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アイルランド:蜂蜜とウイスキーの幸せなお酒

以前、アイルランドを訪れた時、同行の友人達とアイルランドでどんなお酒が美味しかったかという話になった。ビールにウイスキー、ベイリーズといった定番のお酒の話に花が咲く中、興味深い意見が出た。それが「アイリッシュ・ミスト」というお酒だった。アイリッシュ・ミストを味わった友人曰く、「アイルランドに行ってこのお酒を味わないのはもったいないほど美味しい」と言っていた。その熱のこもった意見に一体どんなお酒なんだろうと興味がわいた。「ウイスキーが好きなら、きっと気に入ると思うよ」とも言っていた。


しかし、その後数十年間アイリッシュ・ミストとはご縁が無かった。なかなか店頭で見かけることがなく、アイルランドのウイスキーがあれば注意をして見てはいたものの、残念ながら実物にお目に掛かれることなく月日が過ぎてしまった。


そんなとき、ふとしたことでアイリッシュ・ミストとご縁ができた。コロナ渦で諸々の理由で退職を余儀なくされたとき、自分への退職祝いとして特別なお酒を購入しようと思った。何を買おうかネットで色々見ていた時、ふとしたことでアイリッシュ・ミストの事が頭に浮かんだ。探してみると、ありがたい事にネットショップで販売がされていた。七〇〇mlと少し大き目なサイズのボトルだったので一瞬ひるんだが、「これもコロナの記念」と言い聞かせて一本購入してみた。


家に届いたボトルの包装をわくわくしながら開けてみると、黄色いキャップと金色のラベルが出てきた。どうやら蜂蜜のリキュールのようで、瓶の口のあたりに蜂のデザインが施されている。お酒の色は明るめの褐色で、一見ウイスキーの様にも見える。コルクの線を外してみると、ウイスキーの香りの中にふわりと蜂蜜の甘い香りが混ざっていた。そして、それ以外に何か不思議とすっきりとした香りも混ざっている。アルコールのすっきりとした香りとはまた違ったものだった。


小さなお猪口で、まずはストレートで試してみた。やはりウイスキーとあって強いお酒だった。一口飲むと、ウイスキーに蜂蜜の香りと甘さが混ざり、そして何かすっきりとした香料の様な香りが鼻に香った。アルコール度数は三十五度と、やはりこれはリキュールであってもウイスキーの仲間なのだろう。アイリッシュウイスキーならではの飲みやすさがある。


しかし飲みつけない味のせいか、始めはなかなかグラスが進まなかった。ウイスキーの味も強いのだが、蜂蜜の甘さもかなりのパンチが効いている。そこで、三分の二ほど水で割ってみた。自分の口に会ったのだろうか、途端に飲みやすく、味もちょうどよいほのかに甘いウイスキーのようなリキュールの味になった。個人的には水で割ったりロックで飲むとちょうどよい飲み物なのかもしれないと思った。ラベルを見るとやはり香料が使われているとのことだった。


アイリッシュ・ミストは、アイルランド中部にあるタラモア(Tullamore)でデズモンド・ウイリアムス氏が最初に製造したと言われるリキュールとのことだ。熟成されたウイスキーにヘザーとクローバーの香りの蜂蜜と薫り高いハーブとシェリー酒が混ざり合うこのお酒は古くから伝わるレシピに発想を得たもので、そのレシピは約一〇〇〇年前にはできていたとされている。タラモアにあるウイアムズ家は一八二九年からウイスキーの醸造を行う老舗であり、ウイスキー以外の他のお酒を模索した結果、この古いレシピにたどり着いたようだ。アイリッシュ・ミストはこの醸造所で一九四七~一九四八年ごろに商業生産が開始されたという。


このウイリアムズ家が参考にしたとされる古いレシピだが、ここにはケルト人の一派であるピクト人にまつわる、ある古い話があるようだ。このピクト人とは紀元前三〇〇年以上前からスコットランドに定住していた人々だ。ピクト人は、スコットランドをローマ人やサクソン人、ブリトン人やバイキングなどから守っていた勇敢な人々だった。また彼らは優秀な醸造家でもあった。

