風が出てきたみたいだ。追い風だからまた早く船を勧められるかもしれない」

そこから数時間、ボートは風を受けて速さを増して行った。

太陽が少しずつ沈んでいく。水平線上に真っ赤な夕日が広がった。

こんなに広い海原で赤い夕陽を見たのは初めてだった。その赤い色に島を燃やされた時の記憶を揺さぶり起される。

暗闇の中から出てきた白い肌の生き物たち。今では人間の仕業だと思うけれども、まさかあんな少人数で神殿に火を放ち、家を破壊し、村を大混乱に陥れた。あの時強烈に覚えているのは赤く燃え盛る炎だ。私たちが大切にしていた神殿。火を消しに行った兄さん達は無事だろうか。

気が付くと,空には十文字の星が上がり始めていた。これを右に見ながら進んでいく。

十文字の星は美しく、夜の空でも見間違う事が無い大きな星が集まってできている。

タネロレと私は魚と水の夕食を済ませると,凪いで来た風を何とか帆で捉え,進む方向をただした。

夜は更けていき、風も凪いでしまった。しばらくはボートが波に流されるのをオールで掻いて方向を正してみた。二人でオールを漕いでも、一方向にボートを勧めるのは至難の業だ。

すると、暗がりの中に黒く大きく光る山のようなものが出てきた。

まさかあれが三角岩? 私は目を凝らした。

形と言い,水のしぶきの上がり方と言い,どうも私が知っている三角岩に似ている。

「タネロレ,あの岩が見える?」

「ああ,あの遠くに見える岩かい?高い波が飛沫を上げている所」

「違うかもしれないんだけど、私が落ちた岩に似ている。あのそばは海流が渦巻いていて、このボートだと危ないかもしれないから,岩を左に見ながら大回りをして周囲を回ってみましょう」

タネロレと私はオールでボート全体を東に進め、岩を遠くに見ながら周囲を回っていった。

思っていた通り、潮流がきつい。下手すると岩の方にまで引っ張られそうになる。

私たちは岩からとにかく離れて,でも見失わない距離を保ちながらボートを進めてて行った。

すると,驚いたことに白い肌の人間たちの船が遠くに見えてきた。

私達の村が襲撃されたときに浜にあった大きな船とよく似ている。

「あれ?あいつらの船じゃないか。ここの土地でも貿易をしているのか?」船に気が付いたタネロレが言った。

「タネロレ,この岩の反対側に行けば。あとは波が浜辺に送り届けてくれるかもしれない。やってみましょう」

三角の岩から遠く離れた所で,私たちはオールを動かすことを止めた。
荒かった波が少しずつ収まり,ボートは何事も無かったかのように浜辺に滑り込んだ。

「月明かりで何とか見えるけど、浜辺だよな?ここ」

「そうね。でも私の覚えている浜辺とは違う様に思える。前はすぐそばにココヤシの林があったの」

「そうか。そうしたら違う浜に着いたのかもしれないな。朝日が出てきたら一度沖まで出て確かめてみよう」

「それにタネロレ,あの白い人たちの船がそばにいるのが気にかかって・・・」

「なに,いつもの貿易だろう。気にすることは無いよ。それよりかティア、眠らなくて大丈夫かい?浜にいるうちに短い間だけでも寝た方が良いんじゃないか?」

「私は大丈夫。こんなに気が立っているとなんだか眠れなくて。タネロレこそ寝た方が良いんじゃないの?丸一日帆を操って疲れたでしょう」

「まあな。ほんの少しだけ眠るよ。何か起きたらすぐに起こして欲しい」

そう言うとタネロレはボートの中に身を横たえると、すぐに小さな寝息を立て始めた。

私は、浜辺を何度も見渡した。私が知っている浜辺とは違う。ココヤシの林も無ければ,近くにあった大きな木の森も無い。

明日、昼間の月が出たらまた同じように航海をして、絶対に村まで辿り着くんだ。

ふと気が付くと,私も眠ってしまっていたらしい。周囲に人の声が聞こえる。

眠い目をこすりながら起き上がると、小さな子供たちが大人を連れてやってくるところだった。

その声を聞いて,私は耳を疑った。この声、聞いた事がある。

「浜辺に上がっていたボートはこれかい?神殿で見る神代文字が見えるんだが・・・」

「ロンゴ叔父さん,きっとこれはティアの船なんじゃないの?織物ができるティアだもの,このくらい作れるよ。ねえ,近くまで行っていい?」

紛れもない,弟のカウリの声だ。私の村の言葉だ。

私は思わず振り向いた。

そこには紛れもなくロンゴ叔父さんとカウリの二人がいる。

私はオールで体を支えながらボートの上に仁王立ちになると、お腹の底から大声を出した。

「ロンゴ叔父さん!カウリ!今戻りました!」

二人がこちらへ駆けてくる。私もオールで体を支えながらボートから飛び降りると、二人の方へ歩き出した。

小さなカウリが私の首に飛びついて来て、私をしっかり抱擁する。
私はカウリを抱きながら、ロンゴ叔父さんの方を向いた。ロンゴ叔父さんは私の手を握ると優しく肩に手をかけてくれた。

「良く生きていた!」

「叔父さんも!」

「何が起きたのかは後でゆっくり聞かせておくれ。まずは家に帰ろう。一人で来たのかい?」

「いいえ,三角岩から流された後でずっとお世話になっていた家の人と来ました」

「そうかそうか。一人ぼっちでいたわけではないんだね。これは盛大にお礼をしないと・・・その片は今は?」

私はボートの方を振り向いた。私たちの声で目が覚めたんだろうか、タネロレがゆっくりと起き上がる。

「タネロレ!私の家族を見つけました!ここは私の住んでいた村です!」

いきなり古語で喋り始めた私を、ロンゴ叔父さんがぎょっとした眼で見たが、カウリは苦笑いをしながらこちらにやって来た。そして,ロンゴ叔父さんやカウリに挨拶をした。

「昼間の月の反対側の島から来ました,タネロレと申します。こちらの島の先祖のタネーおじいさんの兄弟の子孫です」

それを聞いて,ロンゴ叔父さんは満面の笑顔を浮かべてタネロレを抱きしめた。そして古語で言った。

「家族よ,私たちは再会できたんだね。遠い遠い波を乗り越えてきてくれてありがとう」

カウリは何が起こったのか分からないと言った顔をしていた。

「あとでちゃんと説明するね。あの人はタネーおじいさんの兄弟の子孫よ。私たちの遠い親戚でもあるの」

「ティア、足はどうしたの?」カウリがそっと訊ねてきた。

「ちょっとね。後でゆっくり説明するよ」

日が昇り始めて、漁師たちがどんどん浜辺に出て来る。

その中にアピラナ伯父さんや従弟のカイの姿もある。

呼びかけると、二人とも私に気が付いてくれたようだ。

涙と笑いと抱擁が私たちを包み、またこうして出会えたことへの感謝で一杯になった。

幼いカウリが村に伝えたのだろう、従姉妹のマカイアやティアレを先頭に,お母さん,アリアナ叔母さん,それにおばあちゃんもいる。他にも親戚中が浜に出てきて一人一人が我先にと私を抱きしめてくれた。

もう会えないとつい先ほどまで思っていた人々にこうして会えた。

嬉しさと感謝の渦の中、私は皆にタネロレを皆に紹介した。

「遠い親戚と繋がれるとは!さあさ二人とも村までおいで。今じゃすっかり変わってね。ティはきっと驚くと思うよ」

そうおばあちゃんが言った。

そしておばあちゃんを先頭に,私たちは村の中へと少しずつ,ゆっくりとした歩みで入っていった。

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