『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの小説で知られるロバート・ルイス・スティーヴンソンがとった記録によると、以下の様な話がある。


「あるスコットランド人の王が、戦いでピクト人を殺害した後、ヒースのエール(ビール)を所望した。生き残ったのは二人のピクト人で、崖のそばにいた。彼らはピクト人の長とその息子だった。王はその二人を拷問して秘密のレシピを得ようとした。ピクト人の長は、息子を即座に殺せばレシピをあげようと言った。長の息子の少年の亡骸が崖の下へ放り込まれた後、ピクト人の長は王の顔を見てこう言った「もうこれ以上私を拷問しても無駄です。火も約に立たないでしょう。ヘザーのエールのレシピを胸に秘めて私はここで死にます」長は王に体当たりをし、二人は崖の下へ落ちていった。」

https://youngwilliam.livejournal.com/249020.html


アイリッシュ・ミストに使われているヘザー、別名ヒースとは低い灌木で、アイルランドやイギリス、北ヨーロッパの様な寒冷な気候の地域に生息する植物だ。英文学の、エミリー・ブロンテによる「嵐が丘」にヒースの草原が出てくるが、どんなに寒冷な気候でも地に育つその植物の薄い紫の花は小さく愛らしいもので、すっきりしたハーブの様な香りがすると言われる。このアイリッシュ・ミストのアルコールとはまた別の少しすっとする香りは、恐らくこのヘザーの香りではないだろうか。


また、アイルランドでは古来、蜂蜜の生産が盛んだとのことだ。二十世紀の中ごろまでは蜂蜜の入った蜂の巣はアイルランドの主な輸出品の一つだったという。アイルランドのヒースの蜂蜜は殺菌効果や酸化防止効果、抗炎症効果のあるポリフェノールの含有量が高く、抗菌性で有名なマヌカハニーにも劣らないほどだという。近年では中国産やウクライナ産、アルゼンチン産やメキシコ産の蜂蜜に押されているものの、アイルランドの蜂蜜の生産量は現在でも高く、輸出品目のうち酪農製品や卵と並んで第七位となっている主力産業の一つだ。


アイリッシュ・ミストに使われる原料は、アイルランドの誇る生産物の結晶と言っても過言ではないだろう。タラモアのウイリアムズ氏がピクト人の昔話から着想を得たという根拠はないのだが、アイルランドのケルト人の一派であるピクト人がお酒を造っていたという説は根強い。そして、もしかするとアイルランドに自生するヒースと、生産される蜂蜜からお酒が造られていたのかもしれない。


いずれにしても、アイルランドならではの生産物が豊かに使われるこのアイリッシュ・ミストは、一度は試してみる価値はある。ストレートでも、水やソーダ割でも楽しめそうな一品だ。寒い冬の食後に一杯やって体を温めるのにもよいし、夏の日にはロックですっとした香りを楽しみながら味わうのもよいだろう。生産された年代ごとにボトルの形も異なり、アンティークと呼ばれる古い瓶の形はどっしりとして重みがある。部屋の飾りとしても楽しめそうだ。お好みのボトルと、お好みの飲み方をぜひ楽しんでいただきたい一品だと思う。



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(参考文献)

Irish Mist - Old Liquor Company
https://www.oldliquorcompany.com/product/irish-mist-3/

Heaven Hill Brands
https://heavenhill.com/brands-detail.php?brandid=irish-mist-liqueur

Irish honey ranks among world's healthiest, research reveals | The Irish Post
https://www.irishpost.com/news/irish-honey-healthy-159246

Bee Keeping and Honey Production - Teagasc | Agriculture and Food Development Authority
https://www.teagasc.ie/rural-economy/rural-development/diversification/bee-keeping-and-honey-production/

FAIRY WHISKEY: youngwilliam — LiveJournal
https://youngwilliam.livejournal.com/249020.html

Ireland’s Top 10 Exports 2021 (worldstopexports.com)
https://www.worldstopexports.com/irelands-top-10-exports/

